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「立春号特別コラム」は
・新年の挨拶とお詫び
・一路東へ
・自己組織化する東京
・釈迦が作った巨大教団
・壁を作らない

無料公開は「一路東へ」の途中までとさせて頂きます。
続きは購入後、お楽しみ下さいませ。

◎ 新年の挨拶とお詫び

 明けましておめでとうございます。今月は「法然の選択③」を掲載する予定だったが、「今月の運勢」を「月刊気学」とするにあたり、予定を変更して特別コラムを執筆することにした。続編を期待して頂いていた方には、まずお詫びを申し上げたい。
 このコラムは多治見市にて二〇一九年十二月八日に開催された「二〇二〇年の流れセミナー」の冒頭でお話した内容をまとめ、加筆修正を加えたものだ。二〇二〇年「庚・子・七赤金星」のテーマである「壁を作らない」ということを中心にお話を展開したもので、手前味噌にはなるが、今年一年を過ごすために大切なことをお伝えすることが出来たと思う。ぜひ、ご一読頂きたく筆を取った次第だ。「法然の選択③」については、来月掲載させて頂く。また来月もお読み頂ければと思う。それでは、今月のコラムをお楽しみ頂きたい。

◎ 一路東へ

 −東京というのは不思議な街だ−
 二〇一九年は例年になく東京に出かけたと思う。メールボックスに残る膨大な量の航空券の発行メールを眺めると、僕ら夫婦は毎月のように東京に出かけていたことが分かる。今年はやたら旅費交通費が高くなったのはそのためだったか。
 十二月は僕が岐阜で「特別講義・二〇二〇年の流れセミナー」の講師をしている間、妻は東京で「展望と開運二〇二〇セミナー」のお手伝いだった。岐阜でのセミナー後、毎年恒例の懇親会を終え、一路東京に向かう。懇親会は一年に一度しか会わない方もみえて盛り上がった。どうやら飲み過ぎたらしい。名古屋駅での乗り換えの際、自動券売機の指示に応えることが出来ず、窓口でチケットを買う。
 その日は日曜日だったからか、指定席の窓側と通路側が空いていなくて、予定より二本遅い便になった。名古屋−東京間なんて、二時間弱だけど、それでも真ん中の席は何となく気を使う。こうみえてナイーブなのだ。
 東京で新幹線を降りると、改札口で妻が待っていた。三日ぶりに会うということもあり、話は尽きない。宿への道すがら歩きながら、それぞれが手伝いに行った大阪と東京の「展望と開運セミナー」について話をし、また自分が講師を務めた「特別講義・二〇二〇年の流れセミナー」についても話をし、ひとしきり情報交換をしたところで、宿についた。その日は二人とも宿に着くなり泥のように寝た。
 翌朝は早くから日光に向かう予定だったのだけど、二人とも早朝に目覚めることが出来ず、予定を変更した。完全に寝過ごしたことに気づいた僕ら夫婦は、互いに笑ってしまった。あまりに取り返しのつかない失敗だと、もはや笑うしかない。
 予定を大幅に切り替えて、東京でランチをしてから先に鬼怒川温泉に向かうことにした。せっかくだからランチはその日の吉方に向かう。たまたま八白中宮の日だったから、妻は吉方がなく、僕の吉方となる北に向かう。東京駅の南に位置する宿から大手町駅に向かえば、十分距離が取れそうだ。
 大手町の地下のタイ料理屋さんに入る。妻はここで大切なリップを無くしたらしい。
「線路の日だから戻って来ないね。」と二人して笑う。
 それにしても、歩いてみると数年前とは全く違う景色になっていることに気づく。いつも東京に出かけるときは、昼間に歩くことなど少ないから、こんなにも景色が変わっているということに気づかなかった。本当にこんなにスピーディーに姿を変えられるのは、日本では東京という街だけだろう。
 福岡に住んでいるとしみじみと思う。

「なんだか東京という街が羨ましい。」

◎自己組織化する東京

 そういえば毎年恒例で開催させて頂いている多治見での「特別講義・二〇二〇年の流れセミナー」だけれど、今年は非常に多様な受講生さんに恵まれた。三〇名の参加があったわけだけど、このセミナー、六年前は受講生はたったの三人だった。当時はまだお寺さんの講堂を借りて行っており、こじんまりとしたセミナーだった。それはそれで楽しかったけれど、毎年毎年、徐々に生徒さんは増えていき、今年は当初の十倍に膨張した。
 六年で十倍になったこのセミナー。この増え方は年率にすれば、百六十%の成長率で拡大しているということになる。日本のこの三十年の経済成長率は一体何%だったろうか?毎年百六十%の成長率というのは「結構すごいことだな」と個人的には思っている。
 これから日本全体が毎年一.六倍に経済規模が拡大することなんて、当分の間はあり得ないだろう。でも、個人のビジネスならこのくらいは出来ると僕は思っていたし、そういった発言もしていた。そして、数年間でここまでこれた。有限実行となっているのが嬉しい。
 来年はこのセミナーもおそらく参加者は五〇人を超えると思う。だから、東京の社会運勢学会の本部とかけあって、「展望と開運セミナー」のタイトルで名古屋で出来ないかな?と思っている。他の先生と協力すれば、一〇〇人は集められると思う。もちろん僕のような生意気なガキに協力してもらえるのか?っていう疑問はあるのだけど。
 ただ村山先生は名古屋を大事にしておったわけで、いつかは名古屋に「展望と開運」を呼び戻したい、と思っている。村山先生は一人で名古屋の「展望と開運」に四〇〇人以上誘導していた。僕の実力は知れているけれど、皆で束になれば一〇〇人くらいは集められると信じているわけだ。
 さて、今年は人数が増えた分、非常に面白い面々で行うセミナーとなった。僕よりも村山先生とのご縁は長い方もみえたし、逆に村山先生が亡くなられた後に、先生と縁を結ばれた方もみえた。また毎年このセミナーにしか来ない人もいるし、初めて気学に触れる方もみえた。
 僕と一〇年以上の縁の方もいたし、僕のつけた名前を捨てるという面白い人もいた(今は結局、僕の選名したお名前に戻したそうな)。本当に様々だったわけだ。

 法華経の最初に、「授記品」という弟子達が一斉に集まり、釈迦に成仏の保証を授けられるという章がある。そこに釈迦の弟子が二〇〇〇人くらい集まっている様子が生き生きと描かれている。
 本当に釈迦教団というのは巨大な組織だったと思わせられるシーンだけども、その場で釈迦は初めて自ら口を開く。他の経典は全部、聞かれたことに答えている。法華経は自ら口を開く。これをもって日蓮は法華経信仰を立てるわけだ。自分の口で、自らの意思で説いたこの教えが、仏教最高峰の教えだ、と。
 その集まった二〇〇〇人というのが、非常にレパートリー豊富で読んでいて楽しい。阿羅漢というエリート、比丘、比丘尼という出家信者らがいるのは当然だ。さらに在家信者もいるし、さらには無学人と呼ばれる、仏法に触れるのが初めての人もいた。
 それだけでも驚きなのに、他にも竜女すなわち人ではないもの、夜叉なんて化け物おそらくチンピラみたいな人達までいたのだ。そういった様々な人たちが集まったところから法華経はスタートする。

 こんなに大勢のお弟子さんに教えを伝えたお釈迦様だったけれど、忘れてはならないことは、もともと釈迦には一人の弟子もいなかったという事実だ。釈迦は十大弟子といって、重要なお弟子さんがいるのだけれど、その人達に出会うまでの時期もあった。
 もともと一番最初は鹿などの動物に説法しておったわけだ。僕もたまに多治見で生徒さんがいなくて、ウナギと喋って帰ることがある。いや、ウナギは言い過ぎだけど、数人しか目の前にいないときは、天人というか、生徒さん以外の空間に満ちた存在をイメージして話したりすることもあるのは事実だ。だけど、釈迦でさえ0から始めたのだ。だから、我々も最初からうまくやらなくて良いのだ。最初からたくさんの人を集めようなんて、正直甘いと思う。
 とにかく「一」でいいと思う。一人で良いから、「あなたの話を聞きたいです」。そう言ってもらえる人を作ることが何よりも大切だと思う。そう思ってここまで数年間、必死に勉強会の灯火を消すことのないように、精一杯やってきた。

 ただし、この「一」を作るのは容易では無い。だから、みんなここの努力を嫌うわけだ。
「誰か代わりにやってくれ」
そういう甘ちゃん経営者はホッ◯ペッ◯ーみたいなサイトに頼る。でも、そういうところで取った客はあまり続かないことがほとんどだ。
 だから、最初は苦しくても、自力で「一」を取ることだ。まず、それが出来ないと、戦略など意味を為さない。自分の声で、商品で、懸命に自分の良さを伝えることが何よりも大切だ。
 ここを怠ったら、絶対に商売の繁栄は無理だと思う。営業代行とかを使ったら、その時点で終わりなのだ。自分のサービスを使ってくださる人を、誰かに用意してもらおうとかダメだ。こういったことは、僕自身、宅配水の事業をしたときに痛感させられた。
 コラボセミナーとかも、僕も誘いを受けるけれどやるだけ無駄だと思うから全部断っている。そういったセミナーのほとんどが互いに互いに依存してるから、結局集客が大して出来ない。僕と同じくらい集客出来る人となら考えなくもないけれど、僕の顧客をあてにするような人を相手にしている暇などない。
 釈迦は営業代行を頼んだことはないし、同時代を生きた孔子とコラボを希望したこともない(当然、二人が同じ時期にこの世に存在したわけではないけれど)。自分が懸命に生きることで、自分の正しいと思った道を歩むことだけで、あれほどの教団を作っていく。どこへもへっちゃらで一人で歩いていき、たくさんの弟子を連れて帰ってくる。
 釈迦は厳しい人だ。
「俺はこう行くぜ、ついてきたいやつはおいで」
という姿勢を崩さなかった。そんな淡白な生き方にもかかわらず、どんどん弟子を増やしていく
 その過程で、いわゆる組織化していった。意図的にしたというよりも、そうならざるを得なかったのだろう。勝手に組織になっていった。こうやって、勝手に大きくなっていくのが組織の理想だと思う。

 だけど、基本的に宇宙の法則はそれとは真逆で、勝手に小さくなっていくことがほとんどだ。
「エントロピーの増大」という言葉がある。熱力学の言葉で「不規則さ、無秩序さ」を表す言葉だが、不可逆変化をするときには、常に増大する。そして多くの物理的現象にはこれが当てはまる。
 例えばここに、日光で食べた豆乳ラーメンを置くする。するとこのラーメンのまわりの空気は温められる。それによって、逆にラーメンは熱を失うことになる。そしてまた、温められた空気も広がって、ラーメン同様熱を失う。温度が規則性を失い、希薄化するということだ。
 同じように水の中にインク垂らすと広がって薄くなってしまう。これも凝縮されていた濃度がその規則性を失い、濃度が希薄化されたということだ。
 基本的には多くのものが温度や熱を「不可逆的に」「不規則性をます」つまりエントロピーの増大という働きをもっている。
 煙突から立ち上る煙が空中に消えていくのもこれだ。煙が白く、または黒く見えるのは、物質が凝縮された状態であるということで、それは徐々に空気中に希薄化され、濃度を失う。そして、再び勝手に物質が凝縮し、煙に戻ることはない。
 多くのものが薄まり、希薄化され、姿は見えなくなってしまう。
 ところが、ときとしてそうでないものも存在する。例えば我々の体もそうで、放っておいても残念ながら重くなるばかりだ。
 この地球というのもそう。最初はチリみたいな石だったのが、そこにどんどん石が集まってきて星になった。こうやってエントロピーの法則に沿わないものが出てくる。このようなものには特徴があるらしい。
 それをエリッヒ・ヤンツって人が「自己組織化する宇宙」という本で提唱した。まず一つに生命を持っていること。生命というのはエネルギーとか気とか言っても良い。もっと言えば、意思だろう。
 エネルギーを持っているものは無秩序さを増大するのでなく、規則性を高め凝縮して集まろうとする。
 そしてもう一つ、出入り自由であるということつまり、中心のエネルギー値が高いことと周りもエネルギーを持っていること。そしてそこに出入りが自由な状態があること。
 これが、エントロピーの増大という基本に反して、集団の濃度を高め、秩序を作っていく条件らしい。
 東京という街が、どんどんと増殖を続けるのは、こういった東京に出るものたちの「エネルギーの高さ」とそれを受け入れる東京という街自体が持つ「出入り自由」な雰囲気にあるのではないか。地方創生が進まないのは、様々な利権が絡み合い、「出入り自由」ということが失われているからということも一因であると思う。もちろん、東京だって様々なしがらみもあるのも承知しているけれど、その上で「出入り自由」でどんどんと生まれ変わる東京を見ていると、やはり「羨ましい」と思うのだ。。

◎ 釈迦が作った巨大教団

 釈尊教団も出入り自由でった。だから、阿羅漢だろうが夜叉だろうが、みんな同じ場所で釈迦の話を聞いていたわけだ。
 実はこれが僕が最も大事にしているところだったりする。組織は出入り自由じゃなきゃダメなのだ。商売で「囲い込み」をする人や組織があるが、あれでは儲からない。一定のとこまでは行くと思うけれど、それ以上は無理だろう。
 だから、僕は他の気学や易の先生の講座、どうぞ行ってくださいと生徒さんに言う。例えば中部には同じ社会運勢学会も何人も先生がいるわけだ。そういった先生の授業に「どうぞ行ってください」と常に申し上げておるわけだ。
 そこで素晴らしい教えがあれば、それはそれで素晴らしい。感銘を受けたのであれば、僕のところに帰ってくる必要は全くない。ただ、僕も勿論それなりに自信を持ってお伝えしているわけだから、「きっと戻ってきてくれるはず」と言う自負もある。だから「どうぞ」と言っているわけだ。
 実際に、僕の勉強会に日程が合わずに来れなくなり、他の先生の授業を受けている方もみえる。だけど、そうやって他の先生の勉強会に行ってみえる方も一年に一回のセミナーには、こうやって戻ってきてくださる方も多い。それで良いと思っている。だから、どんどん外に出られたら良いと思う。
 これはビジネスでも全く同じことが言える。最近になって副業解禁の流れが出てきたわけだけど、僕の会社はずっと副業OKにしている。ただし、最低限の約束はある。うちの約束は「他のスタッフの邪魔をしないこと」。それさえ守ってくれれば、他のスタッフが納得してれば他の会社で働いても、まったく問題ない。

 そこにはどんな考え方があるかと言えば、出入り自由だとで、社会との接点が出来る。そうすると、そこから新規顧客の獲得が発生する訳だ。福岡の東門先生は、武道をやっている。こないだまでは確かフラメンコをやってた。非常に好奇心旺盛で多才な方だ。だから、顧客が非常に多い。その趣味の仲間から直接お客さんになってくれたとかだけじゃなく、多様な価値観に触れることで、様々な刺激があり、それを会社に持ち帰ってくれる。
 他にも東海のスタッフには祭り好きな後藤さんというオジサンがいる。祭りは土日に行われるから、整体業では書き入れ時なわけだけど、それでも「どうぞ、どうぞ」って送り出している。それでお客さんを取ってきたりするわけだから、止める理由がない。その日だけを見れば当然マイナスになるんだろうけれど、長い視点で見れば大幅なプラスだ。毎日真面目に出勤するだけで、家と職場の往復しない人よりも、はるかに顧客を創造する力に長けている。
 仕事以外で社会と接点を持たせると売上が伸びるわけだ。だから、僕の勉強会でも生徒さんが他の勉強会行く。そうすると、例えば僕より話が面白くない先生いたりする。すると、そこの生徒さんに「うちの先生の方が面白いよー」と話たりする。
 するとその他の先生の下で勉強していた生徒さんも僕の勉強会に「行ってみようかな?」なんてなったりして、実際に多くの方が来てくれる。もちろん逆もまたあり得るわけで、そうやって僕の勉強会から他の勉強会に引っ張られる人だっている。
 だけど、それはそれで素晴らしいことだと思う。自分にぴったりの先生に会えたんだから、そんな幸せなことはないだろう。義理で僕のところへ来る必要は全く無いし、僕も生徒さんを「囲い込み」しようなどとは露ほども思わない。そんなことをしたら、タダでさえ怪しい「九星気学」なんてものが、宗教に近い臭いを醸し出すことになる。
 出入り自由にすれば、当然顧客の獲得チャンスと同時に、喪失リスクは出てくる。だけど、チャンスの方が大きいと僕は思っている。

◎ クローズな組織は暴力なのかも知れない

 クローズな関係を作ると多様な価値観に触れるチャンスを失う。そして、判断力が低下する。DV男が、恋人のスマホを取り上げたりするのは、そういった理由による。「よそ」を知ってしまい、自分たちの関係が異常であることを恋人が知ってしまうのが怖いのだ。だから、囲い込みをするような商売人はDV男に近いと僕は思う。そんな風にはなりたくない。

 DVなんていうと大げさに聞こえるかも知れないけれど、美容室とかエステなんかの業界ではこういった事が平気で行われていたりする。たとえばスタッフが独立する。そうすると「裏切られましたっ!」なんて相談にくる人がいるわけだ。全くもって情けない話だと思う。そういった相談者には「良かったですね、開業資金を貸してあげてください」とアドバイスするようにしている。
 相談に来た方は呆気にとられて、「何を言ってるんですか?ライバルが増えるんですよ」とか言うけれど、僕はいたって真剣だ。自分の店の近くにライバル店が出来て、しかもそこに金を貸したとなれば、独立する方とすれば、もう足を向けれ寝られなくなるわけだ。つまり

「今の私があるのは、あそこの先生のお陰様です」

となる。そんな程度の感謝も出来ない人間なら、勝手に潰れていくからそもそも脅威ではない。
 金を貸したとすれば、独立後もそのスタッフとの関係性も維持できる。金を返しに来るたびに、なんか持ってくるかもしれない。近況を報告し合いながら、新しいアイディアだって得られるだろう。もしそのスタッフの店が予約でいっぱいになって、受け入れができないときは師匠の店紹介するかもしれない。
 そのスタッフが食い詰めたら、また「雇ってくれ」となるかも知れない。そうしたら、求人募集を出すコストも減る。そして、それをみた若い子はそういった支援をしてくれる店で働きたくなるだろう。
 だいたい整体業も含め、下で育った人間には独立してもらわないと困るのだ。考えても見て欲しい。六〇歳の美容師を決して安くない固定経費を使って雇うのか?
 視力が衰え、腕も落ちた美容師に髪の毛を切ってもらいうために誰が来店するのだろうか。少なくとも一番金使う二五〜三五のF1層と呼ばれる客層は来ないと思う。せいぜい、馴染みの年寄りだけだろう。それではいつまでもスタッフも客も代謝していかない。だから新しい情報はほとんど入らずに、ドンドン尻すぼみになってしまう。ビジネスには新陳代謝、すなわち出入りが必要なのだ。
 僕は整体師なのだけど、指名客などは別に欲しいとは思わない。
「だれがやってくれても、このお店に来ると身体が楽になるね」
と言ってもらう方がありがたい。
「このお客さんは、私じゃなきゃダメなんだよね」
と思った瞬間に、整体院はダメになる。
 整体師の側としても
「誰に担当してもらっても良いですよ」
と言える度量は持ち続けたい。それが、さらなる精進を生み、さらなるサービスの向上を促すことになるのだ。「この人は自分の顧客だ」なんて勘違いをしている限り、サービスは良くならない。そもそも顧客は「誰かのもの」などではなく、どこまでも自由な存在であるという前提を忘れないようにしたい。
 だから、どんな業界であれ、大きくなりたかったら閉鎖型じゃなく、開放型にならなきゃダメだと信じている。「囲おう」という考えがよぎったそのとき、ビジネスはダメになっていくのだ。

 僕は今年から、勉強会を全て社会運勢学会に移した。社会運勢学会に対して売上からなにから全部を公開しているわけだ。それはただただ、社会運勢学会に対して、そこの生徒さんに対して、オープンでありたいという一念からだ。そうするとね、東京に行くのがちょっとだけ恥ずかしい。
「え?石川さんって、あの生徒数が少ない人?」
とか思われたくない。だけど、それでもオープンであり続けることが事業拡大の基本だと信じているから、全てオープンにしている。
 全部オープンにして、正当なマージンも支払う。当然手取りは減るはずだけど、それでも勉強会の利益、去年よりかなり上がっているわけだ。
 受講料も他の社会運勢学会の講座と足並みを揃えるために1.5倍になった。その分、顧客獲得のハードルも上がった。普通に考えたら、売上は下がる。それまで五〇〇円で食べられていた博多ラーメンが急に内容そのままで七五〇円になったら、普通は客数が大幅に下る。だけど、売上も利益も増えた。それは、我々夫婦の勉強会の進め方のスタイルが開放型だからだと確信している。
「どなたでもどうぞお越しください。分からなかったら隣に座っている先輩に聞けば大丈夫ですし、内容がつまらなかったら別の先生を紹介します。」
こういったスタイルをこの一年貫いた。
 釈迦もそういう人だった。無学の人は分からないところは隣に座ってる阿羅漢に聞けばいい。合わない人は、自由に出ていけばいい。組織は閉鎖的になれば、自己組織化されない。逆に開放型にしておけば、勝手に自己組織化されていく。我々の勉強会の特徴は、内容が良いとか鑑定が合っているとかではなく、どこまでも開放的であるということにある。

 特に九星気学の先生というビジネスは九星では九紫火星が担当する業界だ。九紫火星は「比較」という意味を持つ。だから「気学教えるのであれば、社会運勢学会の認定講師試験を受けると良いですよ」と事あるごとに伝え続けている。訳の分からない肩書を自分でつけて、何も知らない顧客に自分の能力を隠して営業をしている人も多いけれど、公に堂々と名乗れるものを持った方が良い。その看板で顧客を獲得出来ることはないけれど、少なくとも我々と同じ土俵に立って、オープンで技術を磨いてくことが何よりも大切だ。鑑定技術をオープンに評価されるのは確かに辛いことでもあるけれど、九紫火星というのはそもそも「明らか」でなければならないのだ。つまり、自分の技術もオープンにしていかねばならない。そこから逃げた瞬間に、鑑定士というのは力を失うと僕は思っている。オープンな場所で戦い続けることが求められる職業なのだ。

 そういったこともあって、僕の勉強会は録音OKとしている。もちろん、著作権は放棄していないけれど、家で何度も繰り返し聞いて復習してくれたら良い。こういったコラムとか記事だって、自身の勉強会で話すときのネタにしてくれたら良いと思っている。
 そして、遠慮することなく、どんどん気学を教えられたら良い。もちろん、僕の丸パクリではなく、自身で考えて、自身の言葉にして伝えなければ伝わらないと思う。だいたい、僕の鑑定なんて、ほとんど間違っていると思うし。
 そうしたら、皆さん起点にまた気学の教えが広がることになる。そうやって、どんどん広めれば良いと思っているわけだ。
「そんなことしたら、自分のセミナーに人が来なくなるじゃないですか?」とか言われたりする。だけど、それで良いのだ。
 それに、どうせルーツなんて隠せない。僕が村山先生の弟子であることを隠せないように。僕の生徒さんが教えた生徒さんは、どうせ僕のものにたどり着く。勉強会に来る、来ないは別として。
 今年は二黒土星が南で破壊殺を背負っている。二黒土星はルーツだ。ビジネスで言えば「トレーサビリティ」という言葉があるけれど、この商品やサービスはどこから来ているのか?これが今年、崩壊する。だから、商品の産地偽装なんかが起こると思う。気学の世界でもでもルーツがハッキリしなくなってくるはずだ。自身の素性を隠したり、ごまかしたりして気学を伝えようとする輩が跋扈する予測。
 だけど、そういった姿勢に破壊殺がかかるから、そういった人は必ず生徒を少なくすることになる。つまりエントロピーが増大する。僕は勉強会を開放型に維持し、そういったエントロピーの増大、すなわち勉強会の無秩序化を避けようと心がけようと思う。もちろん、出入り自由だから、毎回受講する生徒さんの顔ぶれは違うと思う。だけど、全体とすれば「自己組織化」を果たし、さらなる気学の学びの広がりを実現できると思っている。

◎ 壁を作らない

 こうした話をクドクドと続けてきたのには理由がる。今年は「庚・子・七赤金星」の一年なわけだが、納音は「壁上土」であることには「展望と開運」にはあまり触れられていなかった。これは紙幅の問題でもあるし、それ以上に重要な鑑定があったわけだから、致し方ない。納音は正直、枝葉の部分になるけれど、多少頭の端に置いておいてもいいと思う。
 この二〇二〇年の納音「壁上土」というのは、その名の通り壁であって、人生上、または社会的に壁が出来るということを表している。
 アメリカではトランプが今、メキシコとの国境に壁を作ろうとしてる。六〇年前の壁上土ではベルリンの壁が出来た。
 そういった壁の影響が特に強いのが二黒、七赤、九紫だ。壁が出来る、すなわち人生に邪魔が入るわけだ。これらの星は、自分の周りに存在する壁を壊し、心を開放的に保たねばならない。五黄土星と三碧木星も同様のことを意識すると良いと思う。逆に自分が誰かの邪魔をすることは絶対に避けたい。
スタッフが独立したい、どうぞ。
生徒さんが他の勉強会行きたい、どうぞ。
社員が転職したい、どうぞ

「どうぞ、どうぞ、どうぞ」で過ごしたい一年だ。誰かの自由な活動を絶対に邪魔したくないのだ。
 もっと言えば「自分の目の前から誰かがいなくなる」ということを、「自分が否定された」と考えないようにしたい。
 それは相手の成長であり、その成長をもたらしたのは、紛れもなくあなたなのだ。
 離職率を下げようという取り組みが企業で進んでいる。職場のホワイト化という趣旨であれば結構なことだけど、それがただの数値目標に過ぎないのであれば、僕は真っ向から反対する。
 人材なんて流動性が大事なのではないのか。もちろん、長くやりたい人はやればいいけど、離職率だけで会社の良し悪し判断されたくはない。中途入社を、ウェルカムとするのであれば、誰かが辞めていかなければならないのは必然だ。新しい価値観が入れば、企業はもっと強くなる。だからこそ、既存の価値観が流出することを恐れることはない。
 常に風通しをよくしないといけないのだ。壁を作っていはいけない。風通し悪いとこにいたら、人間も食べ物も腐ってしまう。今年の中宮を担当する七赤金星は「腐敗」も担当する。壁を作ってしまうと内部が腐敗する一年だと考えたい。
 もちろん、失うということは最初は辛い。一緒に頑張って来た人がいなくなるのは辛いことだろう。だから、七赤金星という星は担当する数字は四と九、四苦八苦なわけだ。それでも心も組織もオープンにしておかなければならない。壁を作ってはならないのだ。
 今、世界中で壁が作られようとしている。前述のトランプのメキシコとの国境の壁はもちろんのこと、世界経済も新しい冷戦ともいうべきアメリカ対中国の間で、互いに互いの陣営に踏み絵を踏ませ合っている。中国は韓国を取り込もうとやっきで、トルコやドイツもそういった流れに同調している。アメリカを中心とする陣営には日本もいて、米中貿易摩擦の影響を強く受けざるを得ない立場となっている。
 アメリカと中国を隔てる壁。このどちら側につくかというのは、今後数十年を決める大きな決断となると思う。どう考えても人権意識もまともにない中国につく理由は見当たらないけれど、昨今の野党の動きを見ていると、そうは簡単に決着がつかなさそうだ。
 立憲民主党は共産党との共闘を進め続け、極左政党となりつつある。それに秋波を送られた国民民主党がどう動くかは現時点では不明だけど、もしその動きに乗るようであれば、自民党一強は継続することになるだろう。本来の中道左派の路線を継承し、その上で自助努力による更生を果たさねばならないのだろうが、玉木代表はどう考えているのだろうか。地道な拡大路線を選んで欲しいと願うばかりだが、もし立憲民主党との合流を実現させることになれば、大きく支持を失うことになるだろう。四緑木星の玉木代表にとって、大きな正念場になると思う。ここで「自民か?極左か?」という壁に隔てられた「どちらかの陣営」に入る選択をせずに、オープンな組織のあり方を模索して欲しい。

 ここまで今年一年のあり方を簡単ではあるが述べさせて頂いた。もちろん、「庚・子・七赤金星」の全体を捉えると、このコラムの理解はさらに進むと思う。ぜひ、「恵方置きカレンダー」と「一年の流れDVD(付録冊子付き)」を購入し、冊子を読んで頂くと良いと思う。また村山幸徳著「展望と開運二〇二〇」も必読だ。
 このコラムの内容をまとめると

・組織は開放型であるほどに自己組織化され大きく拡大する
・ルーツを大切にするほどに、組織は拡大する
・誰かの邪魔をしない、人生の壁は越えていく

ということになる。セミナーの内容をまとめたコラムだから、話の展開として分かりにくいところもあったかもしれないけれど、ご容赦願いたい。もし、質問があれば、僕のセミナーで遠慮なく質問して欲しい。
 庚は相続であり、更新だ。二〇二〇年も村山先生の、そして社会運勢学会の意志を継承し、九星気学を初めとした東洋思想の素晴らしさを皆様にお伝えしていけるように精進を続けていこうと思う。この「月刊・気学」も一生懸命に書き続けて行こうと思う。変わらぬ応援を頂戴できたら嬉しい。
 それでは、来月のコラム「法然の選択③」を期待しておいて欲しい。法然という傑物の類稀な「選択の力」をお伝えできるよう、全身全霊で執筆をしていく所存だ。

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