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良運の方程式 第32話

皆さんは、昭和20年9月27日、アメリカ大使公邸で行われた、昭和天皇とマッカーサー元帥の歴史的会見をご存じでしょうか。戦後日本の進路を決めたこの会見は、私達日本人が今の繁栄を手にする決定的なきっかけを作った、画期的な会見となりました。今日はその会見で昭和天皇が話されたこと、そしてマッカーサー元帥の感じたことを記し、昭和天皇のお気持ちに思いを致すとともに、指導者としての持つべき根本的な資質・素養について考えてみたいと思います。

①昭和天皇が伝えた言葉

昭和天皇は、敗戦後、国と国民を守るため、マッカーサー元帥に何を言ったのでしょうか。通訳がメモしていた文章に目を通した当時の藤田侍従長が、後に回想録にこう記します。

「敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追求されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼らには責任がない。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」

開戦は、東条英機首相率いる内閣が全会一致で決定したものです。英国の立憲君主制を手本として、国民の代表たる内閣が決定したことを認可する立場に徹していた昭和天皇が、開戦の決定を覆すことは、形式上は権限を持っていても実際上はそういう権限を行使できないお立場にありました。それを、昭和天皇は形式上であるすべての責任者として、政府の指導層も含めた全国民を助けるため、自分の命をマッカーサー元帥に委ねたのです。

②マッカーサー元帥の言葉

その、一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟を示した昭和天皇のお言葉に対し、マッカーサー元帥は何と言葉を返したのでしょうか。マッカーサー元帥は強く感動され、次の言葉を話されたと藤田侍従長の回想録は記しています。

「かつて、戦い破れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事なく終わったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これすべて陛下のお力添えである。 これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わなければならぬことは多い。どうか、よろしくお願い致したい」

昭和天皇が命乞いに来ると思っていたマッカーサー元帥は、非常にびっくりされ、咥えていたタバコのパイプを落とされたという逸話が残っています。

③会見後のGHQの対応

会見は当初、15分の予定でしたが、35分にも及び、会見終了後、マッカーサー元帥の昭和天皇に対する態度は一変していました。感動した彼は予定を変えて、昭和天皇を玄関にまで出て見送るのです。マッカーサー元帥の最大の好意の表われでした。その後、米国が主導するGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、英国やソ連、豪州等連合国各国が要求していた昭和天皇の戦争責任、処刑を却下し、マッカーサー元帥の強い意向を受けた米国政府は、大規模な食糧援助を実施します。マッカーサー元帥を最高司令官とするGHQの方針により、日本は天皇制という国体を維持すると共に、危機的状況に直面していた日本国民の飢餓を救うことができたのです。

④まとめ

今日は、昭和天皇とマッカーサー元帥の会見を題材に、指導者の持つべき資質・素養について考えています。よく政治家が不祥事を起こした際に、秘書がしたこと、後援会がしたことと言って、トカゲのしっぽ切りで何とか危機を乗り切ろうとする姿勢が目につきます。しかし、昭和天皇は命を差し出す姿勢を示しました。そしてマッカーサー元帥もその真摯な姿勢に感動して、天皇擁護の方針を固めました。責任ある立場の人間にはどのような資質・素養が必要なのか、はっきりと示してくれた歴史的会見でした。最後にマッカーサー元帥が1963年に出した回想録に、昭和天皇との会見についての印象を記していますので、それをお伝えしたいと思います。

「大きな感動が私をゆさぶった。死をともなう責任、それも私の知る限り、明らかに天皇に帰すべきでない責任を、進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動をおぼえた。私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても日本で最高の紳士であると思った」

今日もお読み頂き、ありがとうございました。皆さんに素晴らしい良運が訪れますように!


数多の若き英霊が海の藻屑となりました。感謝と鎮魂の誠を捧げます!合掌!