
【世界遺産・短編小説】「明治七年の幽霊船」前編
明治日本の産業革命遺産ミステリー小説
新人ミステリー作家の登竜門『このミステリーがすごい!』大賞受賞者をはじめとした新進気鋭のミステリー作家たちが、世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の地を実際に訪れて短編のミステリー小説を書き下ろし。広域にまたがる構成資産を舞台とした物語をミステリー作家陣が紡いでいきます。
ものづくり大国となった日本の技術力の源となり、先人たちの驚異的なエネルギーを宿す世界遺産を舞台にした不思議な物語を通じて、この世界遺産の魅力をより多くの方に感じていただき、価値が後世に繋がっていくことを願っています。
明治七年の幽霊船
斜線堂 有紀
あんた、もしかして小菅修船場の幽霊について調べてるのかい? 明治七年の幽霊船の話だよ。あの話はみんながみんな別個のことを言ってるからねえ。元締役の品川藤十郎様ですら、例のことについて口にするのを避けてるって始末だ。でも、あんたは気になるんだろう? 本当のことを知りたいってわけかい?
へへ、それじゃあ、教えてやろうか。おっと、これをどこかに書いたりしちゃあいけないよ。それに、ちょっとしたお気持ちを頂けるかい? そこまで多くは求めないよ。ほら、それこそここ長崎じゃ、語りの上手いもんにはそれなりに尊敬を抱かせるのが常というもの。お? なるほどなるほど、お気持ちとは言ったが、いやはや、あんた分かってるねえ。この話を聞いて、後悔しないよ。それじゃあ明治七年の幽霊船、始まり始まり。
あんたは小菅修船場のことをどれくらい知ってる? こーんなでっかい小菅修船場がどうやって出来たか、知らないだろ? 地元の人間ですら、あのグラバーって異人さんが建てたんだとか、お上が急に造ったとか、そういう風に捉えてる奴らが多いもんだからね。でもねえ、そんな浅い考えで造られたもんじゃあないんだ。これはね、むしろこの国が誇るべき経緯で出来た代物なのさ。
ここはね、元は薩摩藩の船を直そうって理由で造られたところだったんだよ。あの頃の薩摩藩っていやあ、十何隻もの洋式船を持っててね。そんなに洋式船を持っている藩は他にありゃしない。
実は、この国に蒸気船が持ち込まれる前に、ただ一藩だけ自分らの力ででっかい船を造ろうと努力していたのが薩摩藩だったのさ。有名なところでいくと、佐賀藩なんかも自分らの船に燃えてたっけ。けれど、雛形の借り受けすらせずに自分らで一から開発しようっていうのは、それこそ薩摩藩だけだった。まあ、そんな薩摩藩も、ここ長崎に来た蒸気船を観て肝を潰したって経緯があるんだけどな。そう考えると、この長崎ってのは、色んな人間の価値観をからっと変えちまったんだなあ。
それで、薩摩藩は異国から船を買う方向に方針を変えて、あっという間に船を買い揃えちまった。そりゃあ一角のもんだよ。今でも薩摩藩はとんでもないけどなあ。そんだけの船を抱えてると、自前の修船場を持ってないと回らないんだよ。たたでさえ、船ってのはすーぐ壊れたり痛んだりするからなあ。蒸気船なんかもっとだよ。蒸気機関がやられちまうと、上海くんだりまで修理しなくちゃならんこともあるってさ。これじゃあせっかくの船がまともに動かせやしない。
それで、薩摩藩の船を直す場所が必要だっていうんで話が持ち上がったのが始まりさ。もし薩摩の船の修理予定が無い時は、他の藩や幕府の船の修理を請け負えりゃ、儲けにもなるしな。
結局、薩摩藩の金だけじゃあ小菅修船場ってのは出来上がんなくてな、結局グラバーさんも金を出して今の小菅修船場を造ったってわけだ。異人さんの金が入ってくるってことで嫌な顔をする人もいたんだけどな。俺個人としては良かったと思ってるよお、なんせ英国の機械がぞくぞく入ってきたんだからね。あのでっかいクレーンも、そのクレーンを動かすでっかいボイラーも、歯車も、レールも、鎖も、みーんな、グラバーさんと薩摩藩が手を取り合ったから導入されることになったもんなんだからな。いやはや、文句言ってたやつらも、いざ小菅修船場が出来ていくのを見てたら、口をぽかんと開けちまって。ありゃあ、やっぱりとんでもない力があったんだわな。
英国の機械ってのもすごいもんだけどなあ。それこそ、長崎の力も同じくらいすごいもんだったんだ。ほれ、あの小屋が見えるだろう? 煉瓦造りのあの小屋さ。でっかい煙突があるやつさね。あの中に曳揚げ機とボイラーがすっぽり入ってるんだが、あの煉瓦は、ここ長崎で初めて造られた特別な煉瓦なんだよ。あんた、煉瓦で出来た小屋なんか見たことないだろ? 煉瓦ってのは、ちいちゃな炉なんかを造るもんってイメージがあるからな。異国じゃあ、もう家なんかも煉瓦で造ってたりするそうだけどな。建物用の煉瓦ってのは、なかなか見ないだろう?
名前は──ハルデス煉瓦っつうご立派な名前が付いてるんだけどな。ここらの人間はみーんな、コンニャク煉瓦って呼んでんのさ。なんでって、見りゃわかるだろ! ひらべったくて、コンニャクに見えるからさ! おお、あんたも分かってるな。ここの曳揚げ小屋ってのは、洒落てて良いだろう?
へへ、コンニャクといえばあよ、この修船場自体も何かに似てると思わないかい。当ててみな。船台が細長くってさ……。いやいや、コンニャク煉瓦にコンニャクドックじゃあ、格好がどうにも付かないだろ。正解は、ソロバンドックっていうのさ。これは誰が言い出したんだったかなあ。職人が言い出したんだったか、地元の奴らが言い出したんだったか、案外、ここいらをうろついてる子供が考えたのかもしれねえな。子供ってのは、すーぐ何かにたとえたがるだろう?
細長ぁいこの造りのお陰でこの修船場は船底の修理にもしっかり対応出来るってわけだ。薩摩が輸入船で最も困らされたのは、船底が腐っちまうことだった。ここを修理出来る修船場があるのも、上海と横浜と、それからここ長崎くらいにしか無くってな。ここに立派な修船場を造るってのは、それこそ悲願だったのさ。
そんなわけで、この小菅修船場は出来上がったわけだ。立派なもんだろう? ほら、あれが見えるかい。そうだ、あの船もどっかのお偉いさんの船さ。大きいもんだな。あんな船を任せられる修船場が、この国にあと何カ所あると思う?
今や小菅修船場ってのは、国内でも有数の素晴らしい修船場だよ。今じゃあ、小菅修船場が空いてる時ってのが珍しい。聞くところによると、とんでもない稼ぎだっていうじゃないか。最初はどうなるこったと思ったけど、思い切って造って良かったと、今じゃみんな思ってるんじゃあないかね。こうした金の出し時に勝負出来るようになったのも、異人さんと手を組んで良かったところかもしれないねえ。もしかすると、これから先はこんな風に余所の国と一緒になんかを造るってのが、当たり前になってくるのかもしれないねえ。いやはや、流石に勝手なことを言いすぎか。ついこの間まで鎖国してたって国がなあ。
まあ、でもそういう風に、物事が大きくなればなるほど、色んなところに巡り巡って儲けが出るってことはあるだろう。情けは人の為ならず、ってよく言うだろう。巡り巡って俺のところまで。そら、俺も、あんたみたいに小菅修船場に興味がある人間に話をすることで儲けのおこぼれを得られてるわけだからな。小菅修船場ってのはすごいところなんだよ。ここで、巡り巡って色んなことが良くなってるってことさ!
そうだそうだ。もっといいことを教えてやろう。ほら、あんたも聞いたことがないかい? あの天皇陛下もこの小菅修船場にいらっしゃったって話! ありゃあ、三年前のことだね。長崎行幸の際に、小菅修船場で船が修理されてるところをご覧になったのさ。それから、俺は小菅修船場ってのは、陛下のご加護があるんじゃないかって思うようになったのさ。実のところ、その辺りから小菅修船場は更に儲けを出すようになったって話だ。
おっと、そんなことを言ってるのに、言うに事欠いて『幽霊船』なんて、とんでもない話だって思うかい。陛下のご加護があるってのに、幽霊船なんぞが寄りつくはずがないってな。いやいや、最後まで話を聞けば、俺の言っていることが不敬なんかじゃないってことがわかるはずさ。むしろ──おっと、ここから先はあとのお楽しみにしておこう。
待ちきれないって顔をしてるな。よしよしそれじゃあ話してやろう。