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なすがままに

年々茄子が好きになってきている。子供の頃は、茄子のことは特に好きでも嫌いでもなく、そもそも眼中になかった。僕にとっての「茄子について考える」という行動の優先順位は恐ろしく低く、「消しゴムのカスを集めて練り消しを作る」や「石垣の隙間から出てくるトカゲを捕まえる」よりも遥か下に位置していた。

20代の時もそうだ。振り返ってみても、茄子についての思い出は特にない。「彼女との記念日に茄子を食べた」とか、「バイト中強盗に茄子で脅された」みたいなエピソードがあれば記憶にも残るのだろうが、そういった出来事は皆無である。もしこの世に茄子が存在していなくても、僕の20代の生活に特に変化はなかっただろう。

茄子のことを意識し始めたのはごく最近、30代に入ってからだ。ある日ふと「あれ?茄子、美味しくない?」と思ったときから急激に好きになってしまった。気づいてしまった、と言うべきか。なんの前触れもなく僕は茄子に夢中になってしまったのだ。それまで全く関心がなかったのに、突然に。僕の人生を漫画にするならば、「あれ?茄子、美味しくない?」の瞬間はでっかく見開きでお願いしたい。そしてそこで来週につづくのだ。

控えめで大人しく目立たないが、ぶれない芯を持っている。それが僕の思う茄子のイメージだ。高校時代は気づなかったが、後々考えるとあいつって大人だったんだな、と思うクラスメイトみたいな感じ。浮かれず騒がず堅実に生きていて、それがすごいことなのだと後から気付かされるあの感じ。それが茄子だ。なんてしっかりしているんだ。

きっと僕は、これからも茄子を好きであり続けるだろう。むしろ年を重ねるにつれ、より好きになっていくのだと思う。漬物、おひたし、焼き茄子……さまざまな顔を見せながらも、そのどれもが上品であくまで控えめ。それが茄子。麻婆茄子の時ですらも、「主役はひき肉ですから」的なスタンスを崩さない。それが茄子。そんな茄子の魅力に、僕はすっかりはまってしまっているのだ。今後も茄子から目が離せない。

僕がモニターが三つくらいあるコンピュータを使って、常に茄子の動向をチェックするようになるのも時間の問題かもしれない。


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