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【世界遺産・短編小説】「明治七年の幽霊船」後編

 あんた、小菅修船場を見て何か気づかなかったかい。
 そうさ、この修船場は元あった入り江を使って造られている修船場なのさ。海からやって来た船が、そのまんまこの修船場に入ることが出来ちまうのさ。だから、ここは特別な修船場なんだよ。こんなに修船場に適した地形ってのもないからな。英国のお偉い機械も、ここじゃあなかったらあんなに真価を発揮出来なかっただろうさ。
 さっきも言った通り、こういう地の利もあって、小菅修船場ってのはとにかくにぎわっているのさ。働いてる職人達も、そりゃまあ腕が良くて真面目でなあ。設備に人がそろっていりゃあ、どんな船も小菅修船場を使いたがる。小菅修船場なら、余所よりも高い金を払っても構わないって言い出す船もある始末。良い修船場にかかれるかどうかで、船の寿命はかなり変わる。廃船になるかどうかの瀬戸際が、小菅修船場にかかれるかで決まるっていう人間もいたくらいだ。
 そんな小菅修船場が、三日も停まったことがあるのさ。他の修船場じゃいざ知らず、小菅修船場じゃあ、信じられない話だろ。その三日は、とっても大事な船の修理が入ったってんで、小菅修船場はそれにかかりきりになったんだ。当然、小菅修船場を当てにしていた船は大慌て。けれど、文句を言うわけにもいくまいよ。ここに入れてもらえなくて、また遠くまでいかされちゃあ、たまらないからな。
 当然、決まってた予定をズラしてまでその船の修理にかかったってんだから、ここらの人間はみんな噂したのさ。それこそ、天皇陛下が直々におおせられた船の修理だとか、グラバーさんに関係する特別な英国人の船だとか。でも、おかしいんだよ。遠巻きに小菅修船場をながめていた人が、その三日間は一隻も船を見ていないって言うんだ。けれど、実際にその三日間、小菅修船場は使えなくなっていたのさ。
 それで話が出たのが、幽霊船だよ。とんでもない話だと思うだろう? けれどな、今まで沈んでった数多あまたの船が、幽霊船になって小菅修船場に修理してもらいにきたって話は、いやに信じたくなるような話じゃないか。その三日は、小菅修船場は使えなかった。姿の見えない船だろうが、実際に小菅修船場はその船の修理をしたんだ。ん? どうだい、これが明治七年の幽霊船さ。
 おっと、あんた、妙な顔をしているね。ちゃんと最後まで話せって? まあまあ、おしまいまで話す前に、少しあんたも考えてごらんよ。あんたも、お偉方の秘密の船だと思うかい? それとも、本物の幽霊船だと思うかい?
 ほうほう。それも確かにありえそうな話だねえ。その時、小菅修船場がどこか不具合があったってのは、その時の噂の一つにあったとも。それでお忍びの船が来るってていで修船場を閉め、修船場が元通り使えるように大急ぎで修理したってな。
 けどな、馬鹿言っちゃあいけねえよ。他の場所ならいざ知らず、小菅修船場は『修船場』なんだぜ。壊れそうになっている船がようやっと辿たどり着き、その命を任せる場所だ。もし修船場に不具合があったら、修船場はそれを隠しやしない。不調を隠して船の修理に回りでもしたら、その船は直らんかもしれん。理由を説明してちゃあんと修船場を閉めるさ。もしかすっと、もっと長いこと修船場の不具合が直らないかもしれないしな。そうなってくっと、今度は修理を待つ船の予定が狂っちまうだろう。そうしたら、何隻かの船が動けないまま放っとかれることになるのさ。
 そうなったら、小菅修船場だけの話じゃなくなっちまうのさ。船ってもんが、色んなところと繋がってるからこその話だな。
 だから、小菅修船場に不具合があったってあんたの読みは外れてる。他に、何かあるかい?
 いやいや、異国の秘密の軍艦が小菅修船場を頼りに来たって、それじゃあ小菅修船場がお国を裏切ったってことになっちまうだろう! 天皇陛下もいらした修船場で、そんなことがあるものかい! それに、みんな船なんか見てないって言うんだ。いくら修船場の職人達が内緒にと言ったところで、きっと誰かが言っちまうよ! 現に、ここらの奴らは船なんか見てないってことを、周りに言っちまってただろう? それだって秘密の一部だってえのにな。
 時としては、何かを見たって話よりも、何も見なかったって情報の方が大事だってことがあるんだ。お前もそういうことには覚えがあるだろう?
 ……おっと。驚いたね。
 俺もここでこの話を何度も何度もしているけれど、ちゃんと自分で答えに辿り着いたのは、あんたが初めてだよ。もしや、俺が少し話し過ぎたかね。へへ、入り江の話をしたのがよくなかったか……。それとも、何も見なかったってえ話かい。もしかすっと、そういうのがぜえんぶ集まって、あんたに答えを教えたのかもしれんな。それこそ船が色んな部品で出来上がってるみたいにな。
 勿論、俺が知ってるのは正真正銘の答えだよ。俺が適当に決めた答えってわけじゃあない。へへへ、種明かしをするとな。俺はこれを馴染なじみの職人に聞いたのさ。まあ、こういうもんは知ってる人間にさくっと聞いちまった方が、話が早いもんさ。最初はなかなか話してくれなかったけど、あいつらもあいつらで気の良い連中だし、それに、誰かに話したくなる話だったんだろうな。
 明治七年の夏、船を修船場から送り出して、さあ次と職人達が準備をしていた時の話だ。奴らは職人気質で気が早い。一つ終わればすぐ次と、やたら滅法めっぽう働きたがる。
 そんな矢先だった。入り江に、大きな黒い船がぬるりと入ってきたのさ。あまりに大きかったんで、職人達はそれを次来る予定の船だと勘違いしたらしい。けれどね、その船はマストも帆も無い。おかしいな、と思っているうちに、その船が大きく、鳴いた。
 そう、小菅修船場に入ってきたのは、くじらだったのさ。
 勿論もちろん、大人の鯨ってわけじゃない。いくらなんでも、大人の鯨はあの修船場に入り込めないからな。子供だよ。子供ってたって、そこらの船と同じくらいはあったらしいが。
 小鯨は、全身から血を流していたそうだよ。何にやられたんか知らないが、親とはぐれたところを狙われたんだろうなあ。小鯨はなんとかそれから逃げてきて、小菅修船場に迷い込んできたんだ。
 それを見た職人達は、小菅修船場で小鯨を休ませてやることにしたんだ。大きな修船場は、鯨をすっぽり包むだけの大きさがあった。ここなら疲れ切ってる小鯨を『直す』ことが出来るんじゃないかと思ったんだな。職人達は船じゃないものを直すために、そりゃあてんやわんやしたそうだぞ。その大騒ぎの様を、職人は面白おかしく語っていたさ。
 そうして三日目の朝、『幽霊船』は出航したってわけだ。小鯨は迷い込んできた時とはまるで違う泳ぎっぷりで、長崎の海へ泳ぎだしていったそうだ。
 幽霊船の真相に、俺はとんと気がつかなかったが、言われてみりゃあ納得したよ。そんなお客が来ていたんなら、あの小菅修船場を明け渡すのも無理はない。どんな船よりも特別な『船』だからな。
 昔から、長崎ってのは鯨と縁が深くてね。そこら中で鯨料理が食べられるだろう。それはな、こういう風に鯨ってもんを大切にしていたからなんだよ。もし、怪我けがをした小鯨を見捨てて食いでもしたら、鯨はそっぽ向いちまってたかもしれん。俺はこの話を聞いた時に、改めて長崎を──小菅修船場を──それに、職人達を誇りに思ったね。
 あんたもこの修船場を見た時に、美しいと思ったろう? 技術と人と海とが一体になっているこの修船場がさ。この風景を見たあんたはツイてるよ。
 運が良けりゃ、沖に出た時に大きくなった『幽霊船』を見られるかもしれないな。長崎を出入りする船と鯨との並びは、そりゃあ良いもんだよ。なあ、思い浮かべるだけでも良いだろう?
(了)

小菅修船場は日本初の蒸気機関を動力とする曳揚げ装置を装備した洋式船台で、小菅修船場跡は世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のひとつに指定されています。




斜線堂有紀(しゃせんどう・ゆうき)

1993年生まれ。上智大学卒。
2016年『キネマ探偵カレイドミステリー』で第23回電撃小説大賞〈メディアワークス文庫賞〉を受賞してデビュー。ミステリやSFの意匠を凝らした物語のなかに、一見相反するような感情の歪みを鮮烈に描き出し、次々と話題を浚う。他の著書に『恋に至る病』『楽園とは探偵の不在なり』『廃遊園地の殺人』『回樹』『本の背骨が最後に残る』『星が人を愛すことなかれ』などがある。