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人生の最後に求めるもの

こんにちは、オグリーナ・ジョリーです。
連休を使って地元秋田に帰省してきました。母の長年の夢叶って絶賛リフォーム中で、雪が降る前に全てを終えるべく大工さんも大忙しのご様子でした。

床の張替え工事にあたり、2ヶ月ほど祖母(93歳)が老健(介護老人保健施設の略称。療養型と異なり自宅に戻る前提の施設)に滞在したわけですが、帰ってくるや立て続けに問題が発生し娘の緊急招集に至りました。

祖母について

定年まで東京で一人暮らし、看護婦をしていました。祖父は私が産まれる前に亡くなっているのですが、他界後に秋田の土地を出て上京(かっけえ)。幼少期はたまに帰ってくる都会のおばさんといった感じで、定年後も畑や手芸に没頭、日々の食卓や洗濯も私たち家族とは別々。多少耳が遠かったり、足が痛かったりしますが、今回の帰省中も自ら買い物をし、自炊し、私がプレゼントした手袋をして「可愛い〜」と着けたところを見せて散歩に出掛けていました。頼れないのか、自立なのか、どっちでも良いのですが家族仲は至って良好です。

老人ホームについて

老人ホームと一口に言っても、大きく4つに分けられます。こちらのサイトが分かりやすいので、ここでは詳細については割愛します。 

元気と言えど93歳なので”老健”と呼ばれる介護機能のある施設で2ヶ月暮らすことになりました。管理された食事、配膳不要、洗濯不要、掃除不要、決まった時間におやつと座ったまま手足を動かす運動タイムがあったそうです。それなりに楽しんだようですが、帰ってきた祖母はほんの少し痩せて、わずかに足腰が弱くなり、家の中でも杖をつき始めていました。介護施設の役割についても考えるきっかけをもらいました。

高機能の功罪

共同生活・上げ膳据え膳の老健暮らしは快適だったようです。しかし、それに伴う筋力の衰えは、歩行〜排泄まで影響し老いを加速させました。併せて、最近の紙パンツがCM通りサラッと吸収・ムレゼロで悪気なく失敗に気づけません。これが私たちの生きるリアルです。

「家族感」について

そんな訳で、両親とも老後について話す良い機会になりました。リフォームしたと言うことは、私たち姉弟のところには来る予定はない?体力的に豪雪の中で暮らせなくなったら?老人ホームについてはどう考えてる?などなど。
個人的にも関心があり、最近フォローしている老人ホームのインスタを見ながら、今思ってることをダラダラ話したりしました。そんな折、あるシェアハウスのアカウントを見ている際に母から「ここは家族感があっていいわね〜」と言う言葉がでました。

「家族感?家族ではなく?」

うちのおかん曰く、どんなに経済的に余裕があっても1人部屋にこもってしまいそうな環境は望まない、子供たちも3ヶ月に1回会いにくる程度と予想(今は盆正月だけなので反省!)、お友達や父だって同じように時間を重ねる中で当然別れもでてくると。そんな中で母が反射的に言葉に出したのが「家族感があって良い」と言う表現でした。

私たちが人生の最後に求めるものは何なんだろうなぁ。帰りの新幹線は、早く感じましたとさ👋

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