人間の階層構造(試論)②

議論的な「前回」のnote:これ

前回の議論をおおざっぱにまとめると、以下のようになる。

【人口に膾炙していそうな「人間二階層仮説」(仮称)】
「私」=「理性」+「感情」

【筆者が提唱したい「人間三階層仮説」(仮称)】
「私」=「理性」+「感情」+「本能」

これに当てはめれば、多少は自分の思念を分析する際、見通しが良くなるのではないか。

さて、これを拡張できそうな議論を、今日は持ってきた。「人間四階層仮説」である。(ネーミングが安直だという批判は甘んじて受け入れる)
結論から言えば、次のような仮説である。

「私」=「明思」+「暗思」+「感情」+「本能」

【語の説明】
明思:
 明確な根拠を持って「AはBだ」と説明できるもの。
 (例)1+1=2だ、人間はいつか死ぬ
暗思:
 根拠はゼロまたは部分的にしかないが「AはBだ」と思っているもの。
 (例)差別は良くないと思う
   (思っている当人は「この主張に理由はいらない」と思っている)
感情:
 その時々に合わせて人が抱く、一時的で主観的な志向性。
 (例)私はスイーツの絵を描くことが好きだ
本能:
 生まれたときから持っている、半恒常的・半通人的な志向性
 (例)生きたい、子孫を残したい、死にたい(澁澤龍彦いわく)

※各語の定義は暫定的で、検討を要するもの。

この分類方法のメリット

人間四階層仮説の特徴は、まぎれもなく「思考」をふたつに分けた点にあるだろう。根拠を持って説明できる「明思」と、思い込みに近い「暗思」。このふたつは明らかに違うものであるにもかかわらず、「思考」や「知性」などの呼び名で一括りにされてしまっていた。

さて、自分の思考をこの分類方法に当てはめてみることで、人は自身の考えていることが「明思」つまり根拠を持ったものなのか、「暗思」つまり根拠は持っていないが真だと思っていることなのかを振り返ることができるのではないか。

この分類方法の注意点

「人間四階層仮説」について、補足しておくべきことがある。それは「根拠がある≠正しい」ということだ。

たとえば、世の中にはいわゆる「似非科学」が存在する。水○水・ホ○オパシーなど、しっかりとした根拠がないのに世に蔓延っている製品や手法はゴマンとある。
※これらの批判をする目的は本noteにはないので悪しからず。これらを嫌っているのは私の「感情」「暗思」レベルであって、まだ「明思」はノーコメントを貫いている。

かかる似非科学を信じている人の中には、「しっかりと勉強したうえで信じている!」という人もある。また、ものによっては論文さえ書かれている。
……ということは、彼らにとっては紛れもなく、その似非科学は「明思」レベルで信じられるものなのだ。

「明思」か「暗思」かということと、「正しいか」「正しくないか」ということには、基本的に関係性はない。
これが本節にて読者諸姉諸兄に申し添えておきたいことである。

この分類方法の応用できそうなポイント

「人間四階層仮説」には、次のような特徴があるように思える。

・人間的な階層(明思寄りのもの)ほど、外部から書き換えられやすい
・動物的な階層(本能寄りのもの)ほど、生得的なものである

……ここから何か面白い論考が進められそうだと思ったが、今のところは何も思いつかなかった。

この分類方法の問題点

もちろんこれはまだ仮説の域を出ておらず、問題点が山ほどある。その一例を紹介しておく。

①A0という主張が「明思」だと確認するためには、根拠A1をはっきりさせなくてはいけない。とはいえ、もしそのA1が「暗思」だったならば、A0は「明思」ではなく単なる「暗思A1から派生した別の暗思」でしかなくなる。
そのA1が「明思」だと確認するためには、その根拠A2をはっきりさせなくてはいけない。以下略。
この議論を続けていき、どこかでこれ以上さかのぼれない「絶対的な明思」A∞にたどり着くことで、A0が本当に「明思」だったということが判明する。
……だが、「絶対的な明思」はあり得るのだろうか? 理由を要求せず、ただそれ自体として真であるA∞は、理由を要求しないという点において「暗思」と同じものなのではないか? この矛盾はどう説明するのか?

②「明思」「暗思」「感情」「本能」は、おそらく互いに影響し合い、形成し合っている。完全に独立した階層などは存在しないだろう。
……では、何かの思考を完璧に「この層に属する」と決定することは可能なのだろうか? 「感情的でもあり本能的でもある」などという中途半端な分類になってしまうことはないのだろうか?

③ある思考が「暗思」から「明思」に切り替わるときには、何が必要なのだろうか? (そもそも「暗思」と「明思」が截然と別のものでなければ、切り替わるも何もないのだが)

④もしかしてこれらの階層は螺旋階段のようにグラデーション様なものなのではないか?

最後の雑言

あまり多すぎない分量を、落ち着いて一歩一歩書いていく方が、筆者としても満足できるnoteになるのかもしれない。

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