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健康で文化的な最低限度の生活

今年は本当に災害が多い。関西では地震、そして台風。中国四国も大雨。で、今度は北海道で地震。

東京は台風以外は特に何もないけれど、いつ地震が来てもおかしくないと言われ続けていて、うっすらとした緊迫感や不安が膜のように貼り付いている。

日本国憲法第25条では、国民の社会権として生存する権利を規定している。

第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

これは要するに国がおまえらを守るぜ!っていう宣言なんだけれど、この「健康で文化的な最低限度の生活」というのはなかなか強烈なキャッチフレーズだなと思う。

なぜって、健康&文化的で勝つ最低限度のボーダー設定をしてそれをクリアするのは、実は結構難しいんじゃないだろうか?と思うからだ。


うちは現在4歳と1歳の娘2人を育てつつ、夫婦2人ともフリーランスとして仕事をしている。僕は店舗設計が仕事で、妻はフードスタイリストだ。

幸いなことに僕らの親は介護問題などもまだないので、同居じゃないからそれほどの助けは望めないにしても、夫婦2人でなんとか暮らしを回していっている。

そして、夫婦ともに特に持病もない。娘たちも元気いっぱいで、好き嫌いはあってもアレルギーすらない。


ありがたくも仕事がかなり忙しいので、趣味らしい趣味はない。育児と仕事と、ちょっとの家族の時間を作ったら、他に何かやる時間は残らない。

強いていうなら読書とかなのだけれど、読書や映画鑑賞や食べ歩きすらも全て仕事のリサーチを兼ねているので、一銭にもならない動きはほぼない。

酒は趣味かもしれないが、これもクライアントがワインのインポーターさんだったり、レストランだったりするから、結局仕事半分だ。

文化的な趣味なのかどうかはわからないけれど、ここまで揃っても「健康で文化的な」暮らしをしていると胸を張って言えないようにも感じている。


生きているだけでいい

ちょいちょい書いているけれど、10代の頃に色々あって不登校にはまった時に、うちの母親には「生きていればいい」と言われた。

そのあとに、青春18切符で国内を回ると言った時も、フランスやアメリカに旅行に行く時にも、生きていればいいからと言われた。

なんでもない日常を過ごしていると、欲望のハードルはどんどん上がって行くけれど、何か病気をしたり災害にあったりすると、いかに普段のなんでもない日々が貴重なのかを思い知る。


北海道の震災での大規模停電、電気が止まればポンプも動かないので水も止まるし空調も止まるし暮らしは一気に行き詰まるだろう。

皮肉なことに短期間で何度も災害を経験することで、支援の立ち上げスピードは尋常じゃなく早くなった。

中には溜まっているポイントで募金ができたりする。現金やクレジットカードはハードルが高くても、端数のポイントならいいよ、っていう人は結構いるんじゃないだろうか?

もはや反射的にさまざまな支援募集が立ち上がっていて、ここに関してはすばらしい前進だなと思う。きっかけが災害で、犠牲者が出ているから素直には喜べないけれど。。。


ほんと、こうして普通に朝ごはんを食べてnoteを書いて、娘を幼稚園へ送って、時間がない!とか言いながら仕事やって、締め切りを切り抜けて晩酌する。

そんな当たり前の日常を過ごせることが、どれほど幸せであるか。

ちっぽけなフリーランスなので大したことはできないけれど、少額の寄付をしつつ、被災地域に1日も早くあたりまえの日々が戻ることを願っています。


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