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下僕日記(2021.12.4)

早く、目が覚めた。
カーテンの隙間の窓は、まだ夜と溶けていて、見分けがつかなかった。
ビジネスホテルの照明は明るすぎて、目に染みた。
隣で寝ている彼女が起きやしないかと思って見ると、彼女は気持ちよさそうに、眠っていた。
たぶん、いつもと違う部屋で、妙に清潔な寝具に包まれて、眠ったから、いつもより早く、目が覚めたのだと、思った。
でも、眠りが足りないとは、思わなかった。

着替えて、部屋を出た。
エレベーターに乗り、フロントの前を通り抜け、回転扉をくぐり、早朝の空気を吸った。小雨まじりの冬の空気は、肌にふれてもしつこさがなく、控えめに、でも遠慮なく僕を、目覚めに向かって促した。

海を見たいと思った。
ホテルを出て右に曲がり、まっすぐ歩いた。途中にあった自販機で、缶コーヒーを買った。車も人も、少ない。5、6人で肩を組んで歩けそうな歩道を、もっと広く感じる。だけど寂しくはない。久しぶりに歩く、眠りから覚める前の朝の街、しかも、あまりよく知らない街の朝は、なんだかとてもよかった。

先週の今頃はまだ、りんごの収穫をしていた。
毎日、朝起きて行く場所が決まっていた。
畑に着いて、木になっている無数の赤い実を見ると、追い立てられているようでもあり、終わりの見えない収穫に、軽い不安もあった。
でも、辛いことばかりではなく、畑に行けば、見知った顔の人がいて、初めて会う人もいて、彼らと一緒にりんごを収穫することは、何かとつながり、つなぎとめられていることを、僕に教え、勇気を、くれた。

海の風は冷たかった。
近くに船が止まっていた。その向こうで、大きな橋の街灯が三角の図形を結んで、光っていた。ここにも、他に人はいなかった。
たばこに火をつけ、その煙を、冷たい空気と一緒に吸い込んだ。缶コーヒーのプルタブを開け、甘ったるくて温かいコーヒーを、体に流し込んだ。吐く息はいっそう白く、冬の証のように、風に流され、遠くで薄まり、消えていった。

防波堤に波がぶつかって、白いしぶきをあげていた。空のペットボトルがひとつ、ゆらゆらと水面に浮かび、文句も言わず、波にもみくちゃにされていた。

振り向くと、厚い雲に押し潰された朝日が、工場を照らしていた。
なんの気遣いも受けず、ただ何かを生産するためだけにある、無愛想な工場の顔立ちが、どうしてかはわからないけど、僕は好きだった。
よく写真を撮っていたことを思い出して、iPhoneのカメラを起動した。
撮れた写真を見て、やっぱり綺麗だと、思った。

弘前から1時間もない距離にある青森市のことを、僕はまだよく知らない。でも、弘前とは全然ちがう空気が流れていることを、今回泊まりに来て知った。そうやって、ちがう街を知る時間も余裕も、収穫が終わるまでなかったことを、改めて思って、冬の間できるだけ、いろんな場所に行けたらいいなと、思った。

これから、限りのある自分の力を、書くことの方へ、割いていけることを思って、喜びを感じた。純粋にうれしいと思った。

散歩からホテルの部屋に戻ると、彼女は眠っていた。
たくさん眠ってほしいと思った。

そして僕は、MacBookを開いて、キーボードを叩いている。


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