岐阜県でドラゴンフルーツ栽培や「山羊さん除草隊」に取り組む・渡辺祥二氏の農業観・農地観
※本記事は、「現代の農業観・農地観」(https://nogyokan.com/)から転載しています。
渡辺 祥二 氏
1970年、岐阜県生まれ。
高校2年の時、アメリカ・ミシガン州のカレドニア高校、1年間留学(同校卒業)。明治大学法学部法律学科卒業。建設業界に進み、独学で一級土木施行管理技士、測量士などを取得。2005年に農業生産法人を設立。農業生産法人有限会社FRUSIC代表取締役。
「農業を通じて、地域で起業する意味と面白さ、環境に配慮した取組みの継続」をキーワードにして活動している。奥飛騨の温泉熱を利用してドラゴンフルーツを生産・加工を補助金・助成金を一切受けずに行うほか、ヤギを飼育し除草を行う「山羊さん除草隊」、稲わらアートの企画などに取り組む。2013年に岐阜大学応用生物科学部、美濃加茂市と三者の覚書を締結し、岐阜県所有都市公園でのヤギの放牧実験を開始。ヤギ由来の堆肥を使ったサツマイモの生産・加工で、岐阜県立加茂農林高等学校の課題授業(食品開発)に協力。2017年、第46回日本農業賞「食の懸け橋の部」特別賞受賞。第19回全国山羊サミットinぎふ実行委員会企画・広報担当。
渡辺祥二氏の取組みの詳細は、農業生産法人有限会社FRUSICホームページ(ブログ)ほか、本人が執筆した渡辺祥二著『奥飛騨ドラゴン―温泉で育つドラゴンフルーツ』(まつお出版)、渡辺祥二著『山羊さん除草隊―「環農資源」とは』(まつお出版)に紹介されている。そのほか、朝日新聞フロントランナー2021年2月6日(https://www.asahi.com/articles/DA3S14788186.html)をはじめ、新聞・雑誌などの掲載多数。
■海外で見てきた経験や体験から、とにかく強い印象を感じたのは、自身が生まれ育った日本と比較して、農地や国土が広大だということです。その中で日本の場合は、狭い農地で何を栽培し、どうやって流通に乗せるかということがスタートになる
――農業のイメージだとか農地のイメージの柱になる経験というのは何だと感じますか?
渡辺:柱になる経験というか、自分自身が農業に携わってきて、今も継続できているというのは、建設業時代、農業土木と呼ばれる部分で、治水工事や土地改良など農業インフラをやってきたことが大きく影響していて、それが今も自分なりに求める農業に生きていると、すごく感じています。
――インフラで見てきたことというのは、どういうものですか?
渡辺:わかりやすく言うと、圃場整備では農地を集約、大きな田畑を作ります。さらに水インフラ、つまり、農業用パイプラインを敷設していくことで、滞りなく上から下まで田畑に水が供給されます。あるいは、その水を供給するためのため池工事など、そういった工事に携わってきたことで、農業というか農地というものに自然とふれる機会があり、そうした経験が基になって、今の僕の農業観が生まれ、そこから発想が生まれていると思います。
戦後の日本は、農業インフラに投資をし、私もそういった仕事に従事してきました。そのため、投資してきた農地と投資されなかった農地って、私が見るとすごく差があると感じるわけです。農業をやる上で一番大事なのは、日当たりとかうんぬんは当然ですが、水インフラの整備がされているかどうか、これが非常に重要なポイントなんです。もちろん、水がなくても自然の恵み(雨)だけでできる農業、例えば、果樹とかあるでしょうが、今の時代、何をするにも、水がしっかり供給されていることが、農業には欠かせない絶対条件ではないかと思っています。
――高校時代にアメリカやメキシコの方にも行かれたとの話も以前お聞きしました。その経験は農業観に影響を与えていると思いますか?
渡辺:海外で見てきた経験や体験から、とにかく強い印象を感じたのは、自身が生まれ育った日本と比較して、農地や国土が広大だということです。その中で日本の場合は、狭い農地で何を栽培し、どうやって流通に乗せるかということがスタートになるので、いい意味では小回りが利くやり方ができ、その反対に悪い意味では生産性に限界があり、価格においての競争力という部分では、海外と比較した場合、どうしても劣ってしまう部分はあると思います。個人的に競争力という言葉は好きではないですが(笑)
――競争力というのが好きではないというのは、どういったイメージでしょうか?
渡辺:結局、競争力というのは限界があります。高度成長時において、人口は増加していましたから、人口が増えているうちは経済の発展というのはある程度見込まれます。ですが、日本においても世界においても、とりわけ先進国においては、人口が減少しています。そうなってくると、ある意味、経済の競争力の破綻というか、そういった限界を感じる部分が見えてくるわけです。
例えば、車はオートメーション化され、機械化によって効率よく大量に生産することで競争力を高めてきました。効率よくというのは、いかに製作する時間や労力を減らし、安くするかということです。人口が増えていて、生産者(製造者)と消費者のバランスが保てているうちはいいのですが、人口減少が始まり、より安いものが海外から入ってくると、潤う国はあるものの、やがて社会全体の競争力は落ちていくわけです。
そう考えていくと、目指す農業というのは大規模農業ではなく、地域に根ざした(循環できる)コンパクトな農業で、競争よりもむしろ『必要である』という概念のもとにやっていくことが、今後、継続していく上で重要な視点だと思っています。
それに競争力って何か煽られているようですよね。煽られると、いい部分もあるのでしょうが、本来の目的を見失ってしまう気がします。私は農業に入ってまだ20年もたってないわけですが、儲かる農業とか、強い農業とかを言われると、なんでそんなに煽る必要があるの?と、すごく感じています(笑)
■奥飛騨で温泉を使ってドラゴンフルーツを作るというときに、高山の農業者さんとの競争が発生しないということが大きかった
――あとは農地のイメージというのはどういう感じですか。たとえば、奥飛騨でドラゴンフルーツを作るときに農地にコンクリートを敷くということで、農業委員会ともめたりした経験があったのではないかなと思うのですが?
渡辺:そうですね。ただ、高山市ではもめることは一切なかったです。とは言え、補助金など大々的に応援、支援もされませんでしたけど(笑)
――それはなぜだと思いますか?
渡辺:そもそも高山というところが農業立国であって、農業の収入で稼いでいる方々が多いんです。ある意味余裕があるわけです。大体人間って余裕がないときほど人の足を引っ張るから(笑)。そういう意味では高山という場所は、こと農業に関しては、農業委員会も含めて心の余裕があったのではないかなと思います。だから、勝手にどうぞっという感じで。ですが、それがとてもありがたいことでもありました。
――理解されやすかったということですね?
渡辺:そうですね。解釈はいろいろあるでしょうが、ある意味、理解されやすかったと思います。
――それは実際に農作物を作っているからというのも大きいですよね。コンクリートを敷いてもそこでちゃんと農作物を作っているというのが一番大きい要素かなと思うのですが。
渡辺:すごく穿った見方をすれば、奥飛騨で温泉を使ってドラゴンフルーツを作ることは、高山の農業者さんとの競争が発生しないということも大きかったと思いますね。高山出身ではない人間が奥飛騨という、私にとって新しい地域に行って栽培することに対して、大げさな言い方ですが、恐怖感というか、あいつは高山の農業のイメージを壊すのではないかという心配もなかったと思います。本心はどう思っていたかは分かりませんけどね(笑)
それから、個人的な感覚ですが、高山という場所はおそらく、新しいことに対してすごく敏感というか興味もあったのではないかなと。観光地でいろいろな方々が高山を訪れるという土地柄でしょ、どこかハイカラな部分というか、そういった斬新な部分を好むところがあったのではないかなと想像しています。伝統も歴史もあるので、保守的な部分があると言われますが、逆に新しいものへの関心も大いにあると思っています。
――はたから見ると異業種参入で、他の市からやって来てビニールハウスやコンクリで土地を固めてってなると(笑)、なかなか受け入れないところも結構多そうな気がしますが、そういう面では地域柄がよかったということですね。
渡辺:そうですね。地元の地主さんであったり、有力者の方々であったり、関係するいろんな方々が理解を示して下さったということが大きかったと思います。
それから、良質(源泉温度は65度前後の単純泉)で豊富な温泉を使うと、最初から明言していましたが、農業で競争力を高めてどうこうというようなことを、私は一切言っていませんでした。その代わり、農業そのものを地域資源である温泉を活用して奥飛騨の観光にリンクさせ、私たちの農業のあり方、その説明ですよね。つまり、観光にコバンザメではないのですが、観光業にくっついていくという視点で農業をスタートしているので、そういう意味では、やっていることは刺激的だったかもしれませんが、地元の方々にとっては、あまり嫌な気はしなかったのかなと考えています。観農資源(観光+農業+地域資源)という言葉が生まれたわけです。
■こう言うと叱られるかもしれませんが、営業は一切しません
――農業に参入する前後で、農業観、農地観の変化というのは何かあったりしましたか? 変わった場合に何かきっかけがあったりしたのでしょうか? たとえば、渡辺さんの著書を拝読すると、山羊さんの除草も、きっかけは担い手がいなくなったギンナン畑の管理だったとか、結局、そういった人のつながりがきっかけになって徐々に取り組みが広がってきたような面もあるのでは、という印象があるのですが。
渡辺:私は基本、こう言うと叱られるかもしれませんが、流通に乗せるため自ら動く営業は一切しません。ただドラゴンフルーツやアセロラを栽培し始めた当初、できたものをどうやって販売しようと不安になり、いっとき営業をしたことがありました。でも、青果物って生として流通できる期間って限られているではないですか。そんな限られた時間の中での営業と成果を考えた時、時間の無駄かなと思ったんです。
あるいは日本では、市場があって仲卸や卸の方々がいて、当然、食の安全を大前提として考えているわけですよ、いきなり農業やったことのない人間が、農作物を作って、それが珍しい熱帯果実でしょ。「これは信用できる食べ物なのか?」って言われればそれまでなんですよね。新参者の農家なんて信用に値しないわけですよ、それが現実ですよ(笑)
そこに時間を割くよりも、先ほど言ったコバンザメではないけれど、観光地などとにかくお客様が足を運ぶ場所で、お客様に対し、どのようなアプローチの仕方があるか、農業としての収入を増やす方法を新たに見つけ出すことの方が、理にかなっている、時間の使い方として、それが正解じゃないかなと思いました。
奥飛騨で始めた時というのは、メディアでも露出し始めた頃で、地元の反対ではなく、農林水産省から規制うんぬんでいろいろなことを指摘されました。だからといって、敵対する仲ではなく、現地に足を運んで下さり、会話を重ねたことで、彼らもしっかり理解してくれました。中でも、農地にコンクリートを打設する場合、温泉熱を使い、床暖房することが目的であれば、農地と見なすという項目もすぐに書き加えてくれました。そういう意味でも、国の方々も技術が進んでいく中で、新しい農業のやり方が変化していくことに対し、ちゃんと理解してくれていると安心しました。
■気候変動の影響は施設園芸の方が大きい
渡辺:当時、奥飛騨でやり始めた時は、最先端というか、化石燃料に頼らないエネルギーや地域の資源を活用した、新たな農業の在り方に一石を投じたと自負があり、一歩も二歩も先に進んでいると思いながらやってきたわけですよ。加えて、当時の日本にはないドラゴンフルーツの品種、アセロラの品種を初めて栽培したわけですよ。当然、検疫を通して日本に持ち込んだわけです。その後、温暖化が原因もあり、大規模な天災が起きるたびに、ハウス栽培とか施設園芸というものが、いかに自然の前ではもろく、大きな影響を受ける可能性があるということに直面していくわけです。
――露地栽培より施設栽培のほうが気候変動には耐えられるような気がするのですが、そんなに甘い話ではないのですか?
渡辺:もちろん、台風の強風に耐えられる環境、大雨による浸水がないこと、あるいは干ばつによる水不足にも影響されないなど、条件がクリアできれば、今後も心配することはないでしょう。ですが、昨今のようにとても強い風が吹く、激しい大雨が長時間続く、排水施設が整っているわけでもないので、ハウス施設の中でも水が浸かってしまうし、軽微なパイプハウスなどは軽々と飛んでしまうわけです。そう考えると、後片づけの手間は、当然、施設園芸の方が大変なわけです。
だから、設備に投資して、通年できるようになり、生産量が上がって収益もたくさん上がることはあっても、何かしら被害が出ると、上がった収益分を全部吐き出してしまうということになります。吐き出すだけで済めばいいけど、銀行から新たな借り入れをしなければいけないことだったあるわけです。仮に直接的な大きな被害はなかったとしても、見えないだけで小さな負荷はかかっており、それらが積み重なっているわけです。そして、売上げに関係なく、ビニールの張替えなどメンテナンスに費用は掛かるわけです。この売上げに関係なくというのが大きなポイントで、売上げが伸びなければ、施設を取り壊すことにもつながり、それらにも大きな費用が掛かりますからね。つまり、施設園芸をする場合、常に撤退(取り壊して更地に戻す)する余力(予備費)を計算していなければいけないということなんです。
僕は今、例えばコロナと直面し、いろいろと考えさせられる機会を頂いていると思っています。新しい視点や発想、従来の技術や新たに生まれてきている技術が新しい農業にどうつながるか、さらに今後の農業が地域の在り方にどうつながるかを考えています。また、自然農法というか、自然と向き合っていく農業に戻っていくことが正しいと言っているわけではありませんが、工場化していく施設園芸やデータを活用し、AIの導入をしていくやり方が全てだという考え方が、僕の目にとってはむしろ時代遅れのように感じてしまうわけです(笑)
■手塩にかけた奥飛騨での取り組みを経営から切り離した理由
――2020年に、ドラゴンフルーツは継続しつつも、経営から切り離す決断をされたとの話を伺いました。力としては落とす感じになるのですか?
渡辺:簡単に言うと10だったものが、2021年は1以下になるということですね。
――その理由は何ですか?
渡辺:決して力の入れ具合を1以下にするわけではなく、実際の生産量(ドラゴンフルーツ)が10分の1以下になるわけです。もちろん、現在も美濃加茂市にあるハウスの中には、順次整理をしていますが、よりこだわった品種、新たに作り出したものを含め、かなりレアな品種を栽培しています。つまり、生産量が落ちる分、消費者に対して、違った形で面白いアプローチをしていく、そうやって失ったものを新たな方法で補っていければと考えています。
今まで奥飛騨でやっていた場合は、ジャムやジュースというお土産になる商品が、収入の柱の1つとして成立していました。それを軸に考えると、加工に向いているもの、あるいは大量に採れるものを意識し、採算につなげることに重きを置いていたわけです。では、観光地とは言い難い美濃加茂ではどうか、まあぶっちゃけてしまえば売れなくてもいいやと思っています(笑)おそらく加工品を作ったところで、お土産品として定着する可能性も低く、だからと言って、私自身は、ネット販売を重視することにはならないわけです、私の場合はね。それは前述したように、今後の農業が地域の在り方にどうつながるかを考えると、安易にネット販売という選択には至らないのです。なので、ある意味、初心ではありませんが、趣味の世界というか……やりたいことをやり、その中で新たな気付きがあればいいなと、分かりやすく言えば、研究の延長ですね(笑)
――奥飛騨ではなく美濃加茂市の方でやっていくということですね?
渡辺:奥飛騨での取組みを経営から切り離したことで、美濃加茂のドラゴンフルーツの収穫量だけになり、生産量は10分の1以下になるわけです。では、美濃加茂市でも、これまで奥飛騨でやってきたような加工品を意識しながら、生産量と質のバランスを考えたやり方をやっていくかというと、前述した通り、それは現段階では現実的に厳しいと思うので、そういうやり方はしません。当然、栽培面積が小さくなるので、探究心を心掛け、自身が興味を持つ品種に絞り、そこは売れなくていいという感じなんです。まずは、新たな視点を生み出したい。それが1つのトレンドになり、お客様に受け入れられるきっかけとなり、将来的に地域の魅力につながれば、それはそれで面白いじゃないですか。
――奥飛騨の取り組みは、経営から完全に切り離されたのですか?
渡辺:そうです。所有者も変わりましたから。完璧に所有権移転をして、自分がそこの経営から身を引いたという形になります。
――そこは何か理由があったのですか?
渡辺:いや、実は、僕はものごと(事業)って常々10年が節目だと考えているんです。僕らの世代は、戦後経済復興を成し遂げてきた親世代、あるいは祖父母世代に支えられ、何不自由なく成長し、生活できたわけです。しかし、そのために弊害があったと気付くべきなんです。その弊害とは、僕ら世代が新しいことをやろう、あるいは何かやろうといっても、なかなか親世代が現役で力強く存在していたわけです(笑)
そういう面で私たち世代から見て親世代というのは、なかなか跡継ぎを育てるという意識が乏しかったというか、なかったのではないかと思います。分かりやすいのが、社長を退任したと言いながらも、いまだに会長職に居続けるわけです。実際、名ばかりの社長になったところで、会長が会社に残っていれば、従業員はどちらを向くかとなると、会長にいかざるを得ないわけですよね。これ、すごく大きな弊害なんです。この弊害に私たち世代は大いに苦しみ、親世代は全く気付いていないんですよ(笑)
――院政みたいな感じですね。
渡辺:そうです。院政ですよ。だから、結局そういうことがあって、長く長く権力というのができあがってしまうと、変化から遠ざかり、新しい体制が生まれる機会を失っていくわけです。それを自分自身もすごく経験してきたし、いろいろな方々、いろいろな社長の方々とお会いしてきた中で、負の財産、高度成長の裏側に隠れ、見えなくなっていた負の財産を私なりに感じてきたわけです。
――(笑)
渡辺:そういうことを言うと怒られるでしょうが、実際、人が育っていないということは、そういうことなんですよ。
――では、今、奥飛騨をされているのは若い方がやっているということでしょうか?
渡辺:私と同世代です。同世代ではあるのですが、重要なのは新しい風を入れるということです。奥飛騨で10年ちょっとやってきた中で、新しい進歩というか、新しい視点というか、そういうものが自分自身の中でも産み出せなくなってきていたというか。その中で、どうしても守りに入ってしまうというわけではないのですが、日々の作業、視察や観光の依頼がずっとあり続けると、それらの業務に忙しくなってしまって、新たな視点を見い出す力、要は時間的な余裕というか余力が失われていったわけです。
――人によっては、いろいろメディアにも取り上げられ、観光だとか取材とかも多いので、これで一生やっていくというか、しがみついていく、という言い方はよくないかもしれませんが、そういった選択をする方も結構多いと思います。あえて質問してみたいのですが、ほかの取り組みで同じように何かヒットさせるとなると、これは確実な話ではないですよね。そう考えると、これまでいろいろ手塩にかけて、いろいろ時間だとか労力、お金もかけてこられたのを手放すというのが、なかなかできないというか、経営判断としてすべきでない、という評価もできるように思います。そのあたりは、どのようにお考えでしょうか?
渡辺:それは多分、その人たちの考え方と、家族に対する、あるいは従業員に対する、仲間に対する考え方の違いでもあると思いますね。
僕は個人的に0(ゼロ)から1を作るのが好きです。もっと言ってしまえば、そこにしか興味がないという感じですかね。僕もいろいろな方々と会ってきて、世の中には1を10にする能力を持った、そこに長けた人はたくさんいるわけです。先ほど言った競争力もそうだし、ビジネスとして割り切り、会社規模を大きくさせることで、自身の家族や従業員、その家族をしっかり養っていくことが得意な人がね。逆に言うと、僕はそこが大きく欠けているわけです。その部分を自分の中でよく理解しているので、常に新しいこと、興味が向くことをやりたいという気持ちを抑えながら、このまま居続けてしまうと奥飛騨にとって、あるいは受け入れてくれた高山にとってマイナス要素しか残さないのではないかなと、ここ2、3年ずっと悩んでいたわけです。そういうことをずっと考えていたからなのか、1を10にする能力に長けた方、しかも彼は高山市出身、この人しかいないという方に巡り合うことができたのでしょう。まさに強運ですよ(笑)
そもそも私は、奥飛騨の温泉施設を将来的には研究施設にしたかったのです。温泉を使えば、今までできなかったものができるということを証明したかった。だから、研究施設として利用したいという方が現れた時、『今だっ』、『これが潮時だっ』と思って、譲渡する決意をしたわけです。ただ、葛藤はありましたよ。なぜなら、自分自身に欠けているところを公に認めることですからね(笑)
それに周りからは、今、小川さん(聞き手)がおっしゃったように、ある意味、ここまで大切に手塩をかけて育ててきて、家族との時間よりも奥飛騨の温泉施設のために時間を使ってきたわけです、そう、奥飛騨の温泉ハウスの中で寝泊まりしてまで作業してきたわけなのでね(笑)
――ハウスにベッド入れて作業されていましたよね。初めて見たときには、こういう人がいるのか、すごいなぁと思いました。
渡辺:でも、子育てと一緒だと思っています。いずれ独り歩きしていくわけですから。そこは変な未練は残さない。割り切る心の切り替えはできていました。というのも、常にどんな状況になっても冷静に対処できるよう、いろんなことを想定して準備しておくというのが習慣なんです。寝る前の(笑)
また、東京で就職していた自分が岐阜に戻る時もそうでしたが、私の人生の転機って、最終的に家族との時間がキーワードになっているんです。今回も決断の裏にはもう1つ大きな要因がありました。
■50歳になって、人生あと何年現役で生きていけるのだろうかと思ったときに、残された時間というのは限られていると思いました
――「家族との時間」といういいますと?
渡辺:実際、奥飛騨の事業を切り離そうという部分を心の中で決めた時、おふくろが脳梗塞で倒れてしまい、さらに山羊さん除草隊を手伝ってくれていた親父もヘルニアで全く動けなくなってしまうというのが重なってしまってね。加えて、飛騨でも豪雨があって、インフラが崩れてしまい、コロナの蔓延も含めいろいろな変化が自分の周りで起きたわけです。私も50歳になって、人生あと何年現役で生きていけるのだろうかと考えた時、残された時間は限られていると100%受け止めることができたわけです。
実際、45歳を過ぎてからずっと残された時間を考えながら生きてきたのですが、当時はそうした現実を100%受け止めていたわけではなかったと思います。誰もが1日24時間を与えられています、その中で寝る時間はどれほど必要か、最近では集中力も落ちていって……というように考えると、集中力を持ってやれることは、せいぜい頑張って1日6時間、7時間しかない、もう徹夜が続けられないと思うようになったわけです(笑)
車という技術革新や道路整備のおかげで移動距離が大幅に伸び、美濃加茂から奥飛騨も日帰りできる。このことで何が言いたいかというと、僕らは技術によって時間を買っているわけです。技術が進歩したことによって時間の短縮ができて、その時間短縮によって生まれた時間を、何に充てるかということなんです。50歳を過ぎてから、そのことをすごく考えるようになったわけです。時間には限りがあることを深く考えた時、僕は今の奥飛騨のドラゴンフルーツを育ててきたことに対して、そこの上でずっとあぐらを組んで生きていくという、まあ、あぐらを組んでって言うと、そうやられている方々に失礼な言い方ですが、そこで一生を終えるという選択肢はなく、逆に僕らを踏み台にして、今のFRUSICの奥飛騨温泉ハウスを踏み台にして、より新しい、より正しいと思われる取組みを、次の世代、次の人たちに継続してやってほしいという部分が勝ったわけです。
その背景というのは、先ほども言ったけれども、自分には1を10にする能力がないことを理解しているので、そこは自分の実力不足というか、自分の生まれた意味だと思って、新たな0(ゼロ)から1を生み出そう、要は必要とされる、あるいは見えてくる課題にもう1回エネルギーを注ごうと決意したというわけです。そのきっかけになったのが、山羊さん除草隊を組織している中で起こった、岐阜で発生した豚熱でした。
■家畜伝染病が起きたときに何とかしてこの命をつなげることができないかと考えてしまいます
――豚コレラですか?
渡辺:当時は豚コレラって言われていましたが、今は法律が変わってCSF(豚熱)と言われていますね。口蹄疫と違って豚熱の場合、山羊さんたちには直接的に関係ないのですが、今の法律(家畜伝染病予防法)では、基本的に殺処分する、つまり、感染が疑われるものは殺処分して蔓延を防ぐというのが今のルール、日本のみならず世界的なルールでもあるわけです。
その一方で、海外ではアニマルウェルフェアという議論がされている。日本ではそのアニマルウェルフェアを議論する場さえないという1つの現場に直面してね。では、これが口蹄疫だと想定して、山羊さんたち、自分たちが一緒に生きている、一緒に働いているパートナーが、県なり国の指令で殺処分すると言われた場合にどうなるかと考えた時、導き出せる答えがなく、彼らの命を守ると言い切れない自分に嫌気がさして、すごく複雑な気持ちになったわけです。
例えば、動物園や大学で飼育されている動物は、動物愛護法が適用されているんです。しかし、岐阜では動物愛護法で守られているべき命が、緊急を要する中、予防的殺処分がされてしまったということがあって、法治国家って何なのだろうなって、僕の中で沸々と疑問が湧いてしまったわけです。どこの国も法治国家、法の下で人は裁かれて、法の中で生きているのですが、肝心なことは、法律を作るのも、どう解釈し、どう裁くのも人間であるということなんです。
その法律も、例えばSNSの台頭によって生じている誹謗中傷、自由に誹謗中傷を繰り返すことで自殺者が出て初めて、それに対する規制を強化しようという動きが出てくるわけです。しかし、本来なら新たな技術革新や新たな生き方が生まれるということは、法規制さえも視野に入れて準備していなければならないと、私は思うわけです。さらに言えば、時代背景を鑑みた基準の変化も考慮しなければならないはずなんです。もちろん、言うは易く行うは難しですけど。
そういう視点で農業を見た時、そこが全く反映されてないと感じたわけです。私は獣医学を学んだわけでもないので、偉そうなことは言えないのですが、獣医学を目指していた同級生や学生たちに聞くと、いわゆる家畜といわれる動物には延命処理はせず、殺処分するというのが基本的なルールであり、その思考はずっと変わっていないという話を聞きました。つまり、高度成長や人口増加に伴い、経済動物という言葉が生まれていったわけです。そうした時代は、そうすることが当たり前、異論など出てこなかった状況だったのかもしれませんが、今はそういう時代ではなくなっていると思います。なぜなら、守れる命をどう守るのかという気持ちが存在することで、技術は進歩していくと考えるからです。過度なストレスを与えた飼育環境など、自然界ではあり得ない状況下で発生する新たな疾病もあるわけです。
そういうことを考えると、家畜伝染病が起きた時、何とかしてこの命をつなげることができないかと考えてしまいます。短絡的に殺すことが当たり前なのだという農業、畜産業の在り方に、正直言って、僕は疑問を感じています。そこに一石を投じるべく、『山羊さん除草隊』という本を出版したというのがあります。
■食べるものを作って売ることで生計を立てていることだけが農業者の全てでなくてもいい
――それも0(ゼロ)から1を作り出すという、ゼロイチというイメージですかね。ゼロイチで思い出したのが、以前お話ししたとき、農業がこれからアートになっていくとかいう話があって……
渡辺:そうですね。
――周りに「何だ?」と、そう思わせたら勝ちだみたいな、何かロックな感じの話をされていました記憶があります(笑)。そういったことが、周囲の人たちにとって物事の判断に影響を与えたり、人生の中で大きな位置を占めたりすると思うのと同時に、農業はそのゼロイチがやりやすい場という印象もあるのですが、いかがでしょうか?
渡辺:どんな職業もそうだと思いますが、ただ私の中でスタンスが変わっていないのは、農業、あるいは農業者と呼ばれるのは、例えば食べられるものを作って売る(現金化)、お金に換えて生きていくことだけが農業ではない。例えば、農業に従事していながら、歌手だっていいわけですよ。
――どういうイメージですか(笑)。企業PRや宣伝とかではなくということですよね?
渡辺:ではなくてね。例えば、普段はお野菜を作りながら、アーティスト活動をして歌を歌っている。職業は、歌手ではなく農業者。つまり、その人がどこに重きを置くかということなので、食べる農作物を作って売ることで生計を立てていることだけが、農業者の全てでなくてもいいと思っているわけです。
例えば、ここのスペースには大根を作って、ここのスペースには白菜を作って、ここのスペースにはレンゲを植えて、季節柄、同時にできるできないは別として、それが風景、1つの原風景が生まれ、それがアートだと評価され、それを見に来たお客様が「ちゃりんちゃりん」とお金を入れる。食べる農作物を作ることでお金を稼ぐ、見てもらうことでお金を稼ぐ、あるいは、聞いてもらうことでお金を稼ぐ、いろいろな農業のあり方が存在するわけです。つまり、表現の仕方が多種多様であっていいと思います。
分かりやすく言うと、国内外のアーティストや芸能人としての地位を確立されている方で、野菜や果実などいろいろなものを身につけてファッションショーに出るとします。しかし、彼らは口を揃えて、職業は農業だと言う。自身が生産した農作物をいろいろな表現の仕方でアピールする。農業者は、いつでもどこでも必ず農業をしていなければいけないという概念をぶち壊せたらいいかなと思っています。とにかく、多様な生き方が求められている時代、農業者はこうだとか、職業の壁みたいなものは取っ払い、もっと自由化すべきでしょうね。大切なことは、地域に必要なサービスをする、企業であれ個人であれ、生き残るために多様な選択をする、それだけのことなんです。政府には、各省庁が存在し、市町村にも担当課があり、枠組みの中でモノゴトを推し進める、いわゆる縦割り行政を実施しています。しかし、現場は横のつながりがなければ回らないんです。だからこそ、担当省庁や担当課は、実績がないからと門前払いするのではなく、自由な発想で新たな取組みを応援すべきでしょうね。
■この人たちは農業より建設業の現場で働いているほうが金を稼いでいる。それでも農家だよな、と思いながら……
――いま取り組まれておられる稲わらアートやデザインなどもそういう思いにつながっていますか?
渡辺:そうですね。稲わらアートも武蔵野美術大学の先生と出会って、これは面白いことをやっているなと思いました。あぁ、これも農業なんだよなと、私の中では、勝手に位置付けています(笑)
でも、それって僕ら小さい頃に何かしらで読み聞きしたり、ふれていたりしているものなのです。例えば、『かさじぞう』という絵本、この昔話が一番好きなのですが、わらで笠を編んで売っていくわけです。だから、昔から農業というのは農作物を作るだけでおしまいではなく、生活の一部だったわけです。今はもう機械化により、稲はコンバインで刈り取りながら細かく裁断され、それが手間なく土に還っていくという仕組みです。要は、刈った後の稲わらの処理をなくすことで、現代では何も生み出さなくなったと言える稲わらから農家を解放、新たな時間を生んだわけです。稲刈りを効率よくというのが背景にあり、効率化を図ったことで完全に失ってしまったものがあるわけです。それが、有効利用からくる副産物(笠、わら草履など)の存在であり、結果として、私たちは循環を失っていったと考えます。もちろん、笠は帽子、わら草履は靴といったものに変わっていきましたが。
――『かさじぞう』の例えがよく分からないのですが……
渡辺:いや、『かさじぞう』とは直接関係あるわけではありません(笑)昔は、自分の農地で冬になるまで農業に励み、冬になって働く、稼ぐ部分がなくなると、わら草履、笠を編んで副産物を作り、街へ売りに行くわけです。ところが、そうした副産物は、思いもよらないところで役に立つというか、人と人を結び付ける機会を増やしていたと考えることもできます。『かさじぞう』の場合は、人ではなくお地蔵さんでしたけど。
私にとって、大きく印象に残っているのは、建設業を父親がやっていた頃、11月、12月ぐらいから年度末の3月まで人が足りなくなるのが毎年のことでした。公共工事の発注の仕方に影響されているのですが、建設業の仕事って3月まですごく忙しいのです。そうすると、大体近くの農家さんたちが田んぼの仕事が終わると3月まで手伝いに来てくれるわけです。それこそ、昔なら稲わらで草履や笠を編んでいたことが、建設現場で働くことになったわけです。
実際、大規模な専業農家ならまだしも、この人たちは農業より建設業の現場で働いている方が、お金を稼いでいるはずなんですよね。それでも彼らは農家だよな、と思っていたわけです。そういうのもあり、農家って何をやってもいい、自由な身分でもあるのではないかというのが、感覚的にあったわけです。
――ほかの職業でも同じかもしれませんが、私が思うに農業は、比較的、枠が壊しやすいという面はあるかと思うのですが……
渡辺:まさに自由ですね。
■地域ごとに地域のルールが僕はあっていいと思います
――自己評価と他者評価で悩まれることもあったのではないかと思うのですがいかがでしょうか? たとえば異業種参入と言われたくない、というような話を以前されていたじゃないですか。何をやっても異業種参入と評価されてしまうとか。あるいは、現場を知らない人たちが自分たちの視点だけで判断して、現地を見ないまま何か烙印を押されてしまう、あるいは、山羊さんの除草にしても、普通の動物のレンタルみたいなのと勘違いされやすいとか……。その辺というのは今もいろいろ悩まれてたりとかということですか?
渡辺:異業種参入として見られるというのは、今はもう何とも思わないです。どうして何とも思わないかというと、今は地元の方々も農協さんも、農業者としてそれなりに受け止めて下さっているので、『また、渡辺面倒くさいこと、今度は何やる出すんだ?』というようなことは言われなくなり、逆に次はどんな手を打つのかと関心を持ってくれるようになったので、そういう意味では、それを感じることはなくなりましたね。やっていることは、農家とは言い切れないところがあっても、ようやく農家としての実績を認めてもらえたかな(笑)
ただ、私から見て、現場を知らない人たちは、先ほど言った法規制に通じるところなど、全く変わっていない、むしろもっとより強力になっているというか、結局、現場を判断しない、現場で働く人たちのことなんて意に介していないと感じるわけです。自分たちの責任逃れを優先しているようでね。
例えば、地域ごとに地域のルールが、私はあっていいと思っています。水が多いところ、水を得るのに苦労するところ、土なら黒土のところ、あるいはサバ土だとか、あるいは赤土のところってね。そうした条件や環境は、地域ごとで特徴があるにもかかわらず、国はすぐに『どこでもできるモデルケース』というか、モデル的な農業の在り方を作りたがろうとする。そもそもモデル事業なんていう言葉ほど、胡散臭いものはなくて、そんな均一化されてしまうことなんて、ほぼできないわけですよ。で、彼らの言い分は『大切な税金だから、誰もが平等に』なんです。最近では、地域の特徴を生かした取組み、『地方創生』と言い出していますが、そうした新しい発想には『前例がない』と言うわけです(笑)結局のところ、資産がある企業にしかチャンスがないのが現状なんですよ。
■知識がない現場の人間を呼んだって、自分の言葉にできない現場の人間であって、それではいかんわけです
渡辺:特にものごとを短絡的に考え過ぎるというか、例えば、今、農業だけではなく、あらゆる全ての産業に対する補助金や助成金は、基本的にITだとかAIという言葉が入っていないとその対象にならないのです。人口減少に歯止めがかからず、近々の課題である労働不足をITやAIを使って補いなさいという意図は、私もよく理解できるのですが、でも、それは必ずしも地方に必須な人が育つ環境ではないと思うわけです。それに、どんなに機械化を進めてきても、どうしても人の手でやらなければいけないところが残ってしまうように、短絡的に考え過ぎると、バランスを欠いてしまうんですよ。都市と地方の関わり方、機械と人との関わり方、ITやAIとの付き合い方をもう少し深く考えた方がいいと思うわけです。
それにね、法規制の問題もそうで、どんどんと豚熱が広まっている現状、この上さらにアフリカ豚熱が上陸でもしたら、国はそれを最も恐れているんです。口蹄疫同様、アフリカ豚熱にはワクチンがないと言われていて、その伝染病が侵入してくる前に、とにかく法規制を強力なものにしていこうとなったわけです。つまり、予防的殺処分を行える、あるいは、発生した地域の家畜、さらにその地域で育った植物、まあ食べ物ですね、それらの移動規制さえも可能にする法律が、国民の大半が知らない間に成立してしまったわけです。
私自身も農業従事者としての立場からパブリックコメントを出しましたが、今回の豚熱については「山羊さんには関係ない」と言う回答があったのですが、いや、関係がないことはなくて、1つそういった法律が成立してしまうと、当然、法律には拡大解釈があり、都合の良いように適用されていくわけです。もちろん、危機管理をする国の立場もあるでしょう。ただ、私が強く言いたいのは、手も足も出ない、そうしたことが起きてしまう前に、農家自らがもっと知識を持たなければいけない。そして、地方の人間は、知識に貪欲になり、哲学をしっかり持つことの重要さ、地方は中央の植民地ではないという意思表示を示し、現場(地方)を知らない中央とやり合える環境を整えなければいけないと思うわけです。
以前の話ですが、ある省庁から『山羊さん除草隊』は、そんなに広がる(需要がある)とは、到底思えないと言われたことがありました(笑)。それは有識者という方々の意見だったようですが……。でも実際、今、徐々に徐々に人気が大きくなり、山羊さんの事業も広がってきているわけですよ。現場にとって何が必要なのか、国や有識者という方々に対しも、現場の人たちがもっと意見できるようにしなければいけないですよね。
まぁ、いわゆる有識者会議には、現場の人も呼ばれているわけですが、私の偏見もあるでしょうが、現場知識がない現場の人間、あるいは自身が汗をかいていない、手を汚さない現場の人を呼んだところで、正しく現場の現状を伝えられるとは思えないし、仮に正しく言葉にできても、その言葉に重みはなく、それではいかんわけです。だから、汗をかく現場の農業者がもっと強くなり、そうした声が反映されてほしいと強く願うわけです。しかし、一向にそうならい現実に反発というか、そうした悔しい気持ちは、年々大きくはなっていますが、正直、反発するのもアホらしくなってきて、その反発するエネルギーを現場に向けよう、やれることを1つずつやっていくことに力を入れていこうと思っています。それが、私の反発の仕方かもね(笑)そして、そういった人材を育成していく、自身のエネルギーを傾けたいとは思っています。それが大学や高校生たちと一緒に共同作業をしていくことにつながっています。
■一緒に働く時間はすごく尊い時間
――たとえば、「本来の農業」というと、どういったイメージでしょうか? そんなにはっきりとは答えることはできないかもしれないですが、たとえば先ほどのAIの話でも、ある意味で渡辺さんはAIとか一番先進的にやってもおかしくない方だと私は思います。全部機械化していこうとか。先進的な技術の導入もゼロイチだから、面白いからってやっていこうということ渡辺さんが取り組んでいてもおかしくないような気がするのですが、でもそれは渡辺さんの考えとは違うだろうということだと思います。そのあたりについて、「農業ってこういうものじゃないの?」という違和感だとか、目指す方向が影響していると思うのですが、もう少し詳しく教えていただけますか?
渡辺:先ほども言ったのですが、残り時間って限られているわけですよ。
――でも、まだお若いですよね(笑)
渡辺:いやいや、肉体的に成長できない、重力に逆らって背が伸びない年齢を若いとは言えませんよ(笑)それに車の事故だとか、あるいは病気を患ってしまうということを考える中で、新たな発想や次の世代を育成することを意識していると、自分が第一線で働ける時間というのはもう限られていると、すごく感じるんですよ。
生きるということ、そもそも動物も含めて種を残すということはどういうことかを考えた時、跡継ぎというか、次の世代を育てるということが1つの大きな役目なのだろう、というのを45歳ぐらいから考え始めていました。そして、50歳になったら、そこにシフトしていこうかなとは思っていました。なぜなら、50歳から55歳の間であれば、まだ体は動くので一緒になって働けるしね。
これが70歳、80歳になって第一線で働くのがかなり苦しくなった時、口先で命令してもなかなかね、というところがあります。一緒に働く時間は、すごく尊い時間だと私は思っていて、その時間というのを大事にしたい、それが、人間が人間たる営みというか、由縁というかね。農業って、生きていくための経験を積んでいるわけですよ。そして、次世代と一緒に作業するということは、『生きる』ためのバトンを渡す、つないでいるんだと思うようになり、何だか、農業って深いなぁって、そう思うようになったんです。
おっしゃるようにITやAIに対して全く興味がないかと言われると、全く興味がないわけではありません。実際、奥飛騨でも温度センサーをつけ、ハウス内の温度管理をし、紫外線量も感知させ遮光カーテンを自動化、あるいは、与える水の量や花の咲く時期もデータ化し、収穫の時期などを予想していましたからね。ある意味、当時では最先端のことをやっていたわけです。ただ、歳を取ったせいかと言われればそうかもしれませんが、見えなかった部分が見える化することによって、感じなくなる、失ってしまう部分が人間ってあるような気がするというか、それは直感力であったり、あるいは経験からくる対応力であったり。
要は、見えない部分は見えなくていいんですよ、感じることができれば、想像力が生まれ、それが結果として差別化され、お客様へのアプローチ(物語)になるわけです。さらに私が感じて話したことは、聞く側にもいろんな捉え方が生まれるわけです。1つのデータだけに頼ると、それが絶対的なものとなり、聞く側も考えなくなるというかね。それに、自然災害に対する準備や対応力もそれぞれあり、悔しいけれど時には淘汰されることもあれば、そこから学び、強くなることもあるわけです。本来、人間にはそうした部分が備わっていると思っています。もちろん、そうした能力をうまく発揮できないもどかしさもあり、だからこそ、私たち人間は、我慢強く生きていけるんだと思っていますけどね(笑)
■AIやIT化することによって応用力、対応力が身につくかとなると、そこに対しては否定的
渡辺:例えば、キャンプに行った時、ロープがなければどうするか、火を起こすにはどうするか、工夫1つで雨露をしのぐこともできるわけです。でも、それは今までの経験があるから、こういうやり方をすればいいとか、こういう場合はここから風がくるから、ここに風が入らないようにすればいいとか …… あくまで仮定の話ですけどね(笑)非常識な話ですが、遭難しても生き延びる自信があるわけです。それっていろいろな経験をしたからこそ、予測ができ、準備ができ、そして現場で応用できるわけです。
でも、ITを活用することで、1つのデータにまとめ、AIによって予測をしていく、誰もが農業分野に入りやすくする、本来現場で積み上げていくべき経験を集積したデータと予測で補うことは、当然あり得る選択肢です。私は、そこに異論はありません。しかし、だからといってAIを導入すれば、IT化すれば自ずと応用力、対応力が身につくかとなると、そこに対しては全否定ですね(笑)農業を甘く見てはいけないし、自然と環境の変化もコントロールできるなんて考えてしまったら、大きなしっぺ返しがきますよ。
私からすれば、AIやITの導入を急ピッチに進めていこうとしている姿勢は、V字回復とか右肩上がりの経済成長を意識しているからだと思うわけです。しかし、現実的に人口減少、都市に人口が集中、地方は過疎化に歯止めがかからず、益々空洞化に拍車がかかる、もう淘汰されながら、新たな生活スタイル、経済の在り方を作り上げていくしかないわけです。いつまでも膨れ上がっていくバブル、リセットや上書きが何度も通用する時代ではないんです。つまり、日本だけでなく世界(先進国)でも同じように人口減少、人口集中(都市)が大きな問題となっているわけです。
本来であれば、人口減少が起きれば生活水準も変わるだろうし、地域社会への考え方など変えていかなければならないはずです。ただ、生活水準が下がれば、目の前の生活(家族)を守ることに執着するのが当たり前だし、逆に投資家たちは社会への還元ではなく、さらに儲けようとしているように感じるわけです(笑)大げさに言うと、AIバブルやITバブルを期待しているというか、まぁ新たな投資対象を作っているのかもね。要するに、現場で汗水流している人たちの生活なんてどうでもいいわけですよ。脱線しましたね(笑)
――応用力とか対応力の話はなるほどなと思いますね。
渡辺:いいか悪いかは別として、身の丈に合った農業の仕方、必ずしも大規模施設にする必要などなく、地域で循環できる農業の仕組みに戻していく、作り直していくことが大切ではないかと思います。なぜ、それが必要か。なぜなら、農業はお金が儲かるとか儲からないで判断するのではなく、人間にとって必要か不必要か、やったほうがいいか、やらないほうがいいかで判断した方が、いろんな変化に影響されないし、何かあっても対応できると思うからです。つまり、それらを熟慮した上で、総合的に判断していけばいいと思うわけです。それも地域ごとでね。
実際の話ですが、家畜伝染病予防法が改正されて、いろいろな制限がかかる準備が整いました。万が一起きれば、否応なくそれに従わなければなりません。今、コロナ禍において、外国からの輸入、輸出もストップしないまでも制限、縮小されている現実。日本の家畜(草食動物)の牧草は、海外に頼っている現状、それが手に入らないとなると、私たちのパートナーである山羊さん50頭は冬場に飢えで死んでしまうます。そこで、利用していない土地が1haあったので、そこを開墾して牧草作りをスタートさせました。予想通り、それがニュースに上がると、一定の人間から自分で作るより買ったほうが安いと批判的な意見が出ました(笑)その言い分は正しいです、高いか安いかだけで判断すればね。
私には、2つの考え方があります。1つ目は事業として、会社として考えた場合、その牧草を作るという単体事業が赤字でも、他の別の柱で利益を上げていればいいわけです。1つの単体事業が赤字という理由だけで、すぐにそこの事業を切るという考え方はしません。この手法は、会社のスリム化、効率化を求めた中でほとんどの企業がやってきたことですよね。そして、コロナ禍において、生産ラインを労働力の安い海外へシフトしたことで、必要なものが手に入らないということが起きてしまったわけです。もちろん、企業として切り捨てることは1つの手段だし、営利を目的とする企業からすれば、それが間違っているとか間違っていないとか、簡単に結論付けることはできないですけど。もう1つは、赤字であっても、牧草を購入できなければ意味がないわけですから、何があってもこの子たちは最低限食べさせる、飢死させてしまうリスク回避を考えると、当然作るべきことなんです。つまり、それは必要か必要ではないかで判断しているということです。
■僕はまずもって風穴を開けるのが仕事
――身の丈という話もありましたが、身の丈に合わせてやっていくというところに、農地で例えば土の種類が違うだとか、水の条件が違うというところにもかかわってきて、地域ごとのルールとかって話もありました。その辺のイメージにつながってくる話ですか?
渡辺:そういうことです。そういった部分を自分自身で判断しながら、自分なりのやり方を考えられる人材を育成していくこと、そこの育成に少しでも役に立てることができるのであれば、自分の最後のエネルギーを注ぎ込みたいですね。
これからスタートする人たちにとって、いろいろな世の中の課題に対し、ぶつかっていけるかというと、ぶつかっていける人ってなかなかいないと思います。私自身は、いろいろなことを経験させてもらい、好きなことをやらせて頂いた中で実に多くを学んできました。その結果、反発しながらも瞬時に落としどこを見つけ、バランスを保ちながらやっていく、そういう自信は大いにありますね。
もし、防波堤が必要であれば、私は喜んで防波堤になるし、ここをこじ開けてほしいとなれば、時間がかかってもこじ開けてみせます。もちろん、こじ開けた先が見えている場合に限ってですけどね。意味のないことはやりません(笑)そして、その風穴を大きくするのは、それに長けた人たちがいるので、私自身は風穴を開けまでが仕事だと思っています。なので、山羊さん除草隊も引き継ぎたいという人たちが現れれば、私は譲る準備と覚悟もできています。譲る場合、事業として成立させるため、新たな投資をする必要はないわけです。なぜなら、ある程度の契約ができているので、そのままバトンタッチすればいいだけですからね。もちろん、その後も継続していくとなれば、新たな投資は必要になってくるでしょうが。だから、そこの部分というのは、将来考えているし、あるいは……
――ちょっと待ってください。「投資が必要ない」というのはお互いにいということですか? 譲り受ける側の投資が必要ないというのはわかるのですが、譲る側としてもということでしょうか? 譲る側はそれまでに投資しているからそれ以上の投資が必要ないということですか?
渡辺:うん。もう回収しているし、譲れば当然、第一線から身を引きますからね。ただ、新たな事業の必要性が見つかって、それを考えているのであれば、もちろん、その事業に投資するでしょうけど(笑)
別の話ですが、いま、茶畑も1ha弱ぐらい頼まれていて、引き継いでやり始めています。いま、お茶も全国的に儲けが悪いというところがあるし、産地の勢力図も変化していく時期に入っていることを考えれば、茶業界も活発化され、大きな改革を迎えるのではないかと予想しています。その中で、自分なりにどうやっていこうかというのは、もう頭の中で戦略は考えていますよ(笑)私の場合、茶畑に限らず、とにかく必要とされればやるというスタンスですね。もちろん、投資後のイメージができないと投資はできませんが、ただ、せっかくここまで管理してきた農地を2年3年ほったらかしにすると、元に戻るのって本当に大変なんですよ。とにかく時間があれば、お茶の木の下の根元から生えている、茶の木を覆うようなツル系の雑草を手で引き抜くだとか、あるいはその間から生えてきた雑木をのこぎりで切って、さらに根を切り、手入れを怠らないようにしています。
この茶畑の管理事業は、儲かる儲からないでいったら、儲からない、全然儲からないですよ、今のところはね(笑)じゃあ何でそのようなことまでするの?と言われれば、それをやることによって、管理し続けることの重要さというか大切さというのを、自分の体の中に叩き込んでいるんです。つまり、茶の栽培は素人ですからね、経験がないわけです。そうした地味な手入れから経験することで、見えてくるものがあるというか、それはITやAIでは学べないことですね。それに、今年は初心に戻るというのが、私の中でのテーマなので、そうした地道な作業を学んでいるという感覚ですね。これは、私自身への投資です。
あとは、茶の木という魅力をどうやれば発信できるのか。お茶の葉っぱって、カテキンがあって動物が食べてもいいとも聞くので、病気になりがち、なりやすい山羊さんたちがいれば、茶の葉っぱをあげるわけです。すると、特に冬場は食べ物が乏しいので、喜んで食べてくれるし、健康にもいいかなと思ったりしています。だから、茶の木の管理をすることは、決して無駄なことではなく、緑茶にしたり、あるいは紅茶を作ったりというのが一般的な方法かもしれないけれども、必ずしもお茶や紅茶にする必要なんてないわけです。実際、田舎では茶の木は隣地境界線に植えられ、それがお互いの境界の目印にもなっているわけですからね(笑)もちろん、緑茶や紅茶にする、それらの特徴を考え、販売につなげるというのは最終的な目標であっても、いろいろな発信の仕方を考えていこうと思っています。
いや、別にそんなではないのですが、ただ、農業という生き方に答えはないので、ただ、昔で言う、小川さん(聞き手)と若かりし頃会った頃のようなイギラギラ感というか……ね
――なくなってきているという感じですか?(笑)
渡辺:目に見える、あるいは感じるといったギラギラしたロック感というのは、年齢をとともに落ち着いてきているかな。ただ、上から目線というか、知らない人たちに批判されることに対しての反発は、そこはずっと僕の魂みたいなものなので、そういったところはずっとあるかな。ただ、アプローチの仕方というのは年々変わってくるし、いい意味で、賢くなったかな(笑)そこで1つ、小川さん(聞き手)も考えてほしいのが、経済発展と経済成長というのは無限にあるものではないということを考えた上で、これからの農業を考えてほしいですね。まあ、そこが今の私の考え方の中心にあるのものです。ただ、『どこでもドア』のような画期的な技術が生まれれば、ひょっとしたら今のこの考え方も変わるかもしれないですが(笑)。
■自分自身を小さくするということではなくて、自分自身をより知るという意味において、自分が本来発揮できる、輝ける場所というのは自分自身で作り出すということにおいて、身の丈に合った農業を目指すべきだ
渡辺:何でそういうこと言っているかというと、私はかつて美濃加茂から奥飛騨まで、片道3時間半ぐらいかけて農業をしていたわけです。1日往復すると7時間です。24時間のうちの7時間という時間を移動に使っていたわけですよ。ただ当時は、自分の中で方向性、圧し潰されそうになる不安な部分と闘っていた時期でもあったので、その7時間が動く移動デスクみたいなもので、自分の中の考え方を整理できていたわけです。しかし、ある程度、その方向性が見えてくると、この7時間という時間を整理するための移動時間に使うのではなくて、今までコツコツと築き上げてきた人のつながりの中で、現場に集中する時間にしようと思い始めたわけです。奥飛騨へ通う時間は、私が心身的に成長するのに必要な時間でもあったわけです。
――移動時間には気持ちや考え方を整理する時間でもあったのが、だんだんと、純粋な移動時間に変わっていったという感じですか?
渡辺:そういうところもありますね。あとは先ほど言った、農業だけではなくて産業の成長というのは、当然伸びる産業もあれば衰退していく産業もあるわけです。ただ1つ言えるのは、人口減少に伴う経済の衰退というのは、これはなかなか、全ての人の給料が上がれば別でしょうけれども、そこはもう目に見えて起きていることなんです。その始まりが、搾取する側と搾取される側との間に生じる格差社会だと思うわけです。
つまり、いまだに安い労働賃金を求めて外国から人々を入れて、搾取を前提に利益率を上げていくやり方がいつまで持つかということです。結局、今、地元のお菓子工場に行って、例えば、サツマイモを作ってお菓子を作る、ドーナツを作るっていった時、そこの工場にサツマイモを持っていってもお菓子にならないわけです。なぜなら、彼らが欲しいのは、すぐに機械に投入できる加工原料なんですよ。
――半製品みたいな。
渡辺:そうです。サツマイモのペーストであったり、あるいは粉末であったり。その加工原料がなければ、機械は稼働して商品を生み出さないわけです。では、その加工原料はどこから来ているかとなると、もちろん、地元で作っているところもありますが、多くは海外の安い労働賃金で作られたものだったりするわけです。これこそが空洞化ですよね。
以前のお菓子工場というのは、そういった一次加工するセクションを持っていたんです。しかしながら、そうした部分は、単体で見れば赤字になる、だから要らない。そして、より安く原料さえ入れればいいからということで、そのセクションを切ってしまう。つまり、何か起きれば、作れなくなることは予想できますよね。ですが、何か起こるなんて考えないのが、スリム化を目指す経営陣だったりするわけです。ひと言でいえば、リスク回避ができないわけです。そういう人たちに限って、想定外とか、百年に一度の・・・なんて言うわけです(笑)
このコロナ禍というのは、何かあった時、原料がなくなると何もできなくなるという当たり前のことを気付かせてくれたわけです。さらに、儲かる儲からないではなく、必要か必要ではないかで判断しなさいとメッセージを出しているわけです。要は、生活リズムというか、経済リズムをもう一度見つめ直す機会が来たんだよ、とね。
だから、そうしたことを私は農業でずっと考えてきたわけです。そのきっかけは東日本大震災でした。そこから身の丈に合ったというか、決してそれは小さくまとまりなさいと言っているのではなく、地域や自分が置かれている状況を把握すること。そして、自分が本来発揮できる、輝ける場所というのは自分自身で作り出すということなんだと。だから、身の丈に合った農業を目指すべきだと思っていて、私はAIやITというのが救世主になるとは全く思っていないんです。
もちろん、データ管理農業は1つの手法として大いに役立つだろうし、人工知能によりリスク回避や収益増収を見込むこともあるでしょう。ただ、それが救世主かどうかは、人が育ってこそ言えることであって、今、大事だと思うのは、国が進めるAIやIT分野への支援だけでなく、泥臭く、人に投資することも同様に、いやそれ以上に重要だと思うわけです。
■いま、僕の密かな願いは獣医学を変えることです
渡辺:いま、僕の密かな願いは獣医学を変えることです。
――といいますと?
渡辺:話は、一気に横道にそれてしまいますが(笑)根本的に今の獣医学というのは、経済動物という中で考えれば、例えば殺すことが仕事ということになっていますが、今後は、いかに共生共存するために生かす選択肢を作り出していくのかというのが、獣医学が進歩、進展していく道ではないかと考えています。そう考えると、山羊さん除草隊には大きな使命があるわけです。もし、もう少し若くて、もう少し数学が得意なら獣医学に入り直してもよかったかなと思うぐらいなんですよ(笑)現場で叩き上げてきた生意気な生徒として、専門職の先生方と討論したいですね。
――なるほど。
渡辺:数学がなくて、試験がなくても社会人枠で受け入れてくれるところがあれば獣医学に入りたいなと思います。今でも、山羊さんの病気は獣医さんもなかなか分からないですからね。かかりつけの獣医さんにいろんな相談をしながら処方してもらっていますが、獣医さんも常に私たちの山羊さんたちだけを診ているわけではないですからね。こうなったらこういう薬が効くのではないか、海外の情報を集めたりして、何とか今よりも改善したいという思いが日に日に大きくなっています。とにかく、今の家畜の状況を変えたいです。イヌ、ネコが人間と生きるパートナーとして認めれたように、家畜と呼ばれる動物たちにもそういった選択肢が生まれてほしいですね。そして、家畜という言葉を、近い将来取っ払いたいですね。
(おわり)