見出し画像

12月の寂しさの正体

ここ3年くらい、12月になると「自分が世界でひとりぼっち」だと寂しくなる。

実際はひとりぼっちでもない、どこにも行けないわけでもない、美味しいものが食べられないわけでもない。楽しいことがないわけでもない。

この寂しさは、次の段階に進めってことだと思う。旦那さんの言葉がヒントになった。

「なんでそんな、できない自分から入ろうとするの?それはMaiの成長の妨げになっている。いっぱいできることあるやん。」

私は自分のできないことを数えて、辛い記憶ばかり振り返っている。それらを上書きしようと、忘れようと、12月は自分なりに楽しい思い出を作ろうとした。その考えがそもそもズレていた。

次の段階に進むためにはまず、記憶の仕分けをしないといけない。そうするために自分の中にある、家族との良い思い出にも目を向けてみよう。その思い出と今の良い思い出は一緒にしよう。そうすれば辛い記憶も少しばかりは和らぐのではないか。

:

この時期はどこを見てもクリスマス一色。カナダのクリスマスは、日本にとってのお正月と似ている。離れて暮らす家族が集まるからたくさんの食材を買い込み、クリスマス商品を家族で選び合い、サンタと写真を撮る子供たち。それを見守ったり、声をかけたりする親の顔はみんな幸せそう。

それを横目に「いいな」と通り過ぎる。私にだって旦那さん、旦那さんの家族やカナダの優しくて温かい家族がいる。それで充分やのに、12月がやってくると、「早く過ぎ去れ」と思ってしまう。

数年前の12月に実母が亡くなり、父親に「しょーもない女」だと罵られてひとりで食べたクリスマスケーキ。それが私が家族と過ごした最後のクリスマスだ。

こんな記憶のせいで、今の良い思い出たちがかき消されている。それって結局、私は過去から前に進めていない。

卑屈な自分が快適で、あえて辛い記憶に目を向けてへん?もう言い訳は通用しないんちゃう?

:

子供の頃は、両親や弟や妹たちとクリスマスツリーを飾り付けた。父がおどけて下手な英語でクリスマスソングを歌って、弟や妹が変な動きのダンスをする。みんなでお腹を抱えて笑った。

イブには年の離れた兄たちが帰って来て、みんなで食卓を囲み、ケーキを食べて映画を観た。クリスマスの朝には枕元にプレゼントがあって、サンタが来たと大喜びした。普段は怒りっぽい父が、その時ばかりは「良かったな〜」と私の頭を撫でて、一緒にプレゼントで遊んでくれた。ほんま、どこからうちの家族は歯車が狂ってしもたんやろ。

辛い記憶と良い思い出を一緒の箱に入れたくない。その中には、人の無条件の愛情や優しさがたっぷり詰まっている。辛い記憶で良い思い出を薄れさせたくない。

自分の家族と今の家族は全く別物だ。

新しい良い思い出ボックスに、子供の頃の家族との楽しかった記憶も入れよう。辛い記憶は全部、辛い記憶ボックスに収納しよう。

そうすることで初めて、クリスマスを楽しく過ごせる気がする。辛い記憶ボックスをたまに覗きながらも、自分にはこれだけの良い思い出もあると思えばいい。

そうやって良い記憶ボックスに、これからも素敵な思い出を詰めていけると信じたい。

この記事が参加している募集

最近の学び

サポートありがとうございます。