自己執着

自分のイメージした自分にならねばならないが、なかなかそうはなれない、という状況が人を苦しめてたりしますよね。
そして多くの場合そのイメージは、必ずしも自分の性質に本当にフィットしたものではなかったりする。
幼少期に親に言われた理想像だったり、スクールカーストの"上流"を見て抱く憧れだったり、近い友達への嫉妬からくる「自分もそうなりたい」気持ちだったり。


こういう気持ちは、社会的称賛がされやすい性質や人種がいる以上どうしても憧れてしまうし生まれてしまう。 
例えば、ドラマ「glee」とかでも見られるように、スクールカーストの上にいる高身長アメフト部QBみたいなやつが、そうじゃないやつを煽ってくる世界があります。サル型組織(上下関係がある)のモデルで生きている人たちはそれを当然と思っていたりする。


でも、改めて自分の持って生まれた気質・特性を見つめ直して、アナ雪のエルサのように自分の特性を活かした社会との接続方法を探すのが、人生の旅そのものなんだろうなと最近よく思います。


なんですけど、会社という器は、時に上記のような「自分の気質特性」よりも、サル型組織の収まって欲しいポジションを要求してきたりすることで、生きづらさを生み出していたりします。

短期的にはストレッチされることもあるでしょうし、良い修業になるのかもしれませんが、中長期的にはストレッサーが強すぎて生きる意味さえ見失ってしまうかもしれません。

社会の成長にとってはもしかしたら大事なことなのかもしれませんが、これからの時代はもしかすると、そうやって切り落とされてきた「個人の生きづらさ」としっかりと向き合うことが求められていく時代なのかもしれません。社会のスピードが早い以上、「そんなこと言ってたら(会社)死ぬよ」という感覚もまた分かるので、この辺がどうやって折合いをつけて進んでいくのか、ということをもっともっと想像していきたいなぁと思う今日このごろです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?