見出し画像

計画性と変容性、どっちが大事?

「未来」を見据えて、「現在」において行動する。

そんな「計画性」が、社会のあらゆる場面で求められているように感じる。

学生の頃は、受験などの進路に向かい計画的に勉学や部活動を進めることが理想とされる。

社会人になれば、自らの仕事の「結果」を計画的に生み出していく必要に迫られる。プライベートでも家事や家計の切り盛りを計画的に行わなけらばならない。

何事も、誰しも、「計画的でなくてはならない」というスローガンに占拠されているようだ。

しかし、そもそも計画は、そこまで信用できるものだろうか?

人類の脳みそと最新技術をもってしても、やはり予想外の災害や事件は起こるものだ。

まして、1人の人間が自らの将来を想定するなど、ほぼ不可能だ。
計画は多少なりとも、破られるものである。

もちろん、刹那的に生きるより、計画的に生きようとすることは、素晴らしい努力であることは間違いない。

ただし、自分が想定した計画に夢中になりすぎると、その後で「計画通りにいかなかった」とがっかりすることになりかねないのだ。

重要なのは、「計画通りではない未来」を受け入れる余裕を自分に残すということではないだろうか。

余裕を持つためには、「未来への保険や投資」と「現在の自分の満足」この2本柱を平等に大切にするべきだ。
どちらかだけに偏ると、拠り所が1つの柱になってしまう。それでは、心身が安定しない。

どうも、先行きの見えない不安なご時世ほど、「未来への保険や投資」に偏る傾向がある。
おそらくその理由は、リスクへの恐れが強まれば、本能的に未来に備えるようにできているからだ。

しかし、「先行きが見えない」ということは、計画が外れやすいということでもある。未来に備えすぎても、その予測は裏切られる可能性が高い。

であれば、思い切って「今の自分の声」に従うのも手だ。

「(未来に)どう成りたいのか」と自分に問うても答えが出ないなら、「(現在に)どう在りたいのか」と自分に問えばいい。

計画を外す、遊び心や余裕を持つことで、思いもつかなかった未来の可能性が開けることだってあるだろう。

計画性だけが正解ではない。
行き当たりばったりと揶揄されるかもしれない「変容性」も、同様に持ち続けるべきものであると思う。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?