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説明可能性と、捉える実感

昨年出版した拙書「考える脚」が、第9回 梅棹忠夫 山と探検文学賞に選ばれて受賞することが決まった。授賞式は6月の予定。

読んでない方は、是非読んでくださいねー!北極点無補給単独徒歩、カナダ〜グリーンランド単独行、南極点無補給単独徒歩、3つの遠征を収録しています。

今日、その受賞の絡みで雑誌の取材があった。これまでもたくさんインタビューは受けてきたが、人から質問を受けるというのは、普段自分の頭では考えないことを考えるきっかけを与えてくれるので、私はとても楽しい時間と捉えている。それが、インタビューの聞き手が良いと尚更だ。

今日のインタビューは、とても良い時間だった。自分の頭で考えることとは違う角度で質問を受けることで、それに答えるために「そうか、自分でもこんなこと考えていたのか」と発見がある。

今日の質問の中で、自分でも新たな答えを発見したことがあった。それは、まず、受けた質問が「荻田さんが冒険に出るための準備で大切にしていることは何ですか?」というものだった。この前にも一時間くらい話しているので、その流れの中での質問に意味があったのであるが、その質問に対して、私は少し考えた。

少し考えた後に、私はこう答えた。

「すべて、他人から聞かれても、その答えを説明できるかどうか、ですかね」

「それは、どういうことですか?」というやりとりとなる。

私の答えの真意はこうだ。

北極や南極の単独行、しかも私の場合は「無補給単独」というスタイルのため、一人きりで、行程の途中で食料や装備の追加援助を受けず、デポ(あらかじめルート上に物資を設置しておいて、それを回収しながら進むための貯蔵所)を作らず、スタートからゴールまでの2ヶ月ほどは、誰の力も借りず、出発時に持ち出したものだけを利用して目的地を目指すという手法だ。

2ヶ月分の物資を搭載した100kgほどの重量となるソリを自分の力で引きながら、1000km程度の距離を、50日前後で踏破する。

上の写真は2年前の南極点無補給単独徒歩の際の写真。単独なので、写真も自撮りだ。先に回って、いい感じのところにカメラを置いて、タイムラプス(インターバル撮影)で撮る。これ、誰撮ったの?という疑問が浮かばないように、説明しました。

話を元に戻す。

つまり、行程の途中で何か装備が壊れても、仮に無くしても、替えもないし交換もできないし、新しいものを調達することもできない。スタート時に何を持つか、もしくは何を持たないか?また、持つならどれだけ持つか?さらに、どれだけ持たないか?ということがとても重要になる。

自力で荷物を引くため、体力の消耗を抑えるためには極限まで軽くしたい。しかし、不足すれば途中でアクシデントに繋がるかもしれない。たくさん持てば安心かもしれないが、荷物が増えればソリの重量が増し、体力は消耗し進行速度も落ちる。その、何を持つか持たないか、またどれだけ持つか持たないか、という匙加減に経験や技術、知識などが顕著になってくるわけだ。

私の質問の答え「すべて、他人から聞かれても、その答えを説明できるかどうか」であるが、その真意とはつまり、事前の計画の中で、今回の遠征に要する日数、日数に対して用意する食料の量や種類、摂取カロリーや栄養素、また通過するルート、持参する装備類のすべて、それらが根拠を持って説明可能であるかどうか?ということを言っている。

50日で目的地に到達できるという計画であれば、それがなぜ「50日」であるかの根拠を明確に言えるか?

そのための食料計画を、根拠を持って説明できるか?

使用する装備はなぜその道具を選んだか、また予備を持つか持たないか、など含めて説明できるか?似たようなメーカーの、似たような装備ではなく、なぜ「それ」なのか?

最近は、アウトドアだけでなく「冒険」の世界にもマニュアル化の動きが見える。

目立ちたいだけの人が増え、そんな人たちは自分の頭で考えることをしないままに、他人の頭で考える。なぜその装備を使っているのかと聞かれても「有名なあの冒険家が使っているから安心かなと思って」という具合だ。これは、自分で選んだつもりになっているだけで、他人に選んでもらっているだけに過ぎない。しかも、直接指導を受けて選んでもらった訳ではなく、一方的な盲信でしかない。

全てが説明可能な状態になっている時、遠征はスタート前に80%終了したと言える。

2014年 北極点無補給単独徒歩

「考える脚」の第1章で取り上げているのが、2014年に挑戦した「北極点無補給単独徒歩」である。

これは、極地冒険の中でも最高度の難易度となる。世界で完全に成功した例は、1994年の1例しか存在していない。

私自身、2012年に挑戦したが序盤であっけなく撤退し、2014年は2度目の挑戦だった。近年、北極海の海氷は温暖化などの気候変動に伴って厚みを失い、以前よりも格段に難易度を増しているのが実状だ。

北極点を目指す行程というのは、凍結した北極海の海氷上を行く。海の上を歩くわけだ。水深2000mを超える北極海の表面にわずか2mほどの氷が浮いているだけに過ぎない。氷は流れ、動き、ぶつかり、裂け、本来は人間が立ち入れるような場所ではない。この恐怖感は、行った者にしか理解できない。理屈をはるかに超えた、恐怖の世界だ。

この遠征の内容は「考える脚」のなかで詳しく書いた。

この北極点挑戦は、実は失敗に終わる。48日目に途中での撤退という結末になるのだ。本書を書いたのも、どうやって途中でやめたのか、というあの時の悩みと苦しみ、心の動きを書き残しておきたかったというのもあった。

この北極点遠征のとき、実力的には充分に通用していた。しかし、私に唯一足りていなかった点があった。

それが、説明可能性の不足だ。しかも、一点においてのみ。

私は、事前に50日での到達を目標として、食料計画を立てた。しかし、この読みが甘かった。前半での乱氷(海氷が動いてぶつかった氷の壁)が激しく、時間を費やしてしまったことでの時間切れが撤退の原因であるが、その時間切れを招いてしまったのは「自分自身の読みの甘さ」であったと言える。そして、その読みの甘さの原因として「50日」という日数に対しての、明確な根拠がなかった、と今になると断言できてしまう。

いま、私が6年前にタイムスリップして、あの時の自分と出会い、これから北極点に臨もうとする私自身に対して「なんで50日の計画なの?」と問い質したとすると、あの時の私は明確な根拠と共にその「50日」を語ることができないだろう。だろう、というか、自分のことなのでよくわかっている、間違いなくできない!

あの時、55日分の食料を用意していれば、かなりの高確率で行けていただろう。たらればでしかないが。

完璧な説明可能な状態になっていなかったということは、私には到達する力が不足していたということだ。

「考える脚」にも書いたが、私はあの時、北極点に行けなかったからこそ、より深く北極海について学びを得た。自分自身に対する理解も深まり、なぜ行けなかったかを知ることとなった。翻って、自分に唯一足りていなかった「説明可能性」を捉えたことで、ではどうやったら北極点に行くことができるか、それもまた捉えてしまった。

この瞬間、私の中で北極点無補給単独徒歩が想定内に収まった。そんな私が、その後の遠征にどのように臨んでいくのかは、ぜひ「考える脚」をお読みいただきたい。


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