見出し画像

パチンコ自己紹介③

どうもディノです。

私がパチンコの発信をする中、なぜそのような思考になったのか?なぜ最初から勝ち組の椅子に座れたのか?ヒストリーを語っていこうと思います。どうぞお付き合いください。

※思い出した所で加筆・修正入ります。ご了承下さい。

1995年

大事件です!引っ越し費用を支払い、手持ちが2000円になりました。引っ越しを済ませた7月2日、ワンルームの部屋で私は途方に暮れていました。「家賃って先払いなのかー」と、知らなかったで済まされない致命傷を受けて四つん這いで項垂れていました。

契約の為に働いているコンビニも(無職では家を貸してくれない)給料日は25日。これは・・・やはりパチンコしかない。今も続く当時からの親友に、床に額をこすりつけてお願いしました。すると私は2万を手にしていたのです。驚きですね。

これならいける。パチンコ店に行ってハンドルを捻ることさえできればわらしべ長者になれると歓喜したのです。(本当はそんな簡単でありません)

何度か話に出してますが、私の地元はパチンコ店が11店舗も駅前にあり、今の自分の身の丈に合った機種選びができました。

選んだのは三共さん(現SANKYO)のフィーバーテキサスD(厳密にはDAIDOさんの現ビスティ)

大当り確率が1/211のノーマル機。この頃のノーマル機は1/200前後が主流だったので、このちょっとした確率の違いが釘の調整に大きな差を生んだのです。

予想通り勝負になる台を見つけ、その日は3万を手にして帰路につきました。

手持ちが5になり心にも余裕が出ます。今のワンルームにはTVと(貰い物)布団と机とタンス(実家から持ってきた)しかありません。時折やってくるホームシックを掻き消しながら、布団に横たわり低い天井を見つめました。

結論から言うとこの月は30万プラスでした。バイトも10万くらい収入があり、20歳の自分としては十分でした。そして家電一式を揃えました。(その時の電子レンジは今、現在も使ってます(笑))

今もそうですが当時の私たちの合言葉で

【物は残る】と言うのがあります。

パチンコで大金を手にして、あくる日の軍資金にしようだなんて戦略を立てていれば別ですが、手持ちが多いことは無駄に気を大きくします。また、貯金しても自分の頭で計算できるお金があるのは、下手をすると手を出してしまいます。

だから物を買ってしまうのです。

正解と言うわけではありませんが、もしパチンコで負け続けている人は1つの選択肢として考えてみてください。


そこからは新装開店やノーマルでの釘勝負。確変機の玉増えなどをこなし、着実に勝利を重ねていきました。この頃に時短機が出まして、エキサイトレディでは時間がある人は美味しい思いをしたことでしょう。(ボーダーが3倍くらい跳ね上がる打法が存在)

では今回はこの辺で。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?