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悪しき前例としての成功

今日は短めに。

最近アップされた、二つのインタビュー記事。

もう一つがこちら。

この二つの記事は、よくまとまっているので是非読んでもらいたい。

両方の記事に共通して書いていることとして「悪しき前例」という表現がある。

詳しくは記事を読んでもらえば分かるので、内容はここでは割愛。

偶然の成功例は、その後の未来において自分自身の判断に悪影響を及ぼす、ということだ。判断に悩む時、苦しい場面においては人間はどうしても自分の判断が間違っていないことを何かにすがりたくなってしまう。

そんな時に、過去の偶然の成功例を持ち出して「あの時は上手くいったのだから、今回もきっと上手くいくはずだ」という何の根拠もない、因果関係もない完全に断ち切れた過去の事実を持ち出して、それをよすがに今この瞬間の判断を下そうとしてしまう。

判断とは、自分の主体性において行うもの。主体は「いまここにいる自分自身」である。「過去の成功例」とか「未来への期待」とか「他者の基準」なんていうものを主体にすると事故につながる。

ただ、この判断の主体性を常に堅持し続けることが難しいのだ。

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