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【ぼくの地球を守って】モクレンとシオン 【尊い】

 「ぼくの地球を守って」を読み返した。昔の名作。素晴らしい作品。愛・SF・バトル描写などが素晴らしくて、わたしの大好きな漫画(というか本)。

(初めのころのお話は特に古さを感じやすいかもしれない。少しでも気になった方はぜひ続けて読んでほしい)

   読んでいて私は「これは道徳の教科書では?」と感じた。素晴らしい作品なのは確かだがそれ以外にも理由がある。まず、何かのやりとりについての、本人の「表現とその意図・起因」と、相手の「感じ方・捉え方」が全く違う場合があるぞということが丁寧に描かれているから。発信(もしくはもくろみ)と受け取り方の違いが、シオン×ギョクラン、シオン×モクレンの回想の諸所に描かれている…。「他人は自分とは違うことを思うんだ」という、当たり前だけど勘違いしがちなことを、再確認できる。あと他には、春彦の、「上質な愛により励まされて奮い立ち、止まっていた人生が進みだす」描写が、道徳的に感じた。ポジティブな心の動きをとてもリアルに感じ取れて、胸打たれた。

 以下、モクレンとシオンについて、自分の中で整理したくて書いてみた。整理しきれてないこともあるかも知れない。考察におかしいところがあると思われたなら、「それは違うのでは?」と教えてほしい。※以下、原作を読んでいないと全く伝わらない

 モクレンとシオンは、お互いに「愛されてない」と信じ続ける。結婚までしても「本当には愛されていない」と悩み、それでもそれぞれの愛し方を貫いて、結局死に別れる。

   モクレンは、"愛されていない(条件を満たす人なら自分ではなくても良かった)"と死ぬまで信じていた。『幸せなやつらからおこぼれをもらう』ため、子供時代に受けられなかった健全な愛を捧いでくれる人なら誰でもよかったと。そうシオンが思っているとだけ信じていた。お互いに「愛されてない」と思っていても、愛の語彙豊かなモクレンから言わせれば"たまらない魅力で私を締め上げる"から好きにならずにはいられなかったらしい。モクレンは相手が欲しがる「サージャリアンとしての愛」を心から捧げた。

 シオンに関しては、それに応じて自らも愛を捧げることはない。人にあげられるほどの愛を知らないのでは?モクレンのことを、ぎこちなくただ優しく扱ったようだ。
 そもそもシオンは、モクレンの本来の性格を知っているのだろうか。モクレンの内面上のこと、例えば、天真爛漫さや、「恋人を作る」計画のことを、シオンは知らない。シオン視点の回想の中でも、いまいち、サージャリアンとして以外の、モクレンのどんな人柄に惹かれているのか描かれてない。"(祖国滅亡から立ち直るのが早くて)意外だ"と惹かれていたり、後から"君がたまたまそう(サージャリアン)だっただけで…"とは言ってるが、それ以上具体的に「君がこうだから好き」とかは無いような…?今まで人を愛せなかったシオンが、モクレンのどんな彼女らしさを知っていて、惹かれていたのか。もしかしたら、シオンは、なぜ・どこが好きなのか、自分の頭の中ででも、感情が言葉として浮上しなかったのかもしれない(言語化してアウトプットするのが不得意かもしれない)。そして、「モクレンに心から愛されてはいない」と信じているので、サージャリアンとしての愛を求めることに留めているようだ。

 そんなふうに、奥ゆかしい愛を育んでいるが、二人はお互いに強く惹かれている。


 キャラの中で誰が好きかというと、圧倒的にシオンだ。彼の人生が厳しすぎて切なくてたまらない。シオンのキーワードの"早くどこかへ帰りたい"。これからもシオンの魅力が溢れる。「帰りたい」だけじゃないのがリアルだ。「どこか帰るところが欲しい」「でもそんな場所を自分は持ってない」。しかも「早く」!いつも緊迫して、辛さや不安が身に迫っていて、早く帰りたいのにどこにも帰るところがない。「早く」「どこかへ」という言葉それぞれに重みを感じて、胸が引き裂かれる。これもモクレンを締め上げた「魅力」…。(余韻)

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