母の死
1月8日はとうとう母の意識がなくなったという姉からの電話で始まり、
それからほどなくして妹から母が息を引き取ったという電話があり、
私は娘たちを抱きしめた。
それからできる家事を一通りやって、
あとは夫に任せて、
1人だけ埼玉に戻る準備をして夫が作った昼ごはんを食べてから、
鉄道で岡山に向かった。
岡山から新幹線に乗り換えた。
三連休、また冬休みの最終日らしく、
新幹線の指定席は満席だったらしい。
私は最初から自由席にのるべく、岡山でバンバンくるのぞみを惜しげもなく2本見送って、窓際の席を悠々とゲットした。
自由席、座る為には見送るべし、
という教えは子どもの頃埼玉から兵庫に、子どもだけで帰省する際にホームまでついてきてくれた父からの伝授だ。
母と新幹線に乗った記憶はない。
ずっと車窓をみていた。
幼い頃から馴染みがある姫路城をみてホッとして、
新大阪をすぎたあたりで少し眠っていたらしい。
目を覚ますと滋賀に入っていて、
雪を被った伊吹山の存在感に、厳かさを感じた。
滋賀の人は琵琶湖だけでなく、いい故郷の御山をもってらっしゃる、と思った。
ヤマトタケルはこの冬の伊吹山で、大きな氷のイノシシを落とされて絶命した、と昔、学習マンガで読んだ。
なんと、積雪日本一の記録はこの滋賀の伊吹山麓らしい。知られざる豪雪地帯なんだという。
車窓の雪景色は滋賀だけだった。
滋賀をぬけて、
名古屋に向かうときに
北西の遠くに、
白い雪をかぶった山が見えた。
とても綺麗で、初めて見る山だった。
直感で「加賀の白山ではないかしら」と思い、Googleマップで見てみたら、恐らくそうらしかった。
北陸にはあまり縁がない。
地理にも疎いが、なぜか白山だと思えたのは、白山が修験道の霊山として広く信仰をあつめているのを知っているからだった。
霊山に相応しい美しい御山だな、と遠目でも感じた。
名古屋を過ぎたあたりで、自衛隊らしき輸送ヘリを上空に見た。
小牧基地から、北陸の被災地に向かうのだろうか。
傷ましい別れが、現在進行形であの白山の向こうで起こっている。
交通に乱れなく運ばれていく自分の立場が、
申し訳なくなるような。
年を越えることができた母に北陸の惨状はあえて知らせなかった。
羽田の事故も、知らせなかった。
身体が終わりを迎えるようなしんどい人には
不安を与えるしかないからだ。
あちこちで起こる傷ましいことが、
一日も早く癒える方向に向かって欲しい。
あのヘリに乗ってる人たちも、
どうか無事に任務を終えておうちに帰って欲しい。
母が逝った日の西日は、
浄土の光のような金色だった。
7時間余りの鉄道の旅を終えて、
実家にたどり着くと、
まるで眠っているような母がすっかり綺麗にしてもらって横たわっていた。
20日間もいたんだから、あのまま高知に帰らなければ良かったのかもしれない。
でも、こうやって、母のもとにたどり着いただけでも恵まれてる。
身体はいのちを止めても、
魂はこの世にしばらくとどまり続けると、
なんちゃって仏教徒の私は思っているので、
母に話しかける。
聞こえてると思う。
43年も私のお母さんでいてくれてありがとう。
もう痛くも苦しくも怖くもない。
ゆっくり休んでね。
少し間に合わなかったけど、
しっかり見送るからね。
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