利休忌の前夜 【独り茶会】利休居士に想いを寄せる
入門して初めてのお茶会は、利休忌茶会のお運びさん(=バックヤードで点てたお茶を一つずつお客様へ運ぶ役目)だった。
その時は、同じ社中の先輩が逆勝手で薄茶を点てられた。
13年経った今。
私が、利休忌で立礼式の薄茶点前役を仰せつかり、先輩は水屋で私のことを見守りつつお菓子を盛り付ける役目となった。
13年前には、到底私など出来るはずがないと思っていた役目をいつの間にか仰せつかるように…なっていた。
利休忌前日、
利休居士が伝えたかったお茶を今の私は表現出来ているのだろうか…
と、昼間の会場設営を終え家路についた頃から一人ずっと考えていた。
そもそも、
利休居士の命日は一体いつなのか
何年前にお亡くなりになっているのか…
など、何も知らない状態で、利休忌へは向かえないと思った。
ここで利休居士について詳しく書きたいところだが、
明日…
いや、数時間後には着物を着て点前座に座らねばならないのでやめておく。
数時間後にはお客様に利休居士から…
いや…
その先代である武野紹鴎や珠光らから…
脈々と大切に受け継がれてきた、この喫茶文化の素晴らしさを一碗に込めてお届けしたい。
利休宗易居士 1591年2月28日 没
433年目なのですね。
433年以上前から受け継がれてきた、お茶を通して人と人とが心を通わせる、茶の湯。
利休居士が目指した侘びの茶を私は一碗に込めることが出来ているか…
利休居士が伝えたかった茶の湯とは…
自問自答してみる。
すると、
-その道に入らんと思ふ心こそ 我身ながらの師匠なりけれ-
と浮かんできた。
お客様にお茶を点てる前に、自分自身の中にいる師匠と共に利休居士を偲ぶ茶をしてはどうか…
今の私の最大の侘びを表現した道具で。
目指すは、ただ、ただ、美味しいお茶。
自分が美味しい時思える一碗。
-茶の湯とは ただ湯をわかし茶をたてて のむばかりなる事と知るべし-
心がホッと和むお茶。
技術的には、美味しい茶というのは、 適度な抹茶の量・湯の量・湯の温度・茶筅の振り具合 によって決まる。
…と、いうことで、ゴソゴソと押し入れからお道具を出してきて…
真夜中の一人茶会スタート▶️
3碗目では、お湯を沸かし直して、茶筅を振る時には、自然にお抹茶の気持ちになっていた。
気持ちよく茶筅が振れていた。
身体の余計な力が抜けて、自然な力でお茶碗を抑えて、自然な力で茶筅を振っていたのだと思う。
三度目の正直とは、よく言ったもので、三度目で 『これだ!美味しい☺️』 と自分で言えるようになった。
やはり力が抜けている状態が何事をするに当たってもとても大切に思う。
ただ美味しいお茶をみんなで感謝していただく。
これが、茶の湯だ。
とてもシンプル。
美味しい は、ずっと変わっていない。
これからも、それは、変わらないと思う。
だから、やめられないし、伝え続けたい。
美味しい。ホッとする。和む。…など豊かな気持ちが広がっていくことが私の生きる喜びでもあり、それを伝えていくことが私の人生の志でもある。
これまでこの茶道を伝え続けてきてくださった利休居士をはじめ、多くの先人達に本当に本当に感謝と敬意の念を表したい。
…そんなことを考えていたら、この世界には、
ありがとう・おかげさま しかないのだと気づく。
回り回って、全てのことは、感謝=ありがとう=おかげさま なのだ。
だから、明日は、お客様へ。
感謝の一碗を届けたい。
一人ひとり、一つひとつに…
ありがとう。おかげさまで私は生かされています。
お茶が人と人とを繋ぐ架け橋となりますように
私の願いをこの蓋置に込めて♡