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水島新司と日本野球〜水島野球マンガの予言的世界(80's)〜

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80年代のプロ野球と高校野球で起きた出来事を、水島野球マンガは事前にどう予言していたのか? 有料設定にしていますが無料で読めるものも多いです。
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2021年2月の記事一覧

《時代とシンクロした水島マンガ》球団身売り、というこれ以上ないドラマ装置

 1988年10月19日。この日は、パ・リーグにとってあまりにも運命的な日としてファンの脳裏に刻まれている。  ひとつは、ロッテ対近鉄の球史に残るダブルヘッダー「伝説の10.19」が起きた日として。この試合の生中継を急遽決めたテレビ朝日は22時からの「ニュースステーション」が始まってもこの試合をそのまま放送。最高視聴率で00.00%を記録した。それまで、閑古鳥が鳴くことが当たり前、とされたパ・リーグ人気の潮目はこの日を境に変わったのではないだろうか。  そしてもうひとつの

【水島予言#09】1969年から続く、水島新司の“スイッチ投手”論

 かつて、「左右両手投げ」としてプロ野球でプレーした投手がいた。南海と阪神に在籍した近田豊年だ。野球界で「二刀流」といえば投手と打者の両方でプレーすることを意味するが、いやいや、こっちこそ本当の二刀流である。  近田はもともとが左利き。ただ、少年時代は右利き用グラブしかなかったために右でも投げているうち、気づけば左右両方で投げられるように。高知の名門・明徳高(現在の明徳義塾高)では“左腕投手”として83年センバツ大会に出場。その後、社会人の本田技研鈴鹿を経て、87年オフに南

【水島予言#08】1981年、まだ東京ドームもない時代に描いていた札幌ドーム

 昭和の終焉も近いた1988(昭和63)年、後楽園球場に代わる読売ジャイアンツの本拠地として、日本初の全天候型球場である東京ドームが完成。記念すべき「球場第1球」は3月18日、前年に巨人を引退した江川卓がライバルである阪神・掛布雅之に投じた引退セレモニーだった。  “昭和の怪物”が投じたこの1球が時代の節目になったように、平成の世になると93年に福岡ドーム、97年には大阪ドームとナゴヤドーム、99年には西武ドーム、01年には札幌ドームがそれぞれ開場。ドーム球場の増加にあわせ、

《時代とシンクロした水島マンガ》 桑田&清原と里中&山田。影響を受けたあった甲子園最強コンビ

 甲子園通算本塁打歴代1位の13本、清原和博。  戦後ただひとりの甲子園20勝投手、桑田真澄。  甲子園100年の歴史上、投打で最高の記録を残した2人がいたのだから、80年代PL学園が強かったのも納得だ。  清原の13本に次ぐのは、桑田真澄、元木大介(上宮高)、中村奨成(広陵高)の6本と、実にダブルスコア。甲子園の歴史における数ある個人通算記録のなかでも異次元の数字であるのは間違いない。  そんな清原以上の成績を残したのが山田太郎だ。成績を見比べると非常に似た傾向であること