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おにぎり二個

昼食に駅のおにぎり屋でおにぎりを買った。いろんな味のおにぎりが売っていて選ぶのが楽しく、たまに利用している店だ。小ぶりなサイズなので余裕で三個は食べられるのだが、「お腹いっぱいになりすぎる」と思っていくらと梅の二個にしておいた。本当はちりめん山椒も食べたかったが、あえて買わなかったのだ。

我ながらスマートな決断だと思った。自慢ではないが僕はかなり食い意地の張った人間だ。そして自制心の低さもかなりのものだという自負もある。夜中にちょっと一口と思って開けたお菓子をちょっと一口で止められたためしがない。僕にとってはこの世のすべてのお菓子が「やめられない止まらない」であり、「開けたら最後 You can't stop」なのである。

そんな人間が、三個は食べられるおにぎりを二個に抑えたのだ。しかもその理由が「お腹いっぱいになりすぎるから」だなんて。これはすごいことである。ちょっとしたトロフィーくらいはもらっていい行いだろう。いらないけど。

人知れず自分の人間的成長に感動しながら僕は列車に乗り込んだ。おにぎりは移動しながら食べた方がうまいとアインシュタインも言っている。流れゆく景色を眺めながら、厳選した二個のおにぎりをじっくりと味わおうではないか。

そんなことを考えながらおにぎりのフィルムを剥いていると、通路を挟んだ向かいの席に座ったスーツのおじ様がごそごそと動き出し、おもむろに革靴を脱ぎ始め、そのまま靴下も脱いで裸足になった。最悪だ。たまにいる蒸れた足を空気にさらしたいタイプのおじ様である。車輌だけならまだしも、まさか同じ列に座ることになるとは。

おじ様は素足の指を開いたり閉じたりして乾燥を促していた。ある程度距離があるので臭ってくることはないが、その視覚情報だけで一気に食欲がなくなってしまう。蒸れた足から放出された何かしらの成分が空気中を漂い、手元のおにぎりに付着するイメージが脳裏に浮かぶのだ。一度浮かんだそのイメージはなかなか拭い去ることはできず、さっきまで光り輝いて見えていたはずのおにぎりはみるみる魅力をなくし、ただの「食べなければならないもの」へと変化していった。

僕は思考を止め、感情を殺し、できるだけ「無」の状態で黙々と米の塊を頬張った。もはやそこに食事の楽しみはない。予定していた豊かな時間はおじ様、いや、素足さらしジジイのせいで台無しになってしまったのである。

畜生、ジジイ。覚えてやがれよ。ジジイの革靴の中にシチューを流し込んでやりたい衝動に耐えながら(手元にシチューもなかったので)、僕は奴が今後の人生で何かしらの報いを受けることを願った。残念ながら僕にできるのはそれくらいだった。

奴が報いを受けるとしたら、どのくらいのレベルが適切だろうか。命までとれとは言わないが、週に一度のゲートボールのみが楽しみという状況になった上で、そのコミュニティ内でうっすら嫌われるくらいのことはあってほしい。

神様、どうかよろしくお願いいたします。

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