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牧野記念庭園(紀行編)――来春朝ドラのモデルは生粋のエンターテイナー

2023年前期の朝ドラが日本の植物学の父・牧野富太郎をモデルにした『らんまん』に決定したことが発表された。主演は神木隆之介、ヒロインは浜辺美波。庭園好きでありながら植物好きでもある私たちがこのドラマを見ない理由はない。それに付随して牧野記念庭園は、私たちがドラマの放送前に必ず行っておかなければならない庭園なのであった。

1853年、アメリカの使節ペリーが日本に来航した。世に言う幕末時代の始まりである。そんな時代に牧野富太郎は土佐藩(現在の高知県)で産声を上げた。同郷の坂本龍馬が脱藩したちょうど一か月後のことであった。「日本の夜明けぜよ」とはよく聞くが、牧野富太郎が生まれたということは、幕末は「日本の植物学の夜明けぜよ」でもあるのだが――そのことに気づいていない人は多い。そんな方におすすめしたいのがここ牧野記念庭園だ。「日本の植物学の父」と称された牧野富太郎が晩年を過ごした住居と庭園の跡地である。先に言っておくが、私たちはすでに牧野富太郎のファンである。完全に沼にハマってしまった。そこでまずは、富太郎という私たちの推しの魅力から説明させていただきたい。前提として、富太郎は生涯のうちに1500種類以上の植物を発見し、命名した植物分類学者である。もちろん富太郎が植物を分類する前から、桜とか梅とかある種の代表的な植物にはすでに名前はついていて、日本人もそれらの花が大好きであった。しかし、富太郎がすごいのは、そういった主役級以外の植物、すなわちそれまでは単に「草」とか「樹」としか見られてこなかったバイプレイヤーの植物にも、名があり、背景や特徴、いわば物語があることを示した点であろう。富太郎の著書に『植物一日一題』がある。これはある植物名のタイトルがあり(「馬鈴薯とジャガイモ」「楓とモミジ」「ヒマワリ」「グミの実」など全部で100題)、その植物にまつわる話を披露するというものなのだが、そのネタの多さ、そして富太郎がどの植物にも平等に愛情を注ぐ姿に読んでいて本当に惚れ惚れする。また、これは植物のエッセイ本ということで勝手に穏やかな雰囲気を予想しがちだが、実際はまるで違い、日々世間が誤認している植物の知識について、腹を立てながら、しかし笑えるような構成で書かれた、いわば「富太郎牧野のゆるせない話」なのである。例えば「馬鈴薯とジャガイモ」の話で、馬鈴薯をジャガイモと呼ぶことは、ちょうど馬を指して鹿だといい、人を指して猿だといっているようなものだ、という言い回しが飛び出すが、これこそが牧野節であり強烈でありとてもおもしろい。ついでに富太郎の著書をもうひとつご紹介すると、『草木とともに』という富太郎の自伝がある。これは植物というよりも、どちらかというと自分の人生のエピソードトーク集的なものであり、これはこれで「酒のツマミになる話」が多くおすすめである。

富太郎牧野のゆるせない話
富太郎牧野の酒のツマミになる話

さて、そんな魅力的な人物の記念庭園に私たちは訪れたわけだが、庭園のすぐ外をちらちらと車が走っているのが見えた。それもその速度はあまりにも不自然で、平均して10~20キロくらいを保ちながら、停止しては発進、発進しては停止を繰り返している。もう少し目を凝らすと、道路にこんもりとした坂道、そしてS字の狭いカーブがあるのが見えた。自動車教習所である。私たちはこれまでたくさんの庭園を巡ってきたが、こんな光景は初めてであった。私たちはまずはここを「最も自動車教習所に近い庭園」に認定した。

教習生が誤って記念庭園に突っ込んでしまわないか心配

富太郎は採集したり知人から取り寄せたりした植物を自宅に植え、自身の庭を「我が植物園」として大切に育んでいたそうだ。牧野記念庭園は富太郎の庭園の跡地であるから、当時富太郎が植えた植物を見ることができるという点で、非常に価値が高いと言える。私たちは牧野記念庭園と同様に、旧岩崎邸庭園や旧三井下鴨別邸といった個人宅の庭園に何度か訪れたことがあるが、それらの庭園は一番に「美しさ」を重視していた(もちろん時代や身分の違いも大いに関係していると思われる)。自分の家の庭であり、また来客をもてなす庭であったから当然と言えば当然である。しかしそう考えると、牧野記念庭園は少なくとも人をもてなすための「美しい庭」というわけではなかった。それはどちらかというと森、自然であり、これはつまり富太郎が自然の植物をこよなく愛したという植物学者らしい発想、熱意からくるものだと思われた。そこで富太郎は地べたに座り込んで植物を観察していたそうだ。私たちはこれまで目で見る美しさを重視してきたが、今回の牧野記念庭園で、富太郎のような熱い美学に対する美しさも庭園巡りを通して感じることができたのである。ただ、やはり森というだけあって、蚊の量は尋常ではなく、虫除けスプレーを持って来なかったことを大変後悔したのは事実である。

ほぼ森である
やはりほぼ森

最後に、庭園内にある記念館についてお話する。ここは富太郎の邸宅だったわけではなく、平成22年にリニューアルオープンしたばかりの建物なのだが、実際に富太郎が使っていた剪定ばさみや直筆の原稿、植物標本などが展示されており、富太郎についての知識を深めることができる場所である。私たちは蚊の追跡から避難するためにもこの建物の中に入った。そこで私たちはまだ知らなかった富太郎という人物の魅力を知り、さらに富太郎のことが好きになったのだった。中でもグッときたのは、富太郎はやはり植物学者でありながら生粋のエンターテイナーであった点である。資料によると富太郎は、「世界の人をアット言わせたい」と考えていたそうだ。この考え自体、エンターテイナーとしての素質を感じるのだが、では、好きな植物を使って、どうやって人々をアット言わせるのか?という問いの答えとして、富太郎は自ら大量の植物の絵を描き(「植物画」または「ボタニカルアート」と言い、富太郎は絵が上手くイラストレーターとしての才能もあった)、そこに完璧な解説文を記載し、それらを一人で編集。渾身の『大日本植物志』という図鑑を刊行することで日本、そして海外から高い評価を受けたのである。さらに驚くのは富太郎が講師として植物採集を指導した「横浜植物会」「東京植物同好会」などの活動である。これは、富太郎がユーモアを交えながら行う植物採集会のことで、当時これに子供から大人まで性別を問わず多くの人が参加したそうだ。富太郎はその後、全国にこの「植物採集」という一見堅苦しく思える行為をポップなエンターテインメントとして広めた。これは想像に過ぎないが、今日の老若男女が例えばいちご狩りを一種の遊びとしてとらえているのも、もしかすると当時の富太郎の活動のおかげなのかもしれない。「学者」という真面目そうなイメージをフリにして、ユーモアを持ったおもしろいキャラクターで多くの人に親しまれた。こんな人が現代にいるであろうか?私たちは必死に考えた。結果、さかなクンがそれに近いのではないかという話になった。魚類学者でありながら、そのキャラクターを活かしタレントとしても活躍。全国的に知名度は抜群である。さらにさかなクンは調べたところイラストレーターとしての肩書も持っているようだ。ただ、だからと言って私たちは現段階でさかなクンのファンというわけではない。しかし、牧野富太郎と同じ系譜であるとなると話は別。これはもう2022年9月公開、さかなクンの半生を描いた自叙伝の映画化、『さかなのこ』を見るしかなくなってしまった。それを見て、今までまったく興味がなかったさかなクンに対しても多少なりとも興味が持てるのではないかと、私たちは考えるわけでギョざいます。

記念館内観

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