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おがてぃ的コミュニケーション論①タテマエとホンネを使い分けない。

 ご無沙汰しております。以前の投稿からだいぶ間が空いてしまいました。しばらく書く気も起きなかったのですが、先日イベントでお会いした人から「noteを書かれているんですね」と言われ、久しぶりに書いてみようという気になりました。以前と同様なるべくわかりやすい、あまり臨床心理学の知識のない人でも理解しやすいよう表現や言葉を選んで書いていきたいと思います。みなさまよろしくお願いします。

 さて、今日書きたいと思ったのは、いわゆるコミュニケーションについてです。しかも「これからはこういったコミュニケーションの取り方が良いんじゃないのか?」と、自分が思いついたことを勝手に提案してみたいと思います。

 僕は臨床心理士(最近は公認心理師でもある)なので、いわゆるカウンセリングとか心理療法をすることもあるのですが、そういう時ってこころの「葛藤」とか「矛盾」とかを扱うことがあります。

 「Aでなくてはならない」という気持ちもありつつ「Aであってはいけない」とか「Bであるべきだ」などという気持ちがあって、なかなか折り合いがつかないことが人にはあります。そして、この葛藤は「社会」と「個人」の間で生じることがあります。「社会の中ではこういった自分が求められる」「でも、本来の自分はそうではない…」という感じで悩んだり、困ったりします。

 遥か昔の古代ギリシャの時代から、西洋ではこういった葛藤や矛盾がある場合、「弁証法」と呼ばれるアプローチで相反する2つについて検討し、どうやって統合していくか、あるいは乗り越えていくかということを考えます。ようは哲学的、論理的に考えることに文化的に慣れているということです。心理療法も西洋から入ってきたものなので、この葛藤や矛盾がどこから生じたのか、そしてどう乗り越えたらよいのかを分析していくことが基本は多いです。丁寧に話を聴きながら、背景に過去の家族関係の問題がある時にはそれを探索したり、本来の自分がどうしたいのかわからなくなった時はそれをいろいろと感じてみたり…など、心理療法の各流派によってポイントは変わるのですが、いろいろと分析したり、統合したりといった方向性は変わらないと思います。

 で、最近僕は「日本人はこの葛藤を乗り越えたり、統合したりってことをしてあまりしてこなかったんじゃないか?」「むしろ積極的に分離してきたんじゃないだろうか?」と思うようになりました。

 なぜかというと、それは日本には「タテマエ」と「ホンネ」という文化があることにふと気付いたからです。つまり、社会と個人の間に葛藤があったとしても、それをそのままにして日々生活し、そういったあり方をずっと受け入れてきたのではないかと思うに至りました。

 なんでこんなことを考えたかというと、僕は発達障害の方との相談のなかで社会性について一緒に考える機会がけっこうあって、日本においてはこの2つをうまく使い分けることが社会性として、あるいは大人として大事であることが暗黙の了解的にあるのではないかということをよく話し合っていたからです。

 そして、この使い分けについて相談の中で考えているうちに、果たしてそれでよいのだろうかと思うようになりました。僕が支援している発達障害、特にASDの方に関してはこの「タテマエ」と「ホンネ」を使い分けたり、相手がどちらを言っているのか理解したりするのが苦手なので、そうコミュニケーションを取られると困ってしまいます。以前は発達障害の方がそれを使えるよう、理解できるように支援していましたが、最近は多様性を尊重した社会であることが望ましいので、むしろそういった使い分けをしない方が、ほんとは親切なのではないかと思うようになったのです。

 また、この使い分けは集団や組織を円滑に進めるうえでは大事なのかもしれませんが、個人の心理的状態としてはあまりこの「タテマエ」と「ホンネ」が乖離してしまうと心の均衡が上手く保てなくなり、非常にストレスフルな状態になるとも思われます。つまり、発達障害の方以外でも使い分けしない方が楽なのではないかと考えたわけです。

 憶測なのですが、たぶん昔の日本ではこの「タテマエ」と「ホンネ」を使い分けることがとても重宝されてきたのではないかと思います。江戸時代とかお上に逆らうとすぐに捕まって罰を受けるとか、そういった時代もあったと思うので、少なくとも表面上は従順であることを伝える必要があったからです。

 現代の日本でもその傾向はあり、特に自分が属する集団や組織の中で「逆らわないようにしよう」という風潮は強いのだと思います。少なくとも表面上は「タテマエ」で合わせて、「ホンネ」は他の場所や人に伝えるという風にする…そんな風にして日々をやり過ごしているのではないでしょうか。

 ただ、いろいろと時代も変わり、個人の人権が尊重されるのであれば、もっと自己主張をして集団が自分にとってフィットするように働きかけることをしても良いのではないでしょうか。その方が、インクルーシブ的にも、ダイバーシティ的にも、ユニバーサルデザイン的にも良い気がします。で、そのように考えると、「タテマエ」と「ホンネ」を使い分けず、もっとシンプルなコミュニケーションであった方が良いのではないかと思うのです。

 しかし、一方で何でもかんでも言ってもよいということではないと思います。やはり相手を傷つけるような言動はなるべく減らした方が良いと思うし、お互いに気持ちよくやりとりができた方が良いと思います。

 では、そういったコミュニケーションをこころがける時には何に気をつければよいでしょうか?ひとつは「やさしいコミュニケーション」を意識することかなと思いました。「やさしい」は「優しい」であり「易しい」でもあります。相手の心情に配慮しつつ、理解しやすい言葉を使うことではないかと思います。また、お互いにとってプラスになるようなコミュニケーションが望ましく、自他共栄というか利他と利己が一緒になるような、そんなところを目指せると良いかと思います。

 システムズセンタード・アプローチという組織マネジメントなどにも応用されている考え方の中にSAVIというコミュニケーションに関する考え方があります。その中で組織がより良い方向に発展していく際、会議やミーティングなどでどんな発言をしたらよいかということが語られているのですが、そのひとつに「自分の感情を共有する」ということがあります。わりと表面的な「タテマエ」のやりとりの際にはその人の感情までは共有できないと思うので、情緒的な所も含めて理解したり、伝えたりできるのも大事なのかなぁと思っています。

 写真は中目黒にある「ぺろり」というお店のカツカレーです。カレーは家庭的で飽きのこない優しい味、コーヒーはすっきりとした味で、どちらも素晴らしく美味しかったです。

#臨床心理学 #心理療法 #対人支援

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