求めるものは未だ変わらず 与えるものも今も変わらず
18歳の秋のこと。
学園祭の準備が楽しかった。
本番当日の楽しさはもちろん、仲間たちと「あれが面白そうだよね」「こんなことやってみようよ」とか話すのが楽しかった。
今とはてんで状況が違うのに、今日はなんだかそんなことふと思い出した。
▼4月5日。
今日も自宅にこもる。でも配信やらオンライン会議やらオンライン飲み会、そしてnote、Ameblo、新たに始める企画など、さらに部屋の片つけなど……。
意外とあっという間に1日が過ぎており、《自宅にいる=のんびりする》の感覚でいると痛い目にあう。
運動がてら外を散歩していると、普段より腰が痛い。座り過ぎて腰が凝り固まっている。そして太った気がする。あぶない。健康に気をつけながら引きこもらないとブクブク太ってしまう。あぶない、本当に。適度な運動をしよう。あぶない。
▼まずは動く。
動くと言っても、部屋の中での“動き”だ。
今日のオンライン会議は、いつも色んなお話をできる先輩との会議。
やっぱり近況はそう明るくなく、それでも先輩方は「できること」を模索して自然と未来の話をしていた。どこまでも頼りになるし、そういう心意気の人は大好きだ。
好きなことで生きるというのはやはり甘くないけど、その中で生き残っている方々の思考を聞けるのは非常に刺激的で最高。
不安で国や雇われ先への愚痴が増えるよりも、自分にできること、やれることをさがす。
「マスクなんかいらない!」と怒るなら、2枚を必要としている世帯を探せばいいと思う。
あ、なんかこんなこと言わない方がいいのか。ポリティカルな発信をする気はなく、自分の持ち場の話ね。というかいいか。マスク2枚のことくらい。
とにかく言いたいことは、こうだ。
アンテナの張り方次第で世界の見え方はずいぶん変わる。
かっこいい先輩たちに負けないよう、おうちの中でも自己研鑽していこうと思う。(かっこいい風なことが言えてニヤついている)
まずは動く。これに尽きる。
▼求めるものは未だ変わらず 与えるものも今も変わらず
日々オンライン会議をしていると感じることがある。
それは信用と期待。
こういう時に自分の力を必要としてくれている方がいる。
それだけでとても嬉しい。それだけでいい。本当に。
もちろんお金を稼がないといけない。でもそういうことじゃない。
僕はこの世界の情勢のおかげで半強制的に考える時間を与えられた。
日々考える。
「この時間にできることはなんだ?」「僕たちが生きているってなんだ?」「僕はなぜこの仕事を選んだんだ?」「今の状況は『仕方ない』で」「修羅の道に生きる覚悟があるものは、果たしてこの状況で国や周りの環境にして生きるだろうか?」
カッコつけて言えば、命題について考える。
答えは本当にシンプルだ。
“みんなで楽しめる時間をつくる”
“おぶきょの作るものって良いよね”
“おぶきょと一緒にもの作るの面白いね”
これだけだ。
まるで、あの頃の Dさんに聞かれているみたいだ。
(Dさん=RHYMESTERのMummy-Dさん)
D「俺たちに大切なものって何だと思う?俺らが一番嬉しいことって、一番もらって嬉しいことって、何だと思う?」
(リスペクト〜〜)
Dさん、声の方へ熱くグッと指をさす。
(中略)
Dさん「つまり『求めるものは未だ変わらず 与えるものも今も変わらず R.E.S.P.E.C.T』ただ1つ、リスペクトです」
(かっこいい……)
(貼るのめちゃくちゃ迷ったけど、かっこよすぎるから貼りました。)
(サムネイルかわいそうすぎるからかえてあげてほしい)
そうだ。求めるものは未だ変わらないし、与えるものも今も変わらない。
リスペクトだ。
高校の文化祭に遡る。
文化祭委員の中でも花形の「イベント班」で後夜祭を仕切った。
後夜祭で司会をやって、おおいに盛り上がった。
それ以外でもとにかく目立ちたがりだったおかげで、学校のだいたいの生徒と友達になった。違うクラスの同級生、学年も部活も違う後輩たちと挨拶する回数も圧倒的に増えた。
シンプルに、ちやほやされて気持ちよかっただけかもしれない。
いや、それだけじゃなくて一緒につくった仲間や後輩との時間が今でも財産になっていて、みんなが1つのことに向かっていくエネルギーが最高で、結果を残せた時の達成感が忘れられないのかもしれない。
あれから時は経って、今は学生の時のノリなんてさっぱりなくなっているけど、
あの時の原体験がいまだに僕を突き動かしていると、再度思う。
口だけになってはいけないから、もっともっと動いて、もっともっと与えられる存在になる。応援してくれる人に、自分の活動で還元していけるように動こう。
地道に1つ1つ、やっていこう。
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