少しだけ、齋藤徹さんのこと
(不遜ということはないと思うけれども)夕方、早めのお風呂を浴びて、ビールを飲みながら、お盆の季節だからだろうか、コントラバス奏者の齋藤徹さんのことを思い出していた。
昨年亡くなられてから、何か書こう、書こうと思いながら書けずに時がたってしまった。
僕はおそらく齋藤徹さんとの出会いがなければ笙という楽器を続けてはこなかったろう。
静岡からあらためて東京に拠点を移すべく引っ越したその日の夜に、初めての共演のオファーをしてくださったことをとても鮮明に覚えている。
僕自身も、かなり「変わった」笙との出会い方、向き合い方をしてきた、かなりアウトサイダーな奏者だと思う。けれど、その笙という楽器との出会いの個人としての、時代としての必然性を信じ、歩みを進めていく中で、不思議と、色々な人たちに助けられて、ここまで歩いてこられた。
その、人としてなぜ音を出すのか、そのいちばん大切な部分で、その時徹さんは僕の感性と響き合わせてくださったのだと思う。
今思えば齋藤徹さんはこの世界の「陰」の、華やかな世界からは忘れ去られかねない、けれど、忘れられてはならない大切なものを、音楽という美しさの一つの形の中に、語り継ごうとしていた方だったように感じている。
自身のレーベル「Travessia」の名の通り、旅人として、マレビトとして、多くの芸能、文化、ヒトビト、音楽を渡り歩き、忘れられてはいけないものを音というカタチに昇華して、形として残してくださった方だった。
まるで老子のように、微かな、かそけきものの中にこそある、この世界の太極そのものに耳を傾けているような音楽家だったと思う(ご自身でもよく老子を引用されていた)。
がんとの闘病(共生?)を始めてから亡くなられるまでの期間を、ワークショップのスタッフとして側で見させていただいた。
その中で、僕自身の中での反発や、色々な思いもあった。それも含めて、ほんとうに色々なものを見させていただいたと思う。
いま、あらためてなぜ音を出すのかということを僕自身が考えたときに、徹さんが引き受けてきた、名も無き美しいものたちの音色と響き(それは僕自身の中にもあるもの)にいま一度耳を傾けたいを願っている。
最後に、いずるばのオープンリハーサルの様子をあげてくださっているものを。徹さんと映っている最後の映像?だと思います。
徹さんのことはここには書けないこと・書ききれないことがたくさんありますが、少しだけでもと思い、書いてみた。今夜はここまで。
さて、これからどのような音を響かせようか。