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【目印を見つけるノート】133. 集団の「空気」は風に変わるかな

きょうは小説の更新日ですので、日付を越えないようにしないといけません(苦笑)。

今日の小説ノルマは4000字、ランラン♪

長い小説を他と並行して書きはじめて、もうすぐ3年になります。
「長くなるから書くのやめようかな」と渋りつつ書き始めましたが、いやいやもう、想像よりずっと長くなりそうです。おそらくまだ半分行っていないのではないでしょうか。

今は16世紀のフランスとイタリアですね。

小説を書くときも、他を書くときも、生きていく上でもそうなのですが、「集団」のキャラクターが分かるまで、じっくり観察する癖があります。

例えば16世紀のイタリア、教皇庁はときの教皇の性格によって集団全体の行動が変わります。交渉で済ませようとすることもあれば、遠征する場合もある。トップの意向に添うものですから当然かもしれません。

一方でメディチ一族に見られる「商都」の女性の自立した性格と、フランス宮廷の女性に見られる「奢侈」を重んじて依存する性格ーーなども見られるように感じています。ステレオタイプかな。でもそうですね。
もちろん個人を書くのですが、バックグラウンドとして集団の要素はとても大きいと思っています。

集団の大雑把な傾向をつかむというのは、その国のことをアウェーで書く場合にはけっこう役に立ちます。
あるいは、現実の問題を考える上でもそうかもしれません。


⚫総じて不機嫌なクラス

そう思うようになったのは、高校のときでしょうか。

私はある都立高校に入りましたが、1年のクラスは人間関係で見るとどうにもぎこちない場所でした。とりあえず話はするのですが、「ともだち」になる雰囲気まではいたらない。話も続かない。ずいぶん悩みました。孤立しているような気がして。悪口を言われているのではないかとか(苦笑)。

私は放送部でしたが、先生でも先輩でも同級生でも誰でもフランクに話せる場でした。クラスのことだけが重かった。なので、髪を伸ばして拗ねていました。天然パーマなので、一部で「デヴィッド・カヴァーディル」と言われていました。

あ、わかりづらいですね。
ホワイトスネイクのヴォーカルの人です。ディープパープルといってもいいのか……『BURN』歌ってるしなあ。メンバーかぶり。
ソウルフルなヴォーカルのハードロックで好きでした。
カッコいいですよ。
『FOOL FOR YOUR LOVING』

さらに拗ねて某女子高のお姉さまがたとシン・リジーとかホワイトスネイクのコピーバンドを一瞬やっていたような……忘れました。

どんどん「浮く」ほうに行くのでした。

さて、そんなふうに1年生を過ごして3学期になると、クラスに空席が出てくるようになりました。自主退学する人がぽつりぽつりと出ていたのです。

そこで何となく気がつきました。

1年の終わりにクラス文集を作ったのですが、それを見たときにはっきり気がつきました。文集に書かれた言葉の数々……。
「クラスに馴染めなかった」
「こんなクラス、だいきらい」
「終わってよかった」
「辞めようと思っていた」

みんな気がついたでしょう。
「私(ぼく)だけじゃなかった」と。

クラスという集団の「空気」をみんな作ることができなかったのです。それが苦しかった。

これは私にとって大きな教訓でした。

大学になれば、クラスでの行動は激減します。
サークルで、ゼミで、選択授業で、就活で、卒論でとおのおのが決めて動きます。ですので、「空気」ができないのは珍しくありません。ただ、高校の場合はクラス単位の行動が多いので「空気」のなさが際立ってしまったのでしょう。

高2になったら、何ともノリノリのクラスに当たったので、なおさらそう思いました。


⚫集団の「空気」はどうなるのかな

集団に「空気」がないとしんどくなる例として高校のときの話を挙げました。

それでは「空気」があるほうがいいのでしょうか。
それは何とも言えません。
メンバーを鼓舞して大きな成果を上げられる「空気」もありますし(ニューディールの頃のアメリカはそうかな)、メンバーを暗に除外して病むまで追い詰める「空気」もあります(教皇ハドリアヌス6世は改革に強い反発を受けて、結果的に早く亡くなりました)。

私は集団の「空気」を観察することにしています。

自分が属している集団だけでなく、現代も歴史上観察しうる集団もです。大きくいえば国ですし、世界です。それは書く上でもたいへん役に立ちます。

そのように見ていると、今はどうかなと思います。
SNSというツールが浸透して久しいです。私がささやかに小さなブログを書いていた12年前と較べても、誰もが発信するのが当たり前という感じで、ものすごい速度で広がりました。今やテレビというメディアもSNSに多くを頼っているようです。

これは集団でしょうか。

集団だとすれば、そこに「空気」はあるでしょうか。

それを今は少し考えています。

今年になって世界的規模で、直接人と人が会うことが制限を余儀なくされ、ネット経由が当たり前になりました。特に人と人の交流という意味では、今までの集団=ソサエティが変容してきているようです。

それならば、これまでの土台を持ち込むのではなく、よりよい新しい形を作っていくようにした方がよいのではないか。
それは、これまでのような「空気」ではなく、「風」のようなものならいいと思いますが、どうでしょう。

今は過渡期のように思います。


⚫お籠りクラフトとばら

これまた単純なバラ色のゴムブレスです。
でも、付けると淡いバラ色の光がキラキラとして、気分と指のしながガラッと変わります。

つける人にフェミニンな甘さを添えてくれる、というと気取っていますが、それがアクセサリーかなと思ったりします。

これをつけて散歩に行こうかな。

灼熱の 陽をはねかえす 薔薇の色

ばらは少し剪定しました。

それではまた、ごひいきに。

おがたさわ
(尾方佐羽)

追伸 あしたぶち楽しみにしとるよー💕♪♪♪♪♪♪
   おからだおだいじに😊

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