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二〇一五年八月 壱

scene 50

次の週、日付が土曜日に変わった頃、軍兵衛さんとマサシさんがやって来た。
「軍兵衛ご苦労、マサシも」
父が二人を迎え入れ、俺は深々と礼をする。
「ホントすいません、本来なら俺が運転しなきゃですけど、まだ免許もってなくて」
「さすかえない愛郎くん。マサシはいっつもうづの車ば運転しったがら、もづはもづ屋さまがしぇどげ」
軍兵衛さんは豪快に笑った。それにしても、ふたりとも何か思い違いをしているらしく、黒いスーツにサングラスで決めている。
「ミュージッシャンばむがえいぐんだら、それなりのファッションできめねどな」
どうも軍兵衛さんにとってのミュージシャンは、ブルース・ブラザーズらしい。マサシさんに至ってはソフト帽までかぶっている。
「美味しいもの作って待ってるわ」
母がにっこり笑う。
「右田さんはお酒ダメだから、料理でおもてなしね」
雪江が俺にガソリン代や車内で食う弁当代などとして、金を渡してくれた。
「んだらきぃつけで。魚屋さ仕出しも頼んださげ、あんます食わねでこいっちゃ」
祖母の言葉を受け取り、俺は軍兵衛さんとともにマサシさんの運転する車に乗り込み、東京へ出発する。
石川宗家から二キロほど走っただけで高速道路のインターである。ここからは渋谷までずっと高速道路だ。軍兵衛さんもマサシさんも、サングラスを外していないのが気になるが、俺は眠らせてもらうことにする。
石川宗家の所有するワンボックスは最高グレードの車というのは本当で、心地良い揺れのなか俺はぐっすり眠った。
しばらくして目を覚まし、後部座席から身を乗り出して前を見ると、朝日が高速の表示板を照らしている。埼玉県の蓮田だ。俺の故郷の所沢とは、東の反対側にあたる。
「若旦那は所沢だっけな、いま埼玉だ、なつかしいが」
「はは、俺、大学行くまで所沢からほとんど出たことないんで…正直、埼玉は実家の所沢と隣の浦和くらいしか知らないっす」
「まぁほだなもんだげっとな、俺も自衛隊入って一年だけ郡山にいだげっと、あどは山形から出だごどねぇ」
「若旦那、俺も埼玉。春日部だけど」
マサシさんがはじめて口を開いた。
「社長に自衛隊時代に世話んなって、除隊したあと社長の会社入れてもらって、東根に住んじゃった。そんで社長の仲人で東根の農家に婿入りした。若旦那と似たようなもん」
マサシさんは翔子さんに匹敵するほどの身長と、スーツの上からでもわかる筋肉質な身体だ。なるほどこの人もモトジか。
「東京さ出張すっとぎは、マサシに運転手してもらうなよ、道おべっだがら」
「春日部警備隊の旗背負って、毎週都内に殴り込みに行ってたから」
モトジで元暴走族ときたら筋金入りだ。
「いや、俺は免許持ってないくらいだし、道知らないっす」
「さすかえない、今はカーナビっつう便利なもんがあっさげの」
そんな会話をしている間に、車は東北道から首都高へ入る。出口看板の地名で、ところどころ演ったことのあるハコの事を思い出し、懐かしい気分になった。
あっという間に首都高渋谷出口に着き、車は早朝の渋谷を走る。BBミュージックの事務所は、渋谷とは言っても正確には目黒区に属する。一度だけ訪れたことのあるその場所へ、マサシさんは迷いもせず車を横付けにした。時計は午前五時を過ぎたところだ。
車を降り、事務所のドアを叩くかミギに電話するか考えていると、ビルの入口のドアからミギが駆け出してきた。そして俺の姿を見て、一瞬驚いたような顔になってすぐ笑った。そしてダッシュで俺に駆け寄り、いきなり抱きついてきた。
「アイ、久しぶり、また会えた、うれしい」
俺は素直にミギを抱きしめ返した。なんだか涙が出そうだ。もしかしたら俺もゲイなのかもしれない。
「ミギ、元気そうだな」
さすがに長いこと抱きあったままというわけにも行かず、俺はゆっくりと身体を引き剥がしてミギに話しかける。そういえばミギの髪型が金髪ロングヘアに変わっている。以前は茶色のショートだった。
「ヘアスタイル、昔のアイみたいにしたんだ。もうアイがいないから、被らないし」
ミギは肩にかかる髪をさっとひるがえして笑った。
「アイ、ご無沙汰ー」
「もう一年近くなるのか」
銀髪のリョータローと、黒髪をオールバックにしたキタが続いてやってきた。リョータローはほとんど変わった感じがしないが、キタは髪型のせいで貫禄が付いている。
「リョータロー、キタ、懐かしいななんだか」
二人とハイタッチして再会を祝う。
「おーい、荷物持って降りろよ」
コトブキが全員のぶんのバッグを抱えて現れる。最後に会った時とさほど変わらない、短髪のツンツン頭だ。
「アイさん、お久しぶり」
「さん付けやめようよ、コトブキ」
コトブキは歳上なのだが、俺はあえて親しげに呼び捨てた。
「オッケー、アイ。荷物よろしく」
コトブキは荷物室を開けてくれるよう目で合図する。マサシさんに頼もうと振り返ると、彼はもう察してハッチを開けていた。
最後に五兵衛さんと塚本社長が登場する。
「軍兵衛さん、悪いねー遠くまで迎えに来てもらって」
「いや本当にすいません」
社会人らしく丁寧に礼をする塚本社長。五兵衛おじさんは身内ということで軍兵衛さんに明るく声をかけた。
「いやいや、アニキに頼まっだす、愛郎くんなしごどの手伝いすんなは当然だべ」
軍兵衛さんはサングラスを外してかしこまった声で応対した。五兵衛さんは軍兵衛さんより一回りほど年上だ。五分家の中では五兵衛さんの東京石川が一番下の家格となっているが、年上には礼を尽くすのが軍兵衛さんの性格である。
「まずまず、乗ってけらっしゃい、でがげんべ」
キタは長野の出身だし、その他のメンバーは東京育ちであり、軍兵衛さんのネイティブな山形弁に目を白黒させている。
「乗って乗って、出かけよ」
俺はミギの背を押して車に乗せる。九人乗りワンボックスはたちまちいっぱいになった。俺はミギのとなりに座る。
「マサシ、高速さ乗る前に、コンビニさ寄って弁当買っていぐがら。ユキにゆわってっから、メシは車の中で食って、早くつぐようにすろて」
マサシさんが頷き、コンビニでおにぎりを大量に仕入れ、車は一路山形を目指す。
「雪江ちゃんは何やってんの?専業主婦?」
おにぎりを頬張りながら、ミギが尋ねた。
「いやいや。んとね、日本自由国民党山形県連職員」
「なんじゃそりゃ」
ミギがおにぎりを喉につまらせそうになった。
「そういや昔アイに聞いたな。雪江ちゃんのお父さんって政治家なんだっけ」
キタが冷静に話す。
「政治家って社長よりエライの」
リョータローが素直な質問をする。
「少なくとも俺よりはエライよ」
塚本社長が笑って答える。
「政治家っても、アニキは市議だけどな…あ、今年県議になるのかそういえば」
五兵衛さんがコメントする。
「なるって、もう決まってるん」
コトブキが、昔俺が雪江にした質問をする。
「なんか、寒河江が地盤の県議の人が今回で引退すんだって、その議席を引き継ぐそうだわ」
今度は俺が、昔雪江が答えた内容を話す。
「お母さんはお前の学校の理事長なんだろ、今更だけど、雪江ちゃんっていいとこの子だったのな」
「まぁ、江戸時代から続いてる家だよ。元大地主」
ミギの問いに、五兵衛さんが答えた。
「でも、お父さんもお母さんもおばあちゃんも、みんな普通の人だよ」
俺はまた雪江が言っていたことを答えにする。
「石川家には、俺と、助手席にいる怖い顔した人も含めて、分家が五つあってね、それぞれ当主は名前を継ぐのよ。俺は本名は総一郎ってんだけど、商売でもインパクト強いから五兵衛で通してる」
「五兵衛さん、本名もカッコイイですね」
俺は素直な感想を言う。確か還暦過ぎということだが、父より若く見えるくらいだ。
「俺も軍兵衛で通しったな。社章も軍の字だ」
「軍兵衛さんの本名はなんてんです?」
「ヒカルちゃんだよね~」
五兵衛さんがいち早く答えた。そして、見た目と名前のギャップに、みな笑いをこらえるのに必死だ。マサシさんまで笑いをこらえている。
「笑え、かまねさげ」
軍兵衛さんが明るく言い、車内が爆笑になった。
「うづは、本名の方は漢字一文字で名前つけるんだ」
「そういえば軍兵衛さんの息子はタケルちゃんですもんね」
「ウチはなんとか一郎、だなぁ本名」
「みんな由緒正しいのな」
ミギが楽しそうに笑う。
「そういうミギだって、何代さかのぼってもずっと東京だろ」
付き合いが古いというコトブキが突っ込む。
「ウチなんかオヤジ北海道出身ー」
リョータローが手を上げて発表する。
「そういう意味では、ウチも何代さかのぼっても長野だな」
元高校球児のキタは長野県出身だ。
「コトブキのお母さんは女優の古澤恭子だもんな」
塚本社長がいきなり爆弾発言をした。
「あぁ?なにそれ?」
俺は面食らう。古澤恭子といえば、映画やドラマで知性的な女性を演じることの多い、けっこう有名な女優だ。
「そりゃたしかに実の母親ですけどね。ミギと会った頃から、一緒に暮らしてません」
コトブキは事も無げに答える。
「俺もさいしょ聞いた時は驚いたわー」
ミギが珍しくエキサイトして語った。
「だって、ミギと友達ンになって、映画観ようって誘われたとき、うちの母親出てる映画なんすよ。かんべんしてくれって」
「俺の母親出てる映画なんか観たくねぇとか言って、何言ってんだこいつみたいな」
「両親はとっくに離婚してますから、一切関係ないっすよホント」
「なえだて、おもしゃいなー。ほだな有名人もいだのがこのバンドさ」
軍兵衛さんが振り返って笑う。俺はミギたちに通訳してやったが、ニュアンスは充分伝わっていたようだ。
「おじさん、俺は有名人じゃないっすよ」
コトブキが笑って答える。普段は軍兵衛さん並みの強面な男だが、笑うと愛嬌がある。
「これから有名になりますよ、俺達」
ミギも笑った。
「ウチの事務所の秘密兵器ですから、こいつらは」
塚本社長はまじめな声で言った。
「儲けさせてよ、塚本さん」
五兵衛さんが明るく言い放つ。
「社長、給料上がるのー?有名なったら」
リョータローはアホキャラが定着したようだ。
「メシが食えりゃ充分だ」
五個目のおにぎりを食いながらキタがぼそっとつぶやいた。
「キタ、俺がみてる軽音楽部の部員に、元球児がいるんだわ。お前とおんなじで、ピッチャーだったって。そいつはピアノやってた」
「俺もしばらく投げてないな、そういや」
キタはおにぎりを食い終わり、軽く肩を回した。
「あいつらも来るのかな」
俺は誰にともなくつぶやく。
「あいつらのプレイを見せてやりたいな、けっこうイケてるぞ」
「そりゃ楽しみだ、まとめてスカウトしたいな」
俺の言葉に塚本社長が笑う。車は最高速で山形へ向かっている。


scene 51

マサシさんの高速運転で、車は午前一〇時過ぎには寒河江のインターチェンジをくぐった。
「早めについだす、家さよって荷物おいでぐべ」
車は旧道と言われる道を走る。並走する線路を列車がすれ違っていく。
「うわ、二輌だよ電車」
ミギが目を丸くする。田舎をまったく知らない東京人のミギには驚きだろう。
「そもそも電車じゃないし。ディーゼル。俺の田舎だってこんなもんだ」
長野の出身であるキタが俺のかわりに答えた。
「まぁ、俺の田舎のほうがもう少し都会だけど、ここよか」
寡黙なキタにしては珍しく、大笑いしている。
「田んぼばっか。でもコンビニはあるな。北海道のじいちゃんちのあたり、コンビニもなかった」
リョータローは窓の外を凝視している。
「塚本さんはご出身どちらでしたっけ」
五兵衛さんが塚本社長に問いかける。
「私は横浜ですね。両親も横浜生まれ横浜育ち。バンドでツアーに出るまで横浜から出たことなかった。東京にさえ行かなかったなぁ」
「横浜の人ってそうですよね」
石川分家でありながら真の東京人である五兵衛さんが相槌を打つ。
車は石川家南門の前についた。マサシさんがリモコンのスイッチを入れる。
「おい、何だよこれ。家ってこれかよ」
ミギが愕然としている。
「門って、これ、お城とかのやつ?」
キタはまじめな顔である。
「そうらしい。山形城のヤツを、明治のはじめに移設したそうだわ」
俺がそう答えると、門のシャッターが開いた。車が石川家の敷地へと入っていく。
「広!」
リョータローが大声を上げた。
「重要文化財だろ、家ってよりは」
さすがの塚本社長も口をあんぐりとさせる。
「まぁ、中はいろいろ改築してるけど、外観はほとんどそのままらしいね、江戸時代末期から」
五兵衛さんが解説する。俺たちにあてがわれている離れは、昭和初期の建築らしい。
玄関近くに車を停めて降りると、雪江が飛び出してきた。
「みんな、ごぶさた!」
雪江がまずミギとハイタッチし、キタ、リョータローと続く。
「キモノ以来ですね」
コトブキには少しかしこまった。
「アイの後釜、しっかりやってますよ」
コトブキがにっこり笑って雪江にハイタッチを求め、雪江もそれに応えた。
「はじめまして、石川雪江でございます。塚本社長様のお話は主人からよく聞いておりました」
雪江は塚本社長に丁寧に挨拶する。
「あれ?俺初対面だっけか?雪江ちゃんのことはアイにしょっちゅう聞いてたから、初対面じゃないみたい。いやー美人だねー、アイが羨ましいわ」
塚本社長は明るく笑った。雪江も笑う。
「とりあえず、荷物を部屋に入れちゃってくださーい」
雪江は皆を家に招き入れた。
居間に入ると、父と祖母が待ち構えていた。
「アニキ、世話になりますよ」
「五兵衛、ごぐろうさまなっす」
「遠いとこ悪かったねぇ」
五兵衛さんが挨拶し、父と祖母がそれに返す。
「このたびはどうもお迎えまでしていただきまして」
塚本社長が父に名刺を差し出す。父も名刺を渡し、皆に座って座ってと呼びかける。
「愛郎、この人らが、お前の昔のバンドながまが?」
「おやじさん、昔じゃないっす。アイはずっとうちのメンバーですよ」
ミギが笑って父に言った。
しばしの談笑のあと荷物を部屋に置き、近くの蕎麦屋で昼食をとって、俺達は学院へやって来た。
「さて、こっから俺は教師になるから」
「そういや、おまえ迎えに来た時から背広にネクタイだったな」
「おまえたちがプロのミュージシャンになったんだ、俺もプロの教師になるさ」
「ちげえねえや。アイのそういうとこ好きなんだよ俺」
塚本社長と五兵衛さんにはVIP用の来客用スリッパを出し、ミギたちには普通の来客用を出す。
「では、先立って理事長にご挨拶をお願いいたします」
「理事長の時の姉さんもイケてるよね」
五兵衛さんが茶々を入れるが、俺は学院の教師モードに入っており、それは受け流した。
「失礼致します。東京より塚本社長さまご一行、お着きになりました」
理事長室のドアをノックし、大きめの声で告げる。
「お入りなさい」
理事長の声がひびき、俺はドアを開ける。理事長が立ち上がって、ソファの方へ歩いてきた。室内に入り、塚本社長が名刺を差し出す。
「はじめまして、株式会社BBミュージックの塚本と申します。この度は、貴校の生徒様を面接させていただけるということでおじゃまさせて頂きました。よろしくお願いいたします」
理事長は名刺を受け取り、自分の名刺を塚本社長に渡して皆に着席を勧める。社長と五兵衛さんと俺がソファに座り、ミギたちは着席を固辞して塚本社長の傍らに立つ。ミギは昔からこういうところがよくわかっている。
「東京石川の五兵衛から塚本社長のお話は伺っておりますわ」
「姉さん、いや理事長、BBミュージックはやはりすごい。塚本さんは音楽的センスと経営的センスのバランスが絶妙だ。彼が手がけるミュージシャンは、どれも大成功だ。愛郎くん、いや石川先生が在籍していたこのバンドも、ブレイク寸前だから」
ご兵衛さんの言葉に理事長はにっこり笑った。
「あなたが出資するんだもの、間違いのあろうはずがないわ。塚本社長、うちの生徒もこの石川が推すくらいなので間違いはないと思います。どうぞよろしく」
理事長が塚本社長に頭を下げるタイミングにあわせ、俺も深々と礼をした。
「では、早速ですが、面接会場の方へ。音楽室へお願いいたします」
俺は立ち上がり、一行を音楽室へ導く。ドアを開けると、緊張に顔をこわばらせた坊主頭の西川が座っている。そして当然のように大泉もいる。
「あれ、面接は二人だっけ」
塚本社長が笑う。
「わ、私は付き添いで」
大泉にしては珍しく緊張しているようだ。
「オッケーオッケー、気にしない」
塚本社長はフランクに言って、西川の前に用意された椅子に腰掛けた。五兵衛さんや理事長、ミギたちはその周りに座る。
「彼が西川富士男です。こちらが履歴書と成績表、理事長の推薦状です」
塚本社長は履歴書にしっかり目を通し、成績表には目もくれず、推薦状をまたしっかり読んだ。
「最初写真見た時は金髪だったけど、切ったんだ」
「履歴書の写真に金髪では、スジが違うと思いまして」
「でも茶髪だ」
「すいません、これは生まれつきだっす」
「金髪のままでも構わないけどね、こいつら最初からこんな頭だし、アイ先生も去年まで金髪よ」
「今の自分はただの高校生だっす。たしかにいぎがって金髪にはしったっけげっと、社長さんに初めてお会いするのに金髪では失礼だと思たっす」
「質問いいかな、西川くん」
「は、はいっす」
塚本社長が笑い、西川の緊張が少しほぐれる。
「なんで、プロになりたいと思ったの」
西川は考えこむでもなく、すぐに口を開いた。
「じいちゃんとばあちゃんに、自分の得意なことで飯が食えるようになったって、見せてやりたいっす」
西川は訛りをなるべく抑えようとして話す。
「それと、実の母親と父親にも、見せてやりたいっす」
西川は履歴書に自分の出生に関してのことを簡潔に記している。理事長の推薦状にもその件について記述がある。西川はあの時、実の母親のことも父親のこともどうでもいいというようなことを俺に言ったが、それは強がりだったわけだ。彼らのこともちゃんと心に留めている。
「あど、こんな田舎だげっと、俺、JET BLACKが大好きで聴いでました。石川先生がアイさんだったなんて信じらねことがあって、今日ミギさんたちがいて。夢見でるみたいっす」
ミギたちが照れくさそうに笑う。
「社長、俺、給料なのいらねがら、JETの下働きさせでください。お願いします!」
「お願いします!」
立ち上がって深々と頭を下げる西川にあわせて、大泉も頭を下げた。
「まぁまぁ、給料の話はおいといて。ちょっと、弾いてみて」
塚本社長はにこにこして続ける。西川が素早くギターの側へ行き、アンプにシールドを挿す。大泉もベースアンプにシールドを挿した。
「ギ、ギターだけだと西川くんがやりにくいかな、って」
大泉はそう釈明しながらも、なめらかな動きで弾き始める。キタが興味深げに大泉を観察し、小さな声でミギと話している。ベースラインは、Straight Flashだ。ミギたちが一斉に驚嘆の声を上げる。
「ワンツートゥイーフォー」
西川がリョータローの発音で言うと、俺達にはなじみのフレーズが炸裂した。曲をやり始めたら西川も大泉も一気に緊張がほぐれたと見え、いつものペースで弾いている。大泉は小さな身体で軽快にステップを踏んで踊り、西川は直立不動である。塚本社長はミギと目で会話しているようだ。ふたりとも頷き合う。
「オッケー!ふたりとも採用!」
塚本社長が立ち上がって拍手をし、大声で言った。JET BLACKのメンバーも立ち上がって拍手する。理事長と五兵衛さんもスタンディングオベーションだ。西川と大泉が演奏を止め、俺は放心したように座っている。
「アイ先生、えらい奴らを紹介してくれた!俺の頭ン中に、これで売れなきゃおかしいだろってユニット構想が浮かんだ」
塚本社長が俺の肩を叩き、ようやく我に返って立ち上がり、深々と頭を下げる。
「塚本社長、ありがとうございます!」
「あ、あ、ありがとうございます!」
礼を言う西川は泣いていた。大泉に至っては座り込んで泣いている。
「おいおい、なんかえらいことになってるな」
塚本社長が苦笑した。
「私からも心からお礼申し上げますわ社長」
「理事長、お礼を言うのはこっちです。将来のメシの種が見つかったんですからね。腹いっぱい食わせてもらえそうだこれは」
「大泉、あ、女の子のほうは西川をバックアップしたい一心で同席したんですけどねぇ」
「いやむしろ彼女とセットじゃないと、彼は輝かないな」
「一応本人と両親に確認はしますけど、あの子なら家出してでも西川についていくわね」
「うわラブラブなんだやっぱ」
「子供の頃から、あの容姿でいじめられてた西川をかばってたんですわ。このへんでは知らぬ者のないカップル」
「それもいいエピソードだなー。よ~し三年以内にものにするぞ」
「塚本さん、火が付いた」
五兵衛さんが笑った。
「社長、富士男さー、夏休みでしょ、ツアーのボーヤさせよっか」
ミギが西川の履歴書と推薦状を読みながら塚本社長に言った。もう富士男よばわりである。
「富士男はお前らにまかせるから、徹底的に鍛えろ」
塚本社長も同じく、もう身内扱いだ。
「ちっこい彼女どうすんの」
「ま、ありゃまだお前らに預けられんわな。リョータローに食われちまう」
「まだ来るか決まってないのに?」
ミギと塚本社長はタメ口で会話している。
「大泉の件はお任せください」
理事長が二人の会話に割って入り、にっこり笑った。
「やっぱ雪江ちゃんそっくり…」
ミギが苦笑した。


scene 52

教師として初の生徒指導を成し遂げたような達成感をもって、西川の就職面接が終了した。塚本社長と五兵衛さんは仕事の話をすると言うので、今宵の宴の準備をするために帰宅する理事長の車に便乗して家へ帰っていった。俺達は西川と大泉を連れてJET BLACKとともにトールパインへ向かう。雪江も来ているはずだ。
「富士男よぉ、おまえのレスポール、本物か」
コトブキが西川に尋ねた。
「ハイっす、実の父親に貰いました」
「すげえオヤジだな」
「名前は憶えでねっす」
「話にゃ聞いてたけどよ、ほんと訛ってんな」
リョータローが茶化した。
「すいません」
「謝るなよ」
キタが笑う。
「誰だっけ、山形弁のアメリカ人いたよな」
ミギもゲラゲラ笑っている。
「彼女、ハルヒだっけ?一緒に来るよね、富士男と」
ミギが笑うのをやめて大泉に話しかける。
「はい。親が反対したら家出します」
大泉は訛りを消して話す。
「まぁまぁ、ちゃんと話し合わないとダメだよ。理事長にも協力してもらいなさい」
俺は教師の口調で大泉をたしなめた。
「アイ、ほんと先生みたいな」
リョータローがまた茶々を入れる。
「俺、なんか頭クラクラするっす。JET BLACKのメンバーど一緒に歩いっだなんて夢だがど」
「おまえは俺が仕込んでやる。心配すんな、夢ならよかったってくらい丁寧に指導してやるからな」
コトブキが例の凶悪な顔で西川を見る。さしもの喧嘩屋もたじたじである。
「ミギ、さっきの話はマジか?夏休みのバイト」
俺はJETのアイに戻ってミギに尋ねる。
「おぉ、富士男、大丈夫だろ?宿題手伝ってやっから来い」
ミギが西川に話しかける。さっき会ったばかりだというのに、メンバーの誰もが何年も付き合っている後輩に話しかけるような気さくさだ。
「じいちゃんさ頼みます。ダメだとは言わねど思います」
「おう、あとで携帯の番号とメアド交換しような」
西川が軽くふらついた。大泉が慌てて手を取る。
「ミギさんと携帯の番号どメアド交換なて…嬉しくて気絶すっとごだっけ…」
「バッカだなおめぇ」
ミギは西川の肩に手を回してぐっと抱き寄せ、また大笑いする。俺は少し西川のことが心配になったが、大泉がいるから大丈夫だろう。ミギは彼女がいる男には手を出さないと言っていた。
「おお、かっこいい店じゃないの」
トールパインの前で、ミギが口笛を鳴らす。
「メシは本当にうまい。でも、夕飯に響くから食うなよ。お母さんとおばさんとお婆ちゃんがいろいろ作って待ってるからな」
「了解」
店に入ると、雪江が待っている。
「あーくん、こっちー」
店内で一番大きいボックス席に座ると、櫻乃がオーダーを取りにやって来た。
「うわなにすげえ美人」
リョータローが即反応する。
「やんだーほんてのごどゆうなちゃー」
俺と雪江、西川と大泉がどっと笑う。櫻乃はこういうギャグセンスに富んでいる。何を言ったかまったく理解できないJET BLACKのメンバーは目を丸くしている。
「うっわ~やべぇ何言ってるか全くわかんねぇ」
ミギが正直な感想を述べた。俺は一応櫻乃のギャグを翻訳してやると、ようやく笑った。
「あーくん、この人達が、あのDVDさ出っだ人達だよね?」
櫻乃がすこし苦労して標準語っぽく言った。
「お姉さん見てくれたのあれ、俺出てたでしょ?ドラム叩いてたの俺オレオレ」
やっと言葉がわかったリョータローが嬉しそうに話す。
「ボーカルの人金髪になたなが~」
櫻乃はミギをカッコイイと言っていた。
「右田でーす。アイとは一生の友達と誓い合った仲でーす」
雪江が軽く眉をぴくつかせる。
「んだがしたー。私もユキど親友なのよー」
「美人同士仲良しなのねー」
「リョータローうるさい」
キタがぼそっと言う。
「あーベースの人だねー。物静かな人だと思ったげっとほんてだねー」
だいたい意味が伝わったらしく、キタが真っ赤になった。
「俺はあんまし出てないけど、DVD」
人相の悪いコトブキが挨拶する。店長と軍兵衛さん、コトブキの三人が並んで歩いたら、大概のものは避けていくだろう。
「んだっけねー。うちの店長みでな人だと思ったのよー」
また俺と雪江、西川と大泉だけが笑った。
「いらっしゃいませーJET BLACKの皆さん」
店長がやって来た。店長を見て櫻乃の言葉の意味を悟り、今度はコトブキ以外のメンバーが笑った。櫻乃はオーダーを受けて去った。
「あのよ、写真撮らせてもらっていいかな」
店長が表情を変えずに依頼した。ミギがどうぞどうぞと笑ってポーズを取る。
「お店に貼るのはいいけど、ネットに上げるのだけはかんべんしてね」
こういうことをさらっと言えるようになっている。ミギたちはプロなのだ。
「あくまで個人的な記念としてです。そういうことはしねえっす」
店長はあくまで表情を変えないが、目が明らかに喜んでいる。
「ねえ店長、うちのコトブキと並んでよ」
ミギが自分の携帯を取り出し、人相の悪い二人の写真を撮り、また笑った。
「富士男、ほかの奴らはまだか?」
店長が西川に尋ねた。
「他の?」
「JET BLACKの人が来るんだったら、おまえだのバンドの音聞いてもらったらいいべつったのよ」
「あすこにドラムセットとかアンプとか置いてあんのはそれかー」
ミギが明るく言う。
「STAY GOLDっていうんだ、バンド名」
「かっけーじゃん」
リョータローが西川と大泉に笑いかける。そしてドラムセットの方へ行き、当然のように座った。散発的にソロをやる。リョータローのドラミングが以前にもまして重厚な音を出すようになっている。
「うまくなったろ、リョータロー」
キタが静かな声で俺に言う。
「あぁ、さすがプロだ」
「もう、音楽しかすること無いからな、俺達」
コトブキも静かに言う。
「バイトしなくても何とか食えるくらいの給料は貰ってるからな」
ミギが笑った。
「給料制なのか、BBは」
「今の俺らじゃ、契約制だと飢え死にだ。社長は、ステージの動員力やアルバムの売れ行き次第で契約制に切り替えるってさ。自分がやってきてるから、駆け出しの苦労を知ってる」
塚本社長も元はバンドマンだ。解散して所属事務所を辞めてからBBミュージックを興したが、若手を育てようという気概を持っている。
「ハルヒ、おまえのベースもっかい見せてみ」
大きなキタが小さな大泉に話しかける。大泉ははぁいと明るく答えて、例の黄緑色のベースを取り出した。キタは優しく笑いながらそれを手に取る。
「おまえの身長でレギュラースケールはキツイだろう、次はショートにしたほうがいい。いっそスタインバーガーみたいにボディも小さいのにしたら」
「石川先生とまったく同じこといいますね」
大泉の言葉にミギが笑い、俺の肩に手を回す。
「教師になっても、ミュージシャンの心を忘れてませんなぁ、アイ先生」
キタは大泉のベースを抱えてリョータローの方へ行き、アンプにシールドを繋ぐ。そして軽いセッションを始めた。俺はもう我慢ができなくなり、インテリアとして置いてあるギブソン・レスポールを店長から借りる。弦はもう張替え済みだ。
「ほほ、懐かしい絵だ」
ミギがリズムに体を揺する。
「やっぱりプロなんだね」
雪江がそんなミギを眺め、コトブキに話しかけた。
「ミギが俺たちをプロにしてくれたんだ。アイは最後まで迷って、あんたを取った」
「あたりまえよ。私、本当に欲しいものは絶対に手に入れるの。途中、あきらめそうになったけどね。あの人、JETが好きすぎてヤバイかもって思ったこともある」
「こわいこわい」
コトブキが強面を緩めて笑う。
「もしJETを取るって言ったら、首に縄かけてでも山形へ連れてきたろうな」
「そんなことしたら、俺、雪江ちゃんでもぶん殴ってた」
いつの間にかミギが雪江の隣に忍び寄っていた。顔は笑っているが目が笑っていない。
「んじゃ私は右田さんを刺す」
雪江も顔だけ笑った。
「なんの会話だよ」
コトブキが苦笑した。
「雪江ちゃんには負けたわな」
ミギが今度こそ笑って雪江を見た。雪江も微笑み返す。
「雪江様の気持ちわかりますー。私も富士男をいじめるヤツみんな殴ってたものー」
「ほいずは幼稚園の時だべ」
「恐ろしいカップルだな」
ミギがまた笑った。
そのタイミングで入口のドアが開き、柏倉と沖津がやって来た。私服姿であるためまったく高校生には見えず、小学生の子供がいる夫婦と言ってもおかしくない雰囲気だ。
「賢さん、姐御、よくござったなっす」
西川が二人に駆け寄る。
「アイ、あの方たちは、おまえの先輩教師とかか」
ミギが小声で俺に聞く。
「いや、アレは高校三年生だ」
「ウソだろおい、彼女の方とか、どう見ても奥さんって感じだぞ」
コトブキも小声でツッコミを入れる。
「高校三年ですけどなにか」
耳の良い沖津が大声で言った。みなが爆笑する。
「はじめまして、軽音楽部の部長を務めさせていただいてる、沖津です。このたびは西川くんの就職面接、ありがとうございました」
沖津があらためてミギに挨拶する。部長の沖津に合わせ、部員たちも頭を下げた。
「ほらー。高校生の対応じゃないってそれー」
ミギが俺に抱きついて笑う。どうでもいいがさっきからミギは俺に密着しっぱなしだ。
「右田さん、そろそろ失礼だって」
雪江がやんわりとたしなめた。俺に密着しすぎだということも含んでいるのだろう。
「ごめんごめん。俺たち、アイ先生とバンドやってた、JET BLACK。クリスマスにはデビューアルバム出るから、買ってね」
ミギがペコリと頭を下げる。メンバーもそれにならった。
「富士男とハルヒは、春からうちの事務所でもらうことになったから、よろしくね」
ミギがそう言って、沖津にウィンクする。
「え。春陽まで?」
「ウチの社長がいっぺんで気に入ったよ。さぁもっかい聞かせろよ富士男」
ミギが愉快そうに笑う。
JET BLACKは席に戻り、STAY GOLDが位置についた。俺もサポートメンバーとして加わる。
「オリジナルはないんで、コピーやります」
西川が照れくさそうに言う。いつものナンバーだ。
軽快なドラミングで沖津が走る。リョータローが口笛を鳴らす。
「クールだね、奥様」
柏倉のキーボードも少し弾んでいる。西川のことが嬉しいのだろう。
「でかい体でけっこう弾くな」
でかい体のキタがつぶやく。大泉のハイトーンが響き渡る。
「ほーお」
腕組みをしたコトブキの指が律動する。
「社長の判断に狂いはないなー。声もいいじゃん」
ミギは真剣な表情だ。
「右田さん、あとでメモリ渡すから」
雪江は最初からカメラを構えていた。動画を記録している。
「さすが雪江ちゃん!惚れるわ~」
ミギに限って、それだけはない。
曲が終わり、JET BLACKのメンバーと店長、櫻乃が拍手をする。メンバーはそれぞれのパートの元へ行き、指導を始める。リョータローは逆に沖津にレギュラーグリップの振り方を学んでいた。
「キタ、この柏倉な、おまえと同じ元球児だよ」
JET BLACKにはキーボードがいないので、誰とも話をしていなかった柏倉を捕まえた。
「うん?ポジションは」
「ピッチャーっす」
「俺と同じだな」
柏倉は俺にしばらく敬語を使わなかったくせに、初対面のキタには敬語だ。
「元ってことは野球やめたの」
「はい、肩がダメになったっす」
「投げっぱなしでアイシングとかしなかっただろう」
「ハイっす、ムチャクチャ投げ込みました」
「だからだよ、酷使すればいいってもんじゃない。残念だったな、途中で諦めるの辛かったろ」
キタが優しく柏倉の右肩を撫でた。
「…はい」
驚いたことに、柏倉が嗚咽し始めた。
「野球やっだくてやっだくて、仕方なかったっす!悔すくて、仕方ねっけっす」
「泣けよ、力いっぱい。スッキリすんぞ。俺も高三の県予選、ベストフォーで終わって、泣いたわ。あんなに汗かいてたのに涙が止まらねえ。あと二回勝てば甲子園だったのに、ってな。でも泣くだけ泣いたら全部すっきりした」
「野球部で、グランドで泣きたかったっす」
「いいじゃねえか、美人の大人っぽい彼女がいて、軽音部でもよ」
珍しくキタが長くしゃべった上、軽口まで飛ばした。美人の彼女がクスッと笑う。
「先生の友達って、おっかない人かと思ったけど違うのね」
「おっかなぐねーよ俺ら」
沖津の言葉に、リョータローが聞きかじりの訛りで茶々を入れる。
「気の合うヤツってのは、そうザラにいないぞ、大事にしなよ」
コトブキが西川に言う体で、STAY GOLDたちに告げた。
「おう、じゃあ俺らもお返しに一曲やるかい」
ミギが元気よく言った。STAY GOLDたちの楽器を借り、それぞれのパートに散る。ミギはキーボードについた。ミギはピアノから音楽の道に入ったのだ。
「アイの作った曲ー俺達の秘蔵ねー。ファーストアルバムにゃ入れるけど、武道館まではステージで演らないって決めてる」
「DRUNK ANGELがっす?DVDで最後イントロだけ流れた」
フリークの西川が即反応した。
「そ。これはアイが雪江ちゃんをモデルに書いたんだってー」
ミギがDRUNK ANGELのフレーズを散発的に弾きながら言う。雪江と櫻乃がキャ~と叫んだ。
「ワントゥートゥィーフォー」
気取った発音でリョータローがスティックを鳴らす。あっさりレギュラーグリップをマスターし、スティックを回しながらだ。JET BLACKの表情がプロのミュージシャンのそれに変わった。

なにもかもうまくいかない
世の中すべてにツバを吐きたいとき
いつもお前が現れる
ブルースにやられた夜
ギターに背中を突き刺され
お前の歌が流れてくる

安酒と辛い煙草の煙のなか
お前が微笑む、酔いどれの天使
グラスに満たした酒を体にふりまき
あやしく微笑む、DRUNK ANGEL

お前の歌で満たされる心
薄暗い地下道でうずくまってたって
いつもお前の姿が観えてくる
ブルースはもうたくさんだけど
世界中がいっぺんに叫んだって
俺にはお前の声がわかるんだ

酒を満たした荒海に泥の船を出し
お前をさがす、酔いどれた天使
飲み干したボトルを優しく抱いて
また歌いだす、 DRUNK ANGEL

夜の帷を引き裂いて
月を砕き、星を押しのけ
やって来る、今夜もまた
ハレルヤ、ロックンロールの神に

歌いつづけ、踊りつづけ、飲みつづける
荒野に降り立つ、酔いどれた天使
その羽はまるで真っ赤なワインのように染まる
俺のすべて、DRUNK ANGEL

ミギのヴォーカルとキーボード、コトブキのギターで、DRUNK ANGELが新しい曲のように洗練された。俺は思わず声を上げた。
「すげえ、こんなにいい曲だったか俺の書いた曲?」
俺は駆け寄って全員とハイタッチをする。
「かっこしぇーちゃー、ユキば歌った曲なんだがしたー」
櫻乃がなかば唖然として拍手する。雪江はキモノ・マーケットの最終ライブを思い出したのか、涙を流していた。
「プロってすげえな」
店長が感動していた。
「店長は料理のプロじゃないっすか」
ミギが屈託なく笑った。
「私らの楽器でこんな音出るんだ…」
クールな沖津が頬を上気させていた。
「富士男、やっぱいいギターだわこれ」
コトブキがレスポールを優しく掴んで西川に渡した。
「俺も、こういうふうになっだいっす」
西川の目が決意に燃えていた。
「早いとここうなってもらわにゃ困るんだわ」
リョータローが沖津にスティックを渡して言う。
「珍しくまともなこと言うなリョータロー」
キタが大泉にベースを渡す。寡黙なこの大男が黄緑色のベースを弾く姿はかなり面白かったのだが。
「君さ、進路どうなってるの」
ミギが柏倉に問いかける。
「まだ決めてないっすけど、たぶん家の手伝いします」
「そっかー。みんなまとめてうちに来てほしいなと思ったけど」
ミギが柏倉の背中を叩きながら言った。
「私は進学を決めてます」
「あら残念。じゃ富士男とハルヒだけでもいいか~」
沖津の返答にミギがまた笑い、西川と大泉の肩を抱き寄せた。
「なあみんなさぁ、このSTAY GOLD、JET BLACKの弟バンドってことでいいかな」
ミギがメンバーに問いかけた。
「賛成」
「異議なし」
「オッケー」
メンバーが即答した。
「妹じゃないんだ…」
大泉が少し落胆する。
「そこなのか?」
リョータローがツッコミを入れ、みなが笑った。
その後、キタの強い希望で一行は学院のグランドへ寄り、キタと柏倉のキャッチボールを見物した。ふたりとも現役ではないとはいえ、素人目には恐ろしいほどの豪速球を投げる。キタと柏倉は、この出会いだけで師弟関係を結んだのだった。

(「二〇一五年八月 弐」に続く)

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