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文章が書けない時期とライク

書きたいことがいっぱいあるのに、書けない。

ワクワクして机に向かうも、その5分後には「どうせ書いても無駄」とパソコンを閉じる。誰も読まない、興味ない。書いて何になるんやろう。私が書かなくたって、色んな人がもう書いてるやん。ライクやフォロワーさんも急に増えたり、減ったり。

数は気にしないでおこうと思いながらも結局、数に振り回されてる自分もイヤだ。ライクで自分の価値を決められているみたいに思う。そうじゃないのは分かっているけど、ライクは一番分かりやすく目に見える評価だから一喜一憂してしまう。「ライク」という機能を好きになれないな。

大好きな『ラプンツェル』、『枕草子』や海外ドラマ『This Is Us』のことを書いてもライクが少ない。だから書きたくても書かない。

気持ちや考えも、答えのないまま書いて投稿したらアカン。ネガティブな想いも、読む人は鬱陶しいかもしれないから書いたらアカン。なんでそう思うのか根拠なんてない。全部、自分の思い込み。自分で勝手に色んなことを決めつけて、制限をして、ひとりで諦めてる。

人気な人たちの文章を読んだ時は、「私も早く書かなきゃ、置いていかれる」と焦ってしまう。

投稿しないと落ち着かない
ライクがないと不安

たったそれだけの理由。

文章がうまくなりたいから、もっと自分の想いを聞いてほしいから、毎日投稿していた時期もある。でも「毎日投稿すること」が目的になって、文章の質が落ちた。自分でも満足しない結果になったのに、また同じことを繰り返している。

私は何をしているんやろう。
数年前から何も変わってへんやん。
何のために文章を書いているんやろう。

自分の存在を「認識」するために書くんじゃなかった?大げさな言い方やけど、私にとっては大切なこと。人生の半分以上の記憶がおぼろげで、自分がここまで生きてきたのか不安に思う時がある。

だから日々思ったこと、好きなことを書き残していきたい。それで1年後かもっと先で読み返した時に、自分の大切な思いを再認識したい。

それなのに、「書いても無駄」と思うのは矛盾してる。

文章を書くのを辞めるべき?
ううん。それは辞めたくない。
SNSが無かったとしても、誰に読まれなかったとしても、書く。

私の旦那さんも作り手さんだから、創作の悩みを話す。

「Mai、どっちかしかないよ?人にウケる題材をとことんリサーチして、自分の『好き』より人が好むものでライクをもらえる記事にする。もしくはライクは少ないけど自分が書きたいもので、表現したい気持ちを試行錯誤して、誰かに聞いてもらえるかたちにするか。ただし、どちらも『考える』部分はめんどくさい作業やで。どちらもしたくない、はただのワガママ。」

「数は多いほうが勝ちみたいになってるやん。だからライクは気になる。ほんでも…同じめんどくさい作業するなら、私はライクが少なくても自分が好きなもの、情熱を持っているものについて書きたい。」

「じゃあそうするしかない。書かなかったらゼロ。書けば1になる。Maiの思う勝ち負けで言うなら、Maiはフォロワーさんが多い人に、どころか、1の人にも負けてることになるで。」

いつもこのトピックになると、夫婦で3時間くらい話している。私は自分の考えがまとまらず、床でゴロゴロしながら唸る。

旦那さんと話して分かったことは3つ

・書くことは辞めたくない(たとえSNSがなかったとしても)
・自分の好きなものだけにもう少し目を向けてみる(今まで中途半端にチャレンジしたから、今度はとことん好きなものを書いてみようと思う)
・数は気にしてしまうのと付き合っていく(だけど、今のような悩み方は止める。どう向き合うのかはまだ分からない)

今日から1年後の私は、このnoteを見てどんな想いを持つのかな。

サポートありがとうございます。