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ものは考えよう-幸福駅で撮った1枚の写真はピンボケだったけど・・・

これは北海道の広尾線幸福駅を走る蒸気機関車(SL:Steam Locomotive)の写真である。1974年12月23日の早朝、朝陽をバックにした貨物列車のシルエットだ。ちょうどSLが現役から退く頃で、多くのファンが全国のSLを求めて写真を撮っていた。学生時代の私もその一人だった。

実はこの写真、ちょっと見るとすぐに分かるがピンボケである。この頃のカメラには今のようにオートフォーカスはない。ピントはあらかじめどこかの場所に合わせておく。それにデジタルカメラではなく、アナログのフィルムカメラである。連続撮影はできず、ちょうど良いタイミングで1枚だけ写真に収める。学生にとってフィルムは高価でもったいないからだ。もし、デジタルだったらSLが来る前に試写してみて、ピントや露出が間違っていないかを確かめられるけど、アナログはフィルムを現像するまで分からない。ちょっと大げさではあるが、一発勝負なのだ。

この写真のSLがボケてることは現像してから分かった。しかも、逆光で、太陽の光がレンズの中で反射してフレアが出ている。逆光の写真を撮るとフレアやゴーストが出るのは致し方ないが、ピントはまずい。SLは1日数本しか走っていないし、吹雪くことの多い冬、早朝に朝陽が出てSLの煙が重なる。こんな好条件は2度とない。せっかくの1枚なのに大失敗だった!出来上がった写真を見て、数日間ふさぎ込んでしまった。

それでは、どこにピントが合っているのか。この写真にあるようにかなり手前の雪面に合っている。フレアの出ている部分だ。でも、よく見ると雪面が波打っていてなかなか絵になるではないか(自画自賛)。ゴミか否か判定しがたいのは事実であるが、雪が少し溶けて水滴が朝陽を受けてきらきら輝いている。そう考えると、そのきらきらにフレアがなかなかマッチしている気がしてくるのだ。

ものは考えようである。

SLや煙や林は輪郭が滲んでピンボケなんだけど、我々が朝陽をみると眩しくて目を細めるが、細めたときに見えるのはこんな感じではないのか、なんて考えるようになった。もしも、ピントがばっちりあっていたら、それはそれで良い写真だと思うけど、眩しい感じがなくなってしまうかもしれない。都合のよい考え方だけど、ものは考えようではないか。

実はFACEBOOKでもNOTEでもカバー写真にこの幸福駅のボケ写真を使っている。写真がボケているとあまり主張しないので、名前の文字や顔写真が浮きだって見える。この写真を撮ったのが今から44年も前だけど、インターネットやSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)が普及したおかげで、ようやく日の目をみることができた。

もちろん、偶然の産物であるが、失敗転じて福となす、とはこのことだ。松任谷由実の歌ではないが、時の流れを超え「朝陽の中で微笑んで」いる自分が幸福駅にいる、なんて考えるととても幸せな気分になる。

今の私は大学の教員で学生たちの卒論の面倒をみている。私の研究室の特徴は学生が何でもやっていいことだ。私自身の専門にこだわらなくていい。そのためか、私が言うのも気が引けるけどとても人気があり、研究室の定員の5倍くらいの応募がある。ものにはいろんな見方があるのに、私の専門ばかりにこだわっていると、せっかくの学生たちの発想を窮屈にしてしまうと思うからだ。

学生たちばかりではない。私自身も実は何が専門なのかと聞かれると答えに窮する。ネット社会論とかヒューマンセンタードデザインとか、経歴に書いているけど、専門の他に好きなことは山ほどある。鉄道写真はもちろん、最近は野鳥撮影が楽しい。写真撮影の旅は高校生の頃から始めたが、最近では撮影よりも温泉に浸かることが多くなった。両親の影響で小学生からテレビよりも映画が好きになった。中学生からジャズバンドを始めた。演奏から遠ざかってしまったが、今でも四六時中ジャズを聴いている。結婚してから料理にはまってしまった。最初は凝った料理だったけど、今では共稼ぎの夫婦のように時短料理が得意だ。これらの趣味は生活の一部になっているが、実は仕事にもとても役に立っている。というより趣味がなかったら、今の仕事はできなかった。

親がうるさく言わなかったこともあり、私は子供の頃からいろいろなことを実践させてもらった。おかげで「ものは考えよう」ということを実践的に体得してきたと思う。もしかすると人生の豊かさはそのあたりにヒントがあるのではないか。そのヒントをこれから少しずつお話しできたらと思う。

好奇心は人生を豊かにする!

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