
没頭する事により時間が短く感じる。
無駄に一日が長いと感じる事はありませんか?
もっと言えば1時間が長いと感じることや
暇を持て余してしまうときはないですか?
人間は暇を持て余してる時が実は一番危ないんじゃないでしょうか、、、?
何故か、、、?
人間の脳は暇になるとそれを埋めようとしてしまいます。
その時に
その埋める内容は脳が決めるわけではなく
自分自身の潜在意識から出て来ると思っています。
選択と集中という言葉がありますが
受動的にものごとを捉えていると
自然と選択できる範囲も
受動的になりやすい。
それは例えばメディアの情報やドリームキラーの人達の考え方などが自然と入ってくると思ってます。
そうなると
暇の使い方は大多数のの人達が同じような行動になりやすい。
そうすると心理学的に不安を煽り消費を促したり、間違った情報を与え信じさせるという事も可能になりますね。
また
能動的にものごとを捉える視点を持っていれば能動的に行動しやすい。
いや、、、
もっと言えば自分なりの定義で行動を起こす事が出来るということになる。
世の中には受動と能動があるという事は
大多数は受動的な動きになるという事は能動的に動ける人はより排他的な扱いになりやすいということもあるという事です。
これが今の世の中で課題になってる多様性の大きな道筋ではないか?と思ってます。
例えば
一つの物事に集中していると他の物が手が回らない。
本人としては集中しているものがあるからそれを淡々とこなしているが
周りからしてみれば他に気が回らないやつ。という見え方になります。
それが空気を読むという事なのではないか?とも最近思うのですが、、、
論理的にこの考えはどうなんでしょう?
みんなが同じ動きをする事が正義であれば一つの考えが壊れた時には
全てが崩壊に向かうと思います。
それでも
今まで人間が生き残ってるのは
今までの歴史の中で全員が同じ動きをするだけで生き延びてきていない。
中には必ず能動的に動き周りと違う動きをしている人がいたという事になります。
ただ、、、
ここで重要なのは
没頭するという事であり周りを考えないというの事が大事ということではなく、自分の没頭できるものを探すということです。
時間は人にとって有限であり、誰にとっても持っている財産であるということ。
それを長く感じるか、短く感じるか?
この要素は非常に大きいのではないか?と考えます。
暇を持て余してしまうと自分の事に集中できない状態が続く。
よって人の事が気になってしまう。
また自分の暇な時間を誰かに助けてもらいたいと考えていく。
要は周りに対して足を引っ張り始めるかもしれないという危険性が高いという事です。
逆に
没頭するものを見つけ時間が短いと思ってる人に周りを邪魔するという余裕は一切無くなります。
まして時間が足りないという自覚があるので有限に時間を使い倒すという方向になると思います。
そうなっていけば
自ずとやるべき事やらない事などが見えてくるのですがここが実は一番難しい。
理解されづらい所だと思います。
人は自分と違う人や自分が見えない事に恐怖を覚えやすいと思います。
アウトプットしているが何をしているか分からない人
アウトプットしないで何をしているかわからない人
という二つが出て来てると思います。
話をしてもなかなか伝わらない事も多いと思うし
語彙力のお互いのズレから
伝わらない事もある。
だから
僕は文字に起こして書いているという所もあるのかなーと最近思ってます。
最後まで読んで頂きありがとうございます😊