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ひとは やはり ひと

先日ツイッターなどでみた、チューリップフェスタ中止(刈り取り)の話をしますね


※流行り病の話題



花咲けば人密集…チューリップ80万本、無念の刈り取り
https://www.asahi.com/sp/articles/ASN4L7FCZN4JUDCB00G.html

この記事のページをひらいたとき、悲愴なチューリップ畑の写真に 胸が痛んだのですが、記事を読んで すごく……もしかしたらこのごろの出来事のなかで一番はっとした……胸を打たれたかもしれないです。


苦渋の決断、英断だと思いました。
チューリップフェスタを中止にしても、畑には出入りができてしまうので、人は集まってしまう。そうなんですよね。お知らせをしても(知らない人もいたかもですが)来る人は来るのですよ。もしかしたら「お祭りが中止になったから誰も行かないだろうし、少し見に行くだけならいいだろう」と思った人が たまたま同じ日にたくさんいたのかも。まあ なぜ中止になったのか(花や会場の不備や不具合ではなく、人に集まってほしくないから)を考えたら、少しだけだろうが行くべきではないのですが…。
で、「花がある」から人が集まるのであれば、「花をなく」せばいいという。それはとてもシンプルなこたえ。

でもきっと、ほぼ確実に、反対意見もあったでしょう。約100種、80万本、手間もお金も時間もかけて、人によっては情もかけて、育てて作り上げたでしょう畑、お花。
けれど「すべて刈り取る」に至ったのは、人を守るためであることは間違いない。
集まる人々への対応をしきれないとか、細かいご事情もあるのでしょうが、最終的には、来てしまう人や迎える人や近隣の人々を守るために、見せるために育て上げた花をすべて刈り取った。

"人"が最優先すべきは やはり"人の命"なのだ、という、社会のルールというか、真理……正義……正解?を、見た気がしたのでした。
それでいい。そうでなければいけない。それが人の社会で、人の世界なのでしょう。いくら花が美しくても、それが人の心を和ませ感動させ癒やすに足るものでも、「花を見る」ことだけでは人は生きていけないのです。「いまここで花を見る」ことで病のリスクが高まるのなら、その美しく可憐な花は刈るべき対象にもなるのです。つらいな。

刈らずに柵とかで……とも思わないではないですが、規模的に無理なのでしょうね。外野が考えうる案は当然検討され尽くされたのだと思います。
私も 刈られて嬉しいわけではないです……でもとにかく、このくらいしないと駄目なんだろうなということは、接客業をしている人間なので、なんとなく…お察しします……。


しかしまあ、これがたとえばもしも「球根ごと抜いてしまう」とか「花でなく動物だったら」とかを考えると、感じ方や捉え方もまた違ってくるのかもしれないと思いました。散る花(散らされた花、刈り取られた花)というものには、また別の価値……美しさ……エモさ………が生まれるので、なにか余計な感嘆を抱いてしまった心があるのかもな……と迷います。そもそも「(わかりやすく)きれいな花だったから」身勝手な感傷に勝手にひたってしまっただけなのかもしれない。
(事情は違いますが、「動物だったら」でいま知るところだと こちらが近いのかなと。
https://www.sanyonews.jp/sp/article/1004444 )


こういったことに正解というものはないと思いますが、私は今回の関係者の方々のご判断に敬意を表します。人を守ってくださってありがとうございます。なんだかとても強い""光""を感じたというか……眩しいと思った。
何よりも人の命をとるということ。人は……ひとはこんな………こんななのに……。
現地に覗きに行かれた方々のこと、だいぶ悪い言い方をしてしまいましたが、過ぎたこと以上にこれからのことを考えないとですねと思います。生きるというのは常に先へ先へ行くしかないので。戻れはしないので。
自分も、軽率な行動で(もしかしたらずっと知ることも気づくこともないまま)人を痛めていることはあるはずで、なんかもう……やりくりやりとりしてくしかない…。


また着地点を見失ってしまった。他人の行動をやいのやいの言う記事を残すのはとてもこわいし申し訳ないと思う…のですが、光だなぁ〜(まぶしい…)と感じて印象に残った出来事だったので。
なにものにも遮られることなく ひろい花畑を人々がゆったりまわることのできるいつかの日を 夢見ています。

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