小説を最後まで読みきれない問題

本は好きなんだけど、最近の悩みが本を最後まで読み切るのができないこと。
特に小説。

本屋で行っていいなと思った本を手に取る。
最初のページを開く。
なかなかいい書き出しだ。おもしろそう!
開いた時間に読めばいけるやろ!

数日後、

読むの飽きた

なぜなのか。

中学くらいまでは分厚い小説でも読めていたのに。
京極夏彦のレンガ本ですら読み切っていたというのに!

本を全て読みきれないというわけではなく、ビジネス書とかなら読めるのだ。
小説だけ読みきれない。

これのなにが問題かというと、
「前はできたのに…なぜできない!」という自己嫌悪が溜まってしまうのだ。
そうなると自分を信じられなくなる。

ビジネス書は読めて小説は読めない原因はなにか。

思うに、目的とゴールが分からないから最後まで辿り着けないのではないか?

まだなにも知らない中学生までならなにも知らないまま読んでいても楽しかった。
言葉がどんどん頭に入っていくのが気持ちよかった。

それが今は読書をする時には「なにを目的にするのか?」ということを考えなければならない。
世間的に大人の読書とはそういうものだと刷り込まれてしまった。

ビジネス書は仕事のより効率的にするためのノウハウを得るという目的がはっきりしている。
小説は「楽しむ」のが目的だ。
でもこの「楽しむ」が曖昧だ。

あとはビジネス書には「見出し」がある。
これは目的地、本の読み終わりまでの道案内のようなもので、次にどんな道を行くのか教えてくれる。
小説にも章ごとにタイトルがついている場合があるけれど、どんな道なのかは進んでみないとわからない。

イメージでいうと、ビジネス書は舗装整備された都市。
小説は山道。山によって道が舗装されていたり看板があることがあるけど、基本的には登らないとわからない。

昔はおそらく、葉っぱの色の違いや鳥のさえずりを楽しんでいた。
それがだんだん頭でっかちになってしまって無駄だと省いてしまった。
きれいな真っ直ぐな道しか認めない。認められない。
それでいいんだろうか?

小説のあらすじを説明できた方がいいのかもしれない。
山の頂上の景色を伝えられた方がいいのかもしれない。

でも途中で拾ったどんぐりについて語ったり、山の途中の景色について語ったっていいのかもしれない。

口コミで評判がよくても読み終わったら、登り切ったら大したことはないのかもしれない。
それでもいいなと思うことがあればラッキーだと思えばいい。

山に入って違うと思えば引き返せばいい。
今はまだそのときじゃないだけ。
途中の景色を楽しむだけでもいいかもしれない。


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