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「合理性から感動は生まれない」 Voicyが今年もフェスを開催した理由【声の履歴書 Vol.85】

こんにちは。Voicy代表の緒方です。

この「声の履歴書」という連載は、Voicyがこれまで歩んできた道のりについて創業者の私があれこれ語っていこうというシリーズです。よかったらマガジンをフォローしてくれると嬉しいです。

10月27日から29日にかけて「Voicy Fes '22」という大きなイベントを開催しました。70人ものパーソナリティが登場し、7000人以上のリスナーさんが熱狂とともに参加してくれました。

今回は、フェスを終えて、という話だけでなく、そもそも「スタートアップがわざわざ大掛かりなフェスイベントをやる意味とは?」みたいな話もできればと思います。

運営は大変だけど、どうしてもやりたかった。

「フェス」と聞いてまず想像するのは、フジロックみたいな音楽フェスですよね。他にはYouTubeフェスがあったり、UUUMもフェスをやっています。あとはラジオ局も大きなイベントを毎年開催しています。

中でも、個人向けインターネットサービスが出発点となった最初の大きなフェス的イベントはニコニコ超会議だったと思います。

Voicyとしても会社のメッセージとして、「音声×テクノロジーでワクワクする社会をつくる」と言っているので、熱狂をつくって、ユーザーの皆さんと一体となって気持ちの盛り上がりを最大化ができるイベントは、どうしてもやりたかった。

そういう思いもあってVoicyファンフェスタから始まって、昨年からVoicy Fesへとリニューアルし、毎年秋にフェスを開催してきました。でも正直いって、負担は大きかったです。ふだんの事業とは全然違うことをしないといけないし、それでいて自社サービスの上で開催しているので、Voicyというサービスもフェス仕様に少し改造しないといけないんです。

はじめにVoicyファンフェスタをやったときは、「ユーザーさんと直接触れることができたらいいよね」とか、「やっぱりお祭り事があったほうがいいじゃん」みたいな感じで、かんたんに考えていました。

いろいろ運営が大変な件については、「もう少し事業合理性も考えようよ」と言っていたわけですが、結局、事業合理性をあまり考えないままどんどん規模が大きくなっていって今に至る、という感じです。

なので、僕らがフェスを開催することに事業合理性がどれくらいあるのかということは、毎回上手く説明がついていません。株主からも「やるのは仕方ないけど、それで会社の成長が2か月止まっていいの?」と複雑な顔をされている気もします。

価値を感じてもらいながら新しいものをつくる

まずVoicy Fesの大変さの1つとして、まだよくわからないものにお金を払ってもらってもらうことがあります。音楽コンサートにはお金を払う文化はありましたけど、画面も見えない純粋なトークに払ってもらうのはまだ難しいと感じています。

それから他に困ることは、Voicyのサービス自体は無料でほとんどのコンテンツが楽しめるので、どうしても「わざわざVoicy Fesにお金を払う意味があるの?どれだけすごいの?」という感じになってしまうことです。

今は有名人同士が気軽にインスタライブをしたり、YouTubeでのコラボもすぐにできてしまいますから、そんなときに音声だけの対談にお金を払ってもらうのは、結構なことですよね。

冷静に考えたら、「そんなものをやる意味があるんですか?」ということになると思います。ただ、だからこそ普通は考えつかないような組み合わせを仕掛けることと、A+BがCになるようなお題を投げることには気をつけています。

常識的にいろいろと考えると、やるべきじゃないようなことをかなりやっているんだろうな、と思います。ただ、私たちは価値創造型の会社ですから、価値を感じてもらいながら新しいものをつくるということを、すごく大事に考えているんです。

合理性の中では感動は生まれない

そもそも僕は、合理性の中では、感動というものはそれほど生まれないと常々思っています。普通の人が常識的に「ある」と「ない」と考えたときに、「ある」と思うものだけを売っていたら、何も新しいものは生まれませんし、たぶんその壁を突破できないと思うんです。そこはかなり意識しています。

非合理なものを生み出すときは、合理性のものを生み出すときとやっていることがまったく違います。合理性があるものは、今ある制約や強みを考えながら、それを積み上げていくようにして考えていると思いますが、非合理なものはどうやってつくっているのか。

非合理なものを考えることは、ドラえもんのアイテムを考えるようなものです。「あんなこといいな、できたらいいな」と言いながら、「できたらいいな」ということだけを考える。それができるかどうかだけを考え続けていたら、だいたいは非合理な発想になります。

だから僕は、耳が最高にワクワクして皆がそれにお金を払いたいと思えるような「年に1回のこれが楽しみ」というイベントを日本に用意することができたらいいな、と思っているんです。

非合理というものは、単に「合理的ではないもの」ということではないのです。「こういうものができたらいいな」というものを突き詰めたものが結果的に非合理だった、ということです。

ただ、非合理の中にも、わけのわからないものもあれば、夢があるものもあありますし、合理的という思考の中で理解ができないものを全て「非合理」と片付けるのも違います。

たとえば、「ピッチャーもバッターもやってメジャーで1位になる」のは非合理だと思いますよね。最も運動神経が高い奴らが集まっているのに、そんなものになれるわけがないだろう、と。ただ、それは常識のレベルでできないだけだったりもするわけです。

おそらく、パカパカのガラケーが全盛のときにiPhoneというスマホを出してくるのも、合理的ではないと思うんです。ただ「こういうものがあったらいいな」をとことん突き詰めたはずです。アートの分野でも、それがどれだけ売れるかなんて合理的なことは考えていないでしょう。

つくっている本人は、大真面目にその未来を信じています。ただ、それを合理的なものしか理解できない人に理解させるような能力は、非合理な人達にはなかなかなくて…。

合理的な投資家や、合理的に動きたい社員もいる中で、合理的では理解できない夢を到達させようとする起業家もけっこう大変です。

もちろん僕も日々の業務やサービスのアップデートをするときは、合理的に考えます。1年の9割方は合理的な仕事をしているけれど、たまに非合理を突き詰めると、組織の中に少し刺激が与えられるし、何かできないことを動かせるようになるのかな、と思います。

だいぶ抽象度が高い話になってきたので、これはまた別の話にしましょうか。

いつかは「ボイスフェス」を開催したい。

今回のフェスの目標は、とにかく日本で「これはすごいね」と言われるフェスの1つになることでした。

Voicy Fesが1つの旗印になればいいなと、多くの声のプレイヤーがそこに出ることを夢見るような場所になればいいな、と思っています。そのためにまずは有料でも参加してくれる人がすごく増えることを目指していました。

今回は1万人を目指そうと社内で言っていたんですけれども、目標まではあと少しというところです。

(まだアーカイブは販売中です。こちらから買えますのでよかったら)

毎年、フジロックの出演アーティストが発表されたらTwitterで大騒ぎになったり、テレビとかでも「次のフジロックはこうなります」みたいな話題になったりしますが、このVoicy Fesもそうなれるくらいに育てたいと思っています。

本当は、いつかは「ボイスフェス」というかたちにしたい。日本の声が全て集まる場所、みたいなイベントにしたいと思っています。

そのときはVoicyだけじゃなく、あらゆるプラットフォームを巻き込んでいくイメージです。ラジオもテレビも、PodcastとかSpotifyも全部含めて声のトップ層の人たちが出てくるイベントです。

そこで「Voice  of the Year」みたいものを表彰して、その賞をとった人たちによる対談とか、そういうものもやっていきたくて…。やりたいことはどんどん広がります。

まだ終わったばかりですが、未来に向けて、来年もVoicy Fesをさらに盛り上げていきます!

ーー最後まで読んでいただきありがとうございました。

声の編集後記

記事の執筆後に、これまでのことを振り返って音声でも話しています。よかったらこちらもお聞きください。

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