オリジナルの旅は長い
何者かになりたくて
何者になれる気がして
今を必死に頑張る
そう思いながら
毎日を過ごしていませんか?
元々
オリジナルというものはなくて
オリジンといわれる
起源や基礎という所の発展だと思っています。
要は
オリジナルや何者かになりたいと
人と違う事をしていても
なんだかんだで
何かの起源がなければ
発展できないという事です。
ここで例えば
誰かのコピーをしている事が重要なのか?
になります。
環境要因によって
元々持っていたものが
調和型になってしまう日本にいると
コピーをする事=その人みたいになりたい
そうすると
ロールモデルを探し始めます。
そして
僕的には
近くにいる人を憧れに持つと
その人の一挙手一投足に注目して
そのまま終わる、、、、
と思うんですね。
では
この矛盾をどうクリアするか?
コピーをして
そこに自分のスパイスを足し
最終的には
オリジナルに変えていく
その過程で
大枠と言われるものを作る。
方向性を考え
その中で必要な題材、もしくはその課題の時に
必要な知識、思考を誰かから学ぶ。
という事です。
ここで重要なのは
大枠とはどこからどう作っていくか?
です。
そこで自分が目測としてるのが
の内容から咀嚼して考えていきます。
7段階に分かれてる所を
大枠として捉えます。
それを
仕事観、人生観に落とし込み考えるといいのでは?
というのが僕の見解です。
幼年期
少年前期
少年後期
青年期
壮年前期
壮年後期
老年期
という風に分けていきます。
ここからは
要約していこうと思うのですが
幼年期で大事な事(7才頃)
▼
その時に必要な風情や嗜好を辞めさせずに伸ばしていく
ここの視点は教える側になると思いますが先ほどのコピーを作ろうとすれば教える側の許容から出ることはない。
少年前期で大事な事(12〜13才頃)
▼
その時にある花が最大限に良く見える。本人の頑張りではなくその時に体現できる事が評価されやすい。この時に評価された物がその後の人生を決める事ではない。
若い時に評価される事は才能ではなく、
若さ×勢い という事もある。ここに甘んじず成長する事がここからの成長のスピードを決める。
少年後期(17〜18才頃)
▼
能的なことで言えば「声変わり」などの変化があり、紆余曲折が身体に起こるという事であるが、普段の生活では自由な時間がなくなったり、思い通りにならない事が増えてくる。そんな中で才能がないと諦めるのではなく、耐え凌ぐ為に挑戦や努力をやめない、腐らないという事が重要。
青年期(24〜25才頃)
▼
「されば、時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になお遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷いて、やがて花の失するをも知らず。初心と申すはこのころの事なり」
新人であれば周りからすれば目新しく人気があるかのように見えるがこれは目新しいという事だけである事もあるから初心を忘れず成長する。
壮年期(34〜35才頃)
▼
「上がるは三十四−五までのころ、下がるは四十以来なり」
生き方、進み方をそれまでの人生を振り返り考えていくという時期になる。自分にとって何が大事なのか?行く末を見極める。ということ。
壮年後期(44〜45才頃)
▼
「よそ目の花も失するなり」
ここは後継者を育てようってことになりますがこの辺から現代での考え方としての捉え方を変える事が重要かと思います。
後継者を育てる=自分がラクをするという方向に向かいやすい。そうではなく、育てながら自分も行動するという事。その辺は後継者できると自分がバイアスに動けるという事に気づく事が重要。
老年期(50才以上)
▼
「このころよりは、おおかた、せぬならでは手立てあるまじ。麒麟も老いては駑馬に劣ると申すことあり。さりながら、まことに得たらん能者ならば、物数は皆みな失せて、善悪見どころは少なしとも、花はのこるべし」
この文言には少しハテナですが、50才過ぎたら何もしないという事だという事ですが、、、ここはまだ理解出来ません。
ただこれを素直に実質年齢に
重ねる事が重要ではなく、自分のフィルターに
通す事が重要だと思います。
100年社会で50才であればそれを
2倍して計算してもいいし
自分が新しく始めることに対して
当てはめてもいいだろうし
捉え方は人それぞれだと思います。
何を基準にして
そこをどういった文脈に落とし込み
必要な物や学ぶべき
目測をとらえる。
そういった事を繰り返すことにより
オリジンから
オリジナルに変わっていくのではないか?
そして
ロールモデル×自分の価値基準
を、組み合わせていく事が
大事になるので
オリジナルの旅は
モチベーションとテンションと
折れない心を持つ事が重要です。