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4月28日シブヤの日の母とそれと...

夜眠る時の呼吸。
目を閉じて息を吸って吐く事を繰り返す。
ただ呼吸をするだけで生きていると実感する。
自分をこんなに見つめ直す時間があっただろうか…
あったかもしれないが日々に紛れて真実から逃亡していた気がする。
それに時計の針が様々な想いを掻き集めて『本当』ってヤツを常にどこかにやってくれていた。
ぼやけた日常はそれはそれで幸せだった。でも常に視界には霧が立ち込めていた。

外出自粛要請が出てからは、家族と向き合う時間が増えたかもしれない。
いや、僕はアルバイトに向かう。
だから時間は増えてないかもしれないけど、同じ試練に立たされた仲間意識からなのか、いつもより温度がある言葉で会話ができる。「この期に及んで...」とその事が情けなくも嬉しかったりする。

母との時間もそうだ。
母は今年77歳になったが、未だに現役で酒場を切り盛りしている。
僕が生まれる時に日銭を稼ぐために水商売を始めてから約41年間、渋谷でダウンタウンという名のBARを経営している。

今日は4月28日で「シブヤの日」らしい。
ゴロ遊びなら「ヨツヤの日」でもいいけど、
「シブヤの日」らしい。
僕は新宿で生まれ、1歳になる前に渋谷に引っ越してきた渋谷育ちだ。
でもこの町が好きでも嫌いでもない。

忙しなく時代に流され常に変化をしていく町は、僕の思い出の景色をいつもいつも消していく。友達だった皆んなもいつしか町を離れて今では少なくなった。
そんな自分には故郷がないような気がして、なんだか帰る場所がないような気がする。
ただ、「ダウンタウン」だけが変わらずにある。この場所が故郷などとは思いたくない。僕はこの店が嫌いだ。
でももし店が無くなったら、どんな気持ちが現れるのだろうか...
人の命は大切だ。
しかし店の命が途絶えたら、それも死を意味する。
なくなってしまったら、もうないんだ。
なくなってしまえと何度も思った。
これからも思うかもしれない。
でも、店があるから色々と思い悩むんだとしたら、在らなければならないと思う。ダウンタウンで沢山の人達と出会った。
ダウンタウンはもともと「ランタン」という名前に母がしたかったが、出来上がった看板が「ダウンタウン」になっていたらしい。
ランタンのような優しい灯を消したら、暗闇を母は歩けるのだろうか?
きっと大丈夫だけど、だけどがんばれ母さん。

コロナにめげるな。

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