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青い登山

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学生時代を惜しむように登った山の記録です。青い登山をしています。関西圏の山が多いです。
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記事一覧

さらば青春の光、学生最後の登山【2015.03 書写山】

学生時代最後の登山、どこか有名な山に登るでもなく、遠くの山に遠征するでもなく、兵庫県にある書写山を最後の山として選んだのは、なんとも私と砂丘(大学1年の時に鳥取砂丘で仲良くなった友人)らしい選択だなと思う。地域の名峰であり、清水寺と似た趣の圓教寺という立派なお寺もある。なにより姫路市ということで、帰りに姫路城へ寄ることができるのが良い。早朝に大阪駅を発ち、姫路駅にて下車、バスで書写山に向かう。結局、こういうかたちでの登山が、一番僕ららしくもあり、また僕らが山において一番求めて

火山と、火山の恩恵を受ける町【2015.03 鶴見岳】

学生時代に所属していたオリエンテーリング部の卒業旅行で、大分の別府温泉を訪れた。大阪南港からフェリーで向かう。かつて村上海賊が覇権を握った瀬戸内海、内海であるがゆえの天候の穏やかさと、内海であるがゆえの地形の複雑さ、そして海流の複雑さを抱えている。これだけ大きい船だと、船外の様子はあまり伝わらず、重低音の船音と騒がしい同期の声が船内に響く。船室のカテゴリーに明確なヒエラルキーのある客船だからこそ、無骨な客室から船旅のロマンが醸成されていく。小綺麗な風景よりも、錆び付いた手すり

ただただ楽しんだ山【2015.03 金比羅山・星ヶ城山】

学部の同期と卒業旅行に行った。 行き先は香川県にある金比羅山、そして小豆島の星ヶ城山。 書くことなど特にない、ただただ楽しんだ山。 はたしてこれを登山と呼んで良いものなのか。 ぼくたちはたしかに、山に登りに行った。 しかしそれは目的でも何でもなく、たまたま僕たちの卒業旅行のうちの一つのプロセスにすぎなかった。 僕たちはたしかに登山をしたが、それはただの登山ではなく、ぼくたち同期にとっての旅のほんの一部分。 ぼくたち3人にとっての旅の場として、そこに山があっただけ

雨水染みこむ雨合羽を着て、水墨画のような景色を歩く【2015.02 額井岳】

登山前夜、知人に会うために尾鷲の地に降り立つ。知人というのは、夏に尾鷲で行われた速見林業主催の林業塾で知り合った友人のことである。尾鷲檜で知られる一大林業地、そのなかでも速見林業は別格の事業体で、林業界で知らぬ者のいないほどだ。そのときの塾生の同期が速見林業でインターンをしているというので、遊びに行ったという次第である。もう一人の知人、速見林業で勤めている若手技術者に駅まで迎えに来てもらい、3人で家へと向かった。古錆びたジープのがたつきが、尾鷲檜の山影によく響く。鉄の塊がエン

春一番がやってきた【2015.02 若山・太閤道】

春一番がやってきた。 上空にたなびく雲を眺めながら、 ほのかに温い風を身体で受ける。 地表へとはぐれた春一番は、 地表に生きるすべての生き物に春を告げて回っているかのようだ。 風の運ぶ春の匂いに、 私の身体のどこかにある芽生えの源が燻られる。 上空を走る春一番は、 いつまでも居座り続けようとする冬の一団を 問答無用に蹴散らしながら邁進しているかのようだ。 動かざる山を動かし、 静かなる林を大きく揺さぶる。 季節というものは 轟々とした風の力によって

四国って、こんなに近いのか【2015.02 飯盛山】

南海特急和歌山市行きの電車に乗り込み、大阪南部の山、飯盛山登山口に向かった。電車に和歌山市という、まだ行ったことのない地名が載っているだけで気分は高まるものだ。次は和歌山の山に登ろうかなと考えながら、登山口の最寄り駅で電車を降りる。そして即、登山靴がないことに気づいた。登山靴を積んだ電車はホームを離れ、和歌山市駅へと向かっていった・・・。私も登山靴を追うようにして、別の和歌山市駅行きの列車に乗り込んだ。 まさかこんなかたちで和歌山に来ることになるとは思いもよらず、ことの顛末

雨乞いの山で、雨に打たれさ迷う【2015.02 和泉葛城山】

大阪を他県と分け隔てる葛城山は2つある。奈良との県境に聳える大和葛城山、そして和歌山との県境を形成する和泉葛城山。当時の私は、和歌山県に足を踏み入れたことがなかったので、未踏の地を望むことができる和泉葛城山の山頂に強く惹かれ、雨天に包まれた雨乞いの山に登ることにした。 和泉葛城山は大阪側から眺めると、そう遠い山に感じず、距離感が近い感じがする。登山口の標高が高いということだが、それだけ大阪側は山の近くまで生活圏を広げたということを意味している。民家の裏側を行ったり来たりしな

6年後は干支の山と思っていたら、気づけばそれはもう1年後に【2015.02 牛松山】

昼下がりの頃合い、電車を乗り継いで亀岡駅に降り立った。偶然、写真で切り取った風景は、中東の乾燥した地域の川辺の景色によく似ていて、一気に気持ちは異国情緒へと引きずり込まれた。京都の中で京都を感じさせないその風景は、旅情を想起させるのに余りある雰囲気を醸し出していた。踏み出す一歩の足取りは軽く、どこか遠くの国の匂いがする。 牛松山は、干支の丑(牛)がつく数少ない山のひとつであるため、丑年の初登山に登りに来る人が多い。未年の2015年からすると6年後の話で、東京五輪も終わってい

先達手の足跡を辿る【2015.02 貴船山・鞍馬山】

寒気の流れ込む京都盆地よりもまた一段寒い京都北山、貴船山へと向かった。叡山電鉄というローカル列車に揺られながら、京都の町中の景色から雪の被った山並みへと風景が変わっていくのを眺める。この日は、大学1年の時に鳥取砂丘で出会った友人との山行だ。もう何回目かの雪山になるが、友人と来るとまた、一面真っ白な景色に佇む気持ちも違ったものになるだろう。それはきっと孤独とは別のなにか、だろう。 駅に降り立つと、スロープに霜が降りていた。薪ストーブの煙が風でなびいている。奥山らしい生活の香り

万葉の歌垣の光景に想いを馳せる【2015.02 歌垣山】

万葉の時代、男女が集まって互いに歌を披露し合う、歌垣という行事が開かれた。大阪の能勢地方にある歌垣山は、そうした歌垣の行われた場所の一つで、筑波山とともに日本三大歌垣山と称される。一際寒い晩冬の頃合いに、私は万葉に賑わっていたであろう山を目指した。 能勢町のバス停から1時間もせずして歌垣山の山頂に着いた。それもそのはず、町から離れすぎたところでは歌垣は行われまい。山頂部は平坦で広場みたいになっていた。地形的条件も広場的で都合が良かったのだろう。 往時の光景というのは、どう

水の循環、そして未知への好奇心【2015.02 加西アルプス】

霧の深い朝。古びた駅のホームに下りると、播磨下里は深い霧に包まれていた。太陽の日差しを遮るほどの深い朝霧。電車が霧の中へと走り去るのを見送り、同じく霧のなかへと歩いて進んでいく。まだ山影は見えない。 霧が晴れてきた。天気は快晴。さっきまでの霧が嘘だったかのように空は澄み渡っていた。土地のもつ水分量、地形条件、寒暖差、そうした複雑な自然条件の組み合わせが立体的に絡み合うことで、土地の気候はこうも劇的に移り変わっていく。霧は跡形もなく消えてしまったが、その土地の植物を潤し、そし

逢魔が時は秘密を抱えている【2015.02 中山連山】

逢魔が時までには下山をする。それが登山のセオリー。暗闇は足下の視界を悪くして転倒を促すし、登山道を見失う可能性を高める。したがって、逢魔が時までに下山するのは、登山ではセオリーとされ、また古来より言い伝えられている民間伝承の知恵でもある。 逢魔が時は妖怪が動き出す時間とされ、人々の暗闇に対する恐怖が妖怪の姿となって具現化されたのだと想像される。恐怖や脅威、自然の神秘や暴威、そういう抽象的なものを、神話や儀礼などの文化的な装置を用いて、理解できるかたちに変えることは人間の得意

生活と文化、そして自然による相互作用【2015.01 剣尾山】

大阪北端の山、剣尾山。京都や兵庫との県境付近にある山で、大阪とはいえど、土地柄は兵庫の丹波篠山の文化圏に近い雰囲気を感じる。修験の山とされるだけあって、岩場の露出した険しい山容をしている。能勢電鉄山下駅よりバスに乗り込み、登山口を目指した。麓には集落が広がっているため、生活の息づかいが感じられる。 修験の山とはいわれるが、標高は決して高くはなく、里山的景観の続く丹波篠山地域の延長にあるかのように聳えている。アカマツの分布が目立ち、広葉樹による二次林が広がっている。つまり、修

偶然に支えられた必然によって成り立つこの景色は、一体いつまで残る景色なのだろう【2015.01 金剛山】

卒業論文を提出した勢いそのままに、私は冬の金剛山へと足を運んだ。約2ヶ月間、山は我慢して机に向かっていたこともあり、山への情熱が静かに終え上がっていた。二日酔いのように身体に残るエナジードリンクの余韻を抱えながら、2度目の金剛山に相対した。 天候は雪。前回同様、石ブテ尾根より入山したが、前回とは異なり、この日はひとり、天候は雪。辺り一面の音を雪が吸音し、不思議な静けさが漂う。雪化粧した倒木も、何かの象徴として意味付をしたくなるような美しさを纏っていた。 自然というのは、偶