見出し画像

愛されなかったことはもういいよ。あるものを与えよう。

愛されるのは強いんだな。
愛されない人が弱いとかそうじゃない。
愛される人は強いんだな、ただそう感じるだけだ。

誰かが書く親子の微笑ましいエピソードを読むと、そこには家族への優しさや愛おしさが溢れている。「素敵だな」と心が温かくなるのと同時に、嫌な感情が湧いてくる。なんで私は大切にしてもらえへんかったんやろ。この人たちと何が違うんやろ。なん…

はい、ストップ。

ここで突然の「眠気」が襲ってくる。現実の嫌なものをシャットダウンしようとするとこうなる。家族に愛されている人が「滅びたらいい」なんて思わない。幸せであるのが一番。特に子供は、親や周りに人に愛されて然るべき。私の場合、アイキャッチ画像に貼った写真の時が一番、可愛がられていたような気がする。(眉毛が両津勘吉みたいになってるけど)

大切にされるのが当たり前で、肯定してもらい無条件に愛してもらう。これほど心強いことはないと思う。自分が何をしても、間違ったことをしても、叱ってそばにいてくれる。もちろん、どんな家族にも悩みや問題はあると思う。だけど安心感というのかな。そういうものが心の根っこにある人たちは、地に足がついている感じがする。

だけども、30過ぎの大人が「親に愛されたかった」とずっと嘆くのはいかがなもんかな。実際に親が愛してやろうと言ってくれても、私は首がちぎれんばかりの勢いで拒否する。欲しかったものをくれなかった親に対しては、もういいねん。怒ってもないし、恨んでもない。

貰えんかったもんはしゃーない。多分これからも、家族に愛されている人を見ると羨ましくなると思う。嫌な思い出も感情も、洗濯してキレイにできたらいいのにって思うけど、そうはいかないな。

私が今、できることは自分と周りの人に愛情を注ぐことなんかもしれない。

・相手にとっても大切にしたいと思われる友人になる
・旦那さんの家族を、自分の家族のように大切にする
・自分が親になったとしたら、私が子供の時にして欲しかったことを子供にしてあげたい
・旦那さんとそれぞれ楽しく好きなことをして、
思いやりを持って健康に過ごす
・自分がしたいことを頑張る
・ちょっとずつ自分を好きになる

もしかすると愛されるのが強いんじゃなくて、愛する側と愛される側の両方の思いが通じ合ったら、「愛情」が発動して強い想いになるのかもしれへんな。

この記事が参加している募集

最近の学び

サポートありがとうございます。