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群れに入らないこと

こんにちは。

いつかの記事にも書いたような気がしますが、わたしは「特定の集団」に所属していたことってなかったと思います。
小中学生くらいの頃からあった、友達グループみたいなやつ。

仲がいい人がいなかったというわけではないんですが、「あの人いつもあの人たちと一緒にいるよね」みたいなのはなかったと自分では記憶しています。

空気は読めるがあえて読まないという自由

学生時代からずっとあったグループのようなものは、社会人になって、地域活動みたいなものをしているとかならずつきまとってきます。
わたしがグループ(群れ)に入らないのは、性格的に群れが向いていないからということもあります。

空気は読めるけど、読んだことで自分が我慢したりすることが多いと感じるので、それが嫌だから(笑)。
気になることや引っかかること、「これを言ったら空気悪くなるよな~、でもみんな感じてるんだろうな~」ということは率先して口に出してしまいます。
なのでLINEやFacebookなんかのグループチャットも基本、自分が必要だと本当に思うものでなければ参加をお断りすることが多くて、必要性がなくなったものは早々に退出してしまいます。

多分まわりからは「あの人って空気読めないよね、付き合い悪いよね」と思われているだろうな、ということに気づいています。

「どこにでも出入りできる」という自由

集団に属さないからといって、誰とも仲良くしない、というわけではありません。

必要に応じて、お手伝いとして集まりに入ったり、一時的にチームを組んだり、他の集まりの催しに行ったりなどももちろんします。
そのなかで仲良くなる人もいるし、特に武石の3号さんは気が合うしやりたいことも一致していることが多いので、いっしょに何かをやることがとても多いです。

けれど、いつも一緒と言うわけではないし、一人で十分やれることであれば一人でやるし、他のパートナーが良い場合はそちらを優先するでしょう。
おそらく互いに「利害が一致している」から、うまくやっています。

今まで見てきた傾向として、一つの集団に属していると価値観が固定されがちになってしまうというのもあります。
集団の外のことに目がいかなくなることも多く、その期間が長いほど他のことをやりにくくなってしまうように感じます。

わたしが属さないのはその集団の方針に同意できないとか、気に入らないとかではなくて、自分が自由でいるための選択をすると「属さない」という結果になった、というだけ。

わたしは好きなときに好きな場所に行って、自分の好きなことをやる。その時その時でさまざまな価値観にふれ、自分がやりたいことと利害が一致するパートナーはいないかな、と考えます。
同意が得られれば「共同企画」みたいな感じでイベント企画もします。

その過程で、様々な価値観を持つ場に顔を出せて、そこそこ互いのこともわかっていて、気軽に話せるという人が増えていきます。
将来的に、もし誰かが困っていたとき、わたし自身が仲介役となって利害が一致するパートナーを紹介できるかもしれない、という事も考えています。

いちばん大事なのは自分

わたしは自分がストレスに感じるものや無駄だと思うものは徹底的に自分の人生から排除したいといつも考えています。

それはなぜかと言うと、自分は自分の人生しか生きられないし、自分が幸せになることを真剣に考えているからです。
「幸せ」というのは人それぞれの定義があるのでわたしのやりかたが絶対に正解だとは思っていませんが、わたし自身は、ストレスなく、他人に振り回されず、自分で自分の人生を決めていくことが自由で、より幸せに近づくと信じています。

そのかわり、いつも親しくしてくれる人には誠意を持って関係を築きたいし、なにか相談などがあるときは真剣に対応したいと思っています。
その先で、「相手の期待に応える」と「自分の幸せに近づく」の条件が合致したときに、互いが嫌な思いをせずに同じ目標を目指すことができるのかな、と。

「あの人は空気読めない人だよね」なんて言わせておけばいいんです。わたしの人生はわたしのものですから。

参考書籍

ひろゆきの帯コメント、好きです。笑
ひろゆきの本も読みたい。

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