千種有宗
【#7】みことのり――第1回はじめに
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【#7】みことのり――第1回はじめに

千種有宗

はじめに


 上古、官吏のことを「みこともち」といったが、それは「御言もち」の義で、天皇の御言を身に帯びてこれを代行するのが官吏の営みであった。そして、天皇もまた皇祖神のみこともちであった。みこともちは、御言に宿った尊貴の御霊を運ぶ容器であり、みこともちが身に帯びた御言を発している時、その言葉は尊貴の言葉に等しいと信じられた。特に、天皇は皇祖神の御言を身に帯びて、御言に宿った皇祖神の御霊を運ぶ容器である。それ故、神と人間との境界にある最高存在として天皇の身体は現御神と尊称され、その御言すなわち「みことのり」も尊ばれるのである。


 上古の官吏にとっては、天皇のみことのりをもってこれを代行することが、その唯一にして最高の使命であった。官吏がみこともちとして謹んでみことのりの聖旨を遵守実行したならば、万機は自ずから通じると信じられ、聖徳太子は十七条憲法の第三条*1で「詔承必謹」と定めてその伝統を明示した。山上憶良が遣唐使多治比広成に贈って「神ながら愛での盛りに天の下奏したまひし家の子と選ひたまひて勅旨戴き持ちて唐の遠き境に遣はされ罷りいませ*2」云々と歌ったのは、天皇のみことのりを身に帯びてこれを代行するのならば、たとえ唐にあろうとも必ず天神地祇の加護があるに違いないと信じたからである。そう信じたのは別段上古の人々だけではなく、例えば吉田松陰は「勅を奉じて死すれば、死は猶ほ生のごとし。勅に背きて生くれば、生は死に如かざるなり*3」と言ったし、橘曙覧は「天皇は神にしますぞ天皇の勅としいはばかしこみまつれ*4」と歌った。


 この信念、つまり、皇祖神のみこともちとしての天皇、そのみことのりを身に帯びて代行するみこともちとしての官吏、という仮構への信念こそが我が国のまつりごとを担保してきたのだった。実際、近代に至るまで統治の実権者は様々に替わったけれども、彼等は例外なく天皇に任命されるみこともちであり、そうであるが故にその統治は正統性を有した。現代に於いても、内閣総理大臣の地位がなぜ正統性を帯びるかといえば、天皇が任命するからにほかならない。みこともちという仮構は、我が国の伝統であり、法である。而してこの法に違反するが故に不忠の実権者は破滅してきたのであった。これは決して春秋の筆法ではない。


 しかし、現在この伝統ないし法は破壊されつつある。官吏は天皇のみこともちを自認するのではなく、なんと大衆のみこともちを自認して俗吏に堕した。「国民主権」などという馬鹿げた標語を振り回して、大衆の醜悪な世論を聖なる言葉として戴く倒錯した狂信者が跋扈し、国家の執政を担っているのだ。彼等は、自らの地位の正統性の源を浮気な大衆の支持に求めているようだが、それ故にその地位は腐りきった果実のように脆い。汚濁した泉から清流は生まれない。それを知って大衆を唾棄する国民にはみこともちとしての天皇の聖性を信ずる者がまだあるようだが、彼らとて神を畏れる心性に欠けるところも多い。神への畏れがなくなれば、その御言(御霊)を宿すみこともちとしての天皇への畏れもまた、失われる。この様を見ると、我が国は政治上脳死状態にある【#1】のみならず、文化上も脳死状態にあり、破滅に向けて行進していると言わざるを得ない。

 
 我が祖先は、我が文明に自生する所のみこともちという仮構を信じ、歴代天皇のみことのりを解釈しつつ、それを伝統と為して継承して来た。天皇は今上に至るまで126代を数え、この間に下された天皇の言葉の数は膨大である。しかし、みことのりとは天皇の言葉全てをいうのではなく、個人的な言葉を除いた、みこともちとしての言葉に限ると解釈すべきであろう。天皇は、世襲によって皇祖神の御言を承け継ぎ、そのみこともちとして御言をのるとき、それがみことのりになるのである。したがって、たとえ今上が何を述べようとも、それが歴代天皇すなわち皇祖皇宗のみことのりに則ったものでなければ、それはみことのりと解釈すべきではない。我々が天皇を尊貴と戴くのは、たとえ天皇の身体が替わろうとも、天皇が世襲の地位であるが故に、天皇が皇祖神の御言(御霊)を完全に承け継ぐからである。この不変性に尊貴の源が有る。したがって、皇祖神の不変の御言に反する天皇の言葉は、みことのりに成り得ない。言い換えれば、皇祖神の不変の御言に則った天皇の言葉のみが、みことのりになるのである。そして当然、皇祖皇宗のみことのりに反する天皇の言葉は、みことのりに成り得ないことになる。

 而して、みことのりは内閣総理大臣が出す所信表明演説や施政方針演説などとはその性質を全く異にする。総理大臣の演説が語るのは戦略や政策といった低級の流行の言葉であるところ、天皇のみことのりが語るのは世界観、人生観、道徳観といった高級な不易の言葉である。我々国民に対して践むべき道を示唆するのがみことのり、といってもよい。


 我々は、我が国の伝統を引き受けるからこそ国民で有り得るのであって、我が国の伝統を引き受けない者は単なる人民あるいは大衆と呼ぶべきである。今、大衆と大衆を信仰する俗吏の手によってみこともちの伝統は破壊されつつあり、数少ない国民も践むべき道を見失って大衆に堕そうとしている。我が国は破滅の崖縁に追い込まれているのだ。しかし、残念なことに、それを止めることはできそうにない。天皇のみことのりを承けて大伴家持のように「海ゆかば」と応えられる官吏があるか。ないだろう。我々にできるのは、精々歴代天皇のみことのりを拝読し、最後の国民としての覚悟を定めて我が国が滅びるのを哀しみつつ待つことだけである。そして、みことのりに示される世界観、人生観、道徳観を子孫に伝えて、この国土にまた国が再生することを信じて自らを慰めるほかない。

(続く)

 それでは、今日はこの辺で。
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*1:『日本書紀』巻22推古天皇12年4月3日条。
「三に曰く、詔を承りては必ず謹め、君をば天とす、臣をば地とす。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。ここをもって君言えば臣承わり、上行けば下靡く。故に詔を承りては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん」

*2:万葉集・巻5・894。
「神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 大和の国は 皇神の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども 高光る 日の大朝廷 神ながら 愛での盛りに 天の下 奏したまひし 家の子と 選ひたまひて 敕旨 戴き持ちて 唐の 遠き境に 遣はされ 罷りいませ 海原の 辺にも沖にも 神留まり うしはきいます 諸の 大御神たち 船舳に 導きまをし 天地の 大御神たち 大和の 大国御魂 ひさかたの 天のみ空ゆ 天翔り 見渡したまひ 事終り 帰らむ日には また更に 大御神たち 船舳に 御手うち掛けて 墨縄を 延へたるごとく あぢかをし 値嘉の崎より 大伴の 御津の浜びに 直泊てに 御船は泊てむ つつみなく 幸くいまして はや帰りませ」

*3:奈良本辰也編『日本の思想19 吉田松陰集』 筑摩書房、1969年、146頁。

*4:福寿艸・842

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千種有宗
個人事業主。元予備校講師。和歌を詠じブラームスを聴く。自ら雅号を「宗治」と称すも「おぱんつ男」と渾名される。断じて怪しい者ではない。 ブログ→https://officearimune.hatenablog.com/