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砂漠の民と海の民、それぞれの自然【2012.04 青葉山】

砂丘と行く初の日本海遠征。春休み期間にどこか縁遠かった地域に遠征をしようという話は二人でしていて、日本海に臨む若狭富士、青葉山に行き先を決めた。初めての日本海地域、海の見える山、知らない土地の山。

秀麗なかたちをした青葉山は、実は双耳峰をもつ独立峰。どこからでも目立つ地域の雄ともいえる山であるが、富士山のような三角錐に見える角度は限られている。いわば限定富士。遙か昔に停止した青葉山の火山活動は、富士山のごとく美しいシンメトリーを残すことはできなかった。それもまた自然の妙である。

2012年4月8日(日)青葉山登山 048

未知なる土地への冒険心は、時として常識的な判断力を麻痺させるもので、私と砂丘は青春18切符を最大限活用した長大な謎行程を組んだ。

大阪駅→東舞鶴駅→登山口・下山口→敦賀→大阪駅

夜ご飯はうまい海鮮料理(しかも我々には車がなかったので駅周辺で食べられるという制約つき)を食べたい、でも下山口の最寄り駅周辺にはそれがない。小浜線ってなんか憧れがあるなと砂丘が言い出し、何を思ったのか、私は敦賀駅で夜ご飯を食べることを提案したのだった。

果たして私たちは最短ルートで帰るのでなく、敦賀を経由した壮大な遠回りをする計画を立てた。何かを得るために旅をしているわけではない私たちにとって、移動はただの移動でなく、それ自体が旅であり、意味だとか理由だとか目的から派生してくる概念など意に介さなかった。

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青葉山の登山はなかなか苦戦した。特に相方の砂丘は、勝手のわからない山での登山、しかも思っていたよりも残雪が多く、登山道が不明瞭な状態にすごくストレスを感じていたようだ。泣きべそかく相方を引っ張り、周囲の地形と地図を比較しつつ、正確に山を登っていった。読図通りの場所に鳥居を見つけたときは、それはもう今すぐにでも日本海に向かって叫びたいぐらい喜んだ(この段階では全く海の香りすらしない)。

2012年4月8日(日)青葉山登山 006

山頂に近づくと、火山地形らしい急峻な岩場が続く。鎖や梯子の連続する登山道は緊張感を伴うが、ふと振り返ると、若狭湾から日本海へと続く果てしない広がりや、すっかり見渡せてしまう高浜・舞鶴の町並みが視界に入り、あらゆる感情が景色の彼方に吸い込まれていく。感動すら入り込む余地のない土地のあり様、積極的な感情は必要なく、ただそこにいることを受け入れてくれる、それだけの大きさをもった土地。

2012年4月8日(日)青葉山登山 059

ふとよぎる砂漠の民の景色。生命にとって極めて過酷で、簡単に生命を枯らしてしまうその景色で育まれた自然の物語は、決して海の民の語り継ぐ物語とは一緒でないだろう。

こうして自然の恵み、自然の豊かさを感じることができるのは、日本という島国を包む気候によるものだ。海と山とが織りなす恵まれた降雨環境、南北に伸びる地形が与える多様な温度環境、多様な地学的環境を提供する山岳地、プレート運動の集積が生み出す壮大な地殻変動と火山活動、これらすべてがこの島国の自然を、そして日本人の自然観を形成している。

砂漠の民の自然観とは大きく違うが、それでも私はそういう厳しい自然と自然観が存在するということを、緑豊かな日本の山の中でも忘れないでいたいと思う。ふとしたときに、彼らへと繋がる回路が突如として開かれる、そんなときのために、私は私の自然遍歴を積み重ねていきたい。それが私なりの異文化理解、私なりの開国。

2012年4月8日(日)青葉山登山 022

いまこうして振り返ってみても、青葉山登山はとても素晴らしかった。天気も快晴で、春の潮風になびかれる山。下山口から駅まで徒歩で行くという無謀な計画を立てていたが、登山中に仲良くなった地元のおじいさんに乗せてもらうことができ、人にも恵まれた。舞鶴が軍港だったことは、おじいさんから教えられて初めて知った。

駅に着くと、線路上の障害物かなんかで小浜線が止まっている旨の構内放送を聞き、二人で絶望した。小浜線の巧妙な罠により、砂丘と私の長大な遠回り計画は見事に破綻した。仕方なく来た道を素直に戻り、大阪に帰ってからいつものように自宅でだらだら飲み明かした。実際のところ、飯や酒の味はたいした問題ではなかったみたいで、この日体験した旅の出来事を噛みしめるように、言葉を尽くして語り合った。この光景はきっとどこの民でも同じことだろうと、そう信じている。

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