パチンコ自己紹介②
どうもディノです。
私がパチンコの発信をする中、なぜそのような思考になったのか?なぜ最初から勝ち組の椅子に座れたのか?ヒストリーを語っていこうと思います。どうぞお付き合いください。
※思い出した所で加筆・修正入ります。ご了承下さい。
1994年
保留連チャン機が規制され、各メーカーが苦慮している中、生まれたのがノーマル機でした。1/200前後の大当たり確率・出玉が2300前後。
確変も時短も無い(当時、時短はまだなかった)確率で当たれば定量が出る仕様に私たちは狂喜乱舞しました。
これは現在のパチンコを打つ人は分かると思いますが、振り分けに悩まされないというのは期待値の振れ幅が少ないということに繋がります。良釘で長時間しっかりと粘れば、驚くほどに結果が付いてきます。
この頃、好んで打っていたのがフィーバールーセントという台でした。
疑似連もスーパーリーチもなかったのでとてもシンプルでしたが、大当たりの前後1コマ。もっと言うと関係ないところで停止しても当たる仕様に、リーチが掛かるだけでドキドキしたものでした。
この頃は始動口の賞球が7個返しだったので、回る台は玉持ちがよく、低投資で遊べました。
この年の6月に釘プラスアルファで勝つという台と出会います。SANKYOより販売されたフィーバーファンタジーと言う台です。
大当たり確率は1/220と他のノーマル機と大差ないのですが、電チューの確率変動を搭載した確変機でした。確変突入率は大当たり時の約18%。今までの保留連チャン機と大差ないので、当時は代替えなんて言われていました。
とんでもない!こいつはとんでもない台だったのです。
確変に突入すると電チューの開放は次回の当たりまで続き、玉を減らさずに次回の当たりを待てるので、実質的な連チャン機と言われていました。
ただそれは確変中を打ちっぱなしで消化した場合です。
電チュー開放タイミングは決まっており、
台枠のランプが6回点滅するタイミングで電チューが開く仕様でした。
(厳密に言えば電チュー開放も抽選なので開かない時もありました)
そして電チューは入賞個数関係なく2秒開きます。返しは前述の通り7個です。今の台で止め打ちを頑張る皆様なら、これがどういう事態かお分かりですね?付け加えるならば、大当たり確率は変わらないので次回の1/220に当選するまで続きます。
これに私は最初から気づき、美味しい思いをしました。最大で5000発、次回の当たりまでに増やしたことがあります。さすがに店員も怪しんでいましたが、何をしてそうなっているのか分からなかったのだと思います。
いや、ハウスルールで助かってたのかな(笑)
スロットで例えると次回当たりまで続くARTといったところです(じわじわ増えるので)
止め打ちと言う強力な武器を手に入れた私は、開放タイミングを狙えば損をしないことを学びます(もちろん自力で)
これは確変に限ったことでなく、大当たり中に次ラウンドまでのインターバルや(この頃、インターバルが特段あったのがフルーツマシーンです)通常の保留3止めなども無駄玉防止に繋がりますね(しかしこの頃は保留4の短縮が出始めたばかりなので、実際はそんなにやっていなかった)
収支表この時はまだつけていなかったのですが、働いてるわけではないので手持ちが増えていることに優越感をおぼえていました。
そして実家が裕福ではないので20歳になると同時に1人暮らしをする約束を母とします。
一人暮らし・・・ご存知と思いますが「無職」には住まいの提供をしてくれません(厳密にいえば方法はありますが)
私はここで週1でコンビニのバイトをします。オーナーが気さくな方で、事情を説明すると私が週○○で働いていることにしてくれ、それを不動産に提出しました。なんていうんでしょう。通るんですよね、審査。
結局は滞納しなきゃいいわけですし、保証人がいればいいわけです。ただし真っ当に働いて・・・なんて思考は当然なく、自分の腕一本でどこまでやれるかという期待しかありませんでした。
そして1995年。20歳になる歳にいよいよ1人暮らしを開始します。そして勝手にプロ宣言もします(笑)
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