見出し画像

良運の方程式 第47話

皆さんは、太平洋戦争時の連合艦隊司令長官、山本五十六元帥をご存じでしょうか?米国に学び、米国の強大な国力、軍事力を知っているがために、最後まで対米開戦に反対した帝国海軍の名将です。彼はまた、59年の人生の中で、数々の名言を残しています。今年は、太平洋戦争開戦から80年。今日は、当時を偲びつつ、山本五十六元帥の名言をご紹介させて頂きたいと思います。

①山本五十六のプロフィール

山本五十六元帥は、1884年4月4日、現在の新潟県長岡市で長岡藩士高野貞吉の六男として生まれ,のちに山本家を継いでいます。1904年海軍兵学校を卒業し、日露戦争に従軍、日本海海戦で戦傷。1916年海軍大学校卒業。アメリカ駐在員 (留学) 、海軍大学校教官、霞ヶ浦海軍航空隊副長兼教頭などを歴任。 1925年よりアメリカ駐在大使館付き武官を長く務め、ロンドン軍縮会議の随員でもあったことから海外の事情によく通じていました。 1929年ロンドン軍縮会議日本全権随員。帰国後、海軍航空本部技術部長となり、航空工業の再編強化、部品の国産化、海外新技術の吸収に尽力。 1933年第1航空戦隊司令官、1935年海軍航空本部長となって、海軍航空軍政に手腕を発揮。 1936年海軍次官として日独伊三国同盟に反対するとともに、一貫して対米英協調路線を唱えました。1939年連合艦隊司令長官に就任。 1940年9月三国同盟が調印されると日米関係は急速に悪化し、対米開戦反対論者だった彼が、皮肉にも連合艦隊司令長官として作戦指導にあたらなければならない立場となったのです。尋常一様の作戦では勝利の見込みなしと判断し、開戦劈頭の真珠湾奇襲作戦を計画。 1941年開戦後は対米戦を指導、常に先手を打つ積極策を取りました。しかし、ミッドウェー海戦での敗戦を機に彼の構想は挫折します。1943年4月18日、後方に取り残される部隊を見舞おうとして、ブーゲンビル島上空で乗機を撃墜され戦死しました。享年59才でした。

②山本五十六の名言 その1

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、誉めてやらねば、人は動かじ」

人を教育する言葉として、あまりにも有名な名言です!現在の企業や学校においても通用する、時代を越えた不変の教育方針です。

③山本五十六の名言 その2

「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」

一方的に命令するのではなく、相手の話をよく聞いて、納得したら任せることが、人を育てる上でとても大切なことですね。

④山本五十六の名言 その3

「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」

人間関係は「信頼」です。感謝の姿勢を持って信頼してこそ、人を成長させることができますね。

⑤山本五十六の名言 その4

「苦しいこともあるだろう。言いたいこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣きたいこともあるだろう。これらをじっとこらえて行くのが男の修行である」

特に男性が共感を憶える言葉ではないかと思います。「忍の一字」という言葉があります。長い人生において、じっと堪える芯の強さが大切だと勇気付けられる名言です。

⑥山本五十六の名言 その5

「人は神ではない。誤りをするというところに人間味がある」

過ちや失敗を怖れず、何事にも勇気を持って立ち向かうことの大切さを教えられる言葉です。

⑦山本五十六の名言 その6

「人は誰でも負い目を持っている。それを克服しようとして進歩するものなのだ」

人間皆、様々なコンプレックスを持っているものです。でも、そういう負い目はあって当然!それを克服してこそ進歩があると諭す応援の言葉です。

⑧山本五十六の名言 その7

「百年兵を養うは、ただ平和を守るためである」

国防はもちろんのこと、何事もいざという時のために備えておくことが肝心です。事が起こってから慌てふためく事があってはなりませんね。

⑨山本五十六の名言 その8

「男は天下を動かし、女はその男を動かす」

男女の特徴を上手く表した名言です。男女に優劣の差はありません。ただ、生まれ持った特性が違うのです。それぞれの特性•特徴を融合させて協力したら、鬼に金棒ですね!

⑩まとめ

私事で恐縮ですが、私の亡き父は砲術士として戦艦武蔵に乗艦していました。一時期、連合艦隊の旗艦として山本五十六元帥も乗艦しており、甲板上でお姿を拝察していたそうです。米国に学び、米国の真の強さを肌で感じていた山本元帥が、皮肉にも現場の最高指揮官となり、国運を任される立場に立つことになるとは、人生の不条理さを感じずにはいられません。しかし、それがまた試練を乗り越えなければいけない人生の壮大さなのかもしれません。彼の教育哲学は、現代にもそのまま通じる素晴らしいものです。太平洋戦争開戦から80年の機会に、もう一度彼の名言を噛みしめてみたいと思います。

⑪最後に

ハワイの真珠湾には、日本軍の攻撃を受け沈没した戦艦アリゾナの上に建てられた、慰霊施設としてのアリゾナ記念館があります。戦艦アリゾナでは乗組員ら1177人が死亡し、今も約900人の遺体が艦内に残っています。山本元帥は、米国内においては、真珠湾攻撃を指揮した悪者として長く語られてきましたが、アリゾナ記念館では、山本元帥が米国留学の経験があることや、対米開戦反対論者であったことも紹介されています。日米開戦から80年を経て、世界でも強固な同盟となった日米同盟の現在の姿を見て、山本元帥も草葉の陰で安堵しているのではないでしょうか。合掌。

今日も読んで下さり、ありがとうございます。皆さんがたくさんの「良運」に囲まれて幸せな毎日を送れますよう、心より祈念致します!


数多の若き英霊が海の藻屑となりました。感謝と鎮魂の誠を捧げます!合掌!