「定型発達」第15回-定型発達の求める「共感」とは
#発達障害 ( #アスペルガー #ASD )当事者から見た普通の人達( #定型発達 )の不思議な特徴とその理由について書いていきます。連載。
「共感」についてのtwitter上のやり取り
久々の更新です。
ツイッターで、「ASDと診断された配偶者には、自分の求める「#共感」はしてもらえないのか」という話題があったので、定型発達の人の求める「共感」とはどういうものなのか、質問してみました。
複数の(定型発達と思われる)方から丁寧な回答を戴き、また「共感」について他の発達障害者がツイートしている内容などを読んで、私なりに理解できたことを書いてみます。
「同じものを見て同じ感情を持つ」は「共感」か
やりとりでわかったことは、「同じものを見て同じ感情を持つ」あるいは「同じ感情を持ったことを告げる」は、定型発達にとっては「共感」されたと感じるには不十分だと言うことです。
彼らが「共感された」と感じるのは、(そのように感じた)自分と同じ感情を相手も抱いた、と「感じた」ときのようです。ある人は「自分と同一化しているような感じ」という表現をしていました。
そのためには相手から、「言葉」と「感情(おそらく非言語的コミュニケーション)」を伝えられる必要があり、ASDは非言語的コミュニケーション能力が弱いため「共感されていない(=冷たい)」と感じて不安になってしまうらしいのです。
「共感してほしい」は「自分に関心を向けてほしい」?
そして、定型発達の人からは、さらに興味深い示唆がありました。
「同じ感情を持ったと告げる」だけでなく「その時の相手の状況や想像される感情に言及する」「そこから連想される、相手と共有した過去について話す」などが「共感」につながるというのです。
定型発達がコミュニケーションを好み、特に目的なく会話することは別の回でふれていますが、これはつまり「相手が自分に関心を持っているか」が彼らにとって非常に大切なことであり、「共感」してほしいのは、そのことを確認したいためだと推測されます。
まとめ
一般社会では定型発達は常に多数であるため、「共感してもらえない」という不安を感じづらいと思われますが、家庭では定型発達が発達障害者と同数か少数になることがあるため、この不安が顕在化してくるのでしょう。
ASDは、まずはこのことに気づき、話をきちんと聞き(聞くだけでよいようです)、相手に関心があることを折に触れて表明することで、ある程度不安を取り除けるのではないかと思われます。
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