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【目印を見つけるノート】206. 「はからずも」や「たまたま」にも意味があるかもしれません

変わらず追い込み中のさわです。

書く以外のこともしているのですけれど、
何と言いましょうか……、
お話を書くことが自分を乗っ取っている感じです。家事をしているときも、クラフトをしていても、歩いていても、寝ていてもそうです。
こういう状態は久しぶりです。
一種のトランス状態でしょうか。

きのうまたご利益なことがありました。言い換えれば、「偶然の連鎖」ということなのですけれど。
きのうのnoteで『注解 謡曲全集』をいただいた話を書きました。

昨晩、何気にEテレにチャンネルを変えたら、宝生流の『道成寺』がフルでやっていました。びっくり👀‼️
番組じたいは途中からでしたが、『道成寺』は全部見られました。


[番組の内容]
古典芸能の選りすぐりの舞台をお送りする「古典芸能への招待」。今回は、宗家や人間国宝など能狂言界を代表する方々が一堂に会して、東京・国立能楽堂で行った公演「能楽公演2020」から2曲を中心に送る。▽えたいの知れないキノコに翻弄される山伏を描く、狂言「茸(くさびら)」野村萬斎ほか▽女の悲恋の物語、能「道成寺」宝生和英ほか▽感染症対策を行った公演の模様を紹介▽副音声解説:三浦裕子(武蔵野大学教授)

引用元
http://www.nhk.or.jp/hensei/sp/program/?area=001
(ほんのちょっとだけ映像もあります。10月25日のEテレ21時~をご覧ください)

僧役(ワキ)の福王和幸さん、めちゃくちゃカッコよかったなあ。女性ファンが多いということですが、ばりばり×2納得です。

どこがすごいことなの?と言われると、「うーん☹️」と考えてしまうのですが、
能の起源の神社のことを書いて
→能の『謡曲集』がはからずも手元にやってきて
→見る機会がなかった能の人気演目『道成寺』がたまたまフルで見られたーーということですか。

この順番が逆だと成り立たなかったりするのです。おかげさまで、本をじっくり見ながら演能を楽しめましたので。

「はからずも」や「たまたま」で、自分の意志ではないのです。でも、いただいてとても嬉しいもの。

昨晩、『プロ野球チップス』についてつぶやきましたが、ニュートラルな状態のときにカープの選手が引けるのも、同じだと思ったりします。

今回のことは、観阿弥さんからのプレゼントだと思うことにしましょう。
ありがとうございます。

生きていく上でそのようなことは割とあるように思います。

今は、能動的であることが推奨されます。どんどん動いて、手に入れて、企画して、出力して、表現して次に進むといった具合に。私もこうして書いていたり、ものを作ったりしていますので同じなのですが、雰囲気として受動的と思われる部分はあまり好まれないのかなと思います。
あ、写真だけは受動的な要素が多いでしょうか。

私は景色を見たり偶然に出くわしたり、分からないことに出会うのがとても好きです。それをすぐに分かろうとしたりはしないです。
自分にそんなにすべてが分かるはずもありません。

見たまま、聞こえたまま、感じたまま、そのままで自分の中にしまっておきます。そして、出番がきた昔のビーズのように引っ張り出したりします。
今回のようにパタパタと繋がったら舞い上がって書いてしまいますけれど😅

これは積極的に受容する意思ともいえるかもしれません。
そのような部分がないと、偶然が自分に与えてくれるものの、本当の意味に気づけないと思うのです。


⚫お籠りクラフトとばら

今日のクラフトはアクセサリーではありません。カメラ屋さんでもらうような薄いアルバムを合本にして、千代紙見本帖にしました。落ち着いた亀甲模様を表紙に張りました。手元にすでにあるものを挟み込んでいこうと思います。着物のカタログからも柄見本として切り取れますね。

千代紙、もみじのものをピックアップ。

ばらは3つめの花がきれいに開いています。
いい香り🌹

それではまた、ごひいきに。

おがたさわ
(尾方佐羽)

追伸 新しいお話、4話まで見直し終わりました😄

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