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幻想鉄道奇譚 #21

 魔法でも魔術でもなく、芸術です。

 エーテル修復についてはじめて学んだとき、都会からきたジェイムズ先生はそう言った。

 中世時代から隠されてきたとされる学術書が発見されて約百年。女王陛下はこれを芸術にもちいることを許可し、各地の芸術大学は特化して学べる専門の学科をこぞって設置した。卒業生らは誰もが知る芸術家となり、国家資格を得た者は女王陛下から爵位をたまわり、国中を美で満たしていく。

 ジェイムズ先生は意気揚々と語った。平面の絵画も美しいけれど、エーテル修復によって生まれた絵画はもっと素晴らしいのだそうだ。見せてくれと言っていじめっ子が席を立つと、先生は困った顔で笑った。

「すまないね。そうしてやりたいのはやまやまだけれど、私にはとうてい手に入れられないものなんだ。都会の画商や美術館、百貨店に行かなくては見られないんだよ。いつか機会があったら、ぜひ鑑賞しておくといい。きっと人生が変わるよ」

 先生の返答に、どうしたらエーテル修復師になれるのかと、絵心なんてないべつのあらくれ者が訊ねた。先生は言った。

「エーテルと呼応できる特別な才能と声は、純粋で強い精神の持ち主に宿るとされている。千人に一人の割合といわれるそういった才能にくわえて、当然必要な創造性、絵画の基礎的な力。そしてなによりも、膨大な〝呪文〟とそれらの組み合わせを身につけられる知能と根気がなければ、エーテル修復師にはなれないんだよ」

 才能はあって当然。そのうえで、血を吐くような努力がいるのだと先生は断言した。

 おまえには無理だなと、質問した彼を誰かがからかう。教室が笑いに満たされたとき、しかしエイダンは現実離れした授業内容に興味を惹かれず、自分の携帯黒板に隣家で見かけたバラを描いていた。細やかな花びらの奥からこちらを見ている、恥ずかしがり屋の妖精もおまけにつける。

 みんなはドラゴンを倒す雄々しい騎士の物語が大好きだけれど、エイダンは違った。姉の影響もあって、妖精の国に迷い込む病弱な王子の物語や、一心に花を育て続け、やがて花の王国に招かれる孤独な老人のお話なんかを愛していた。どの物語にも愛があり、優しくて美しいとエイダンは思う。だから、お姫様に好かれるために剣を振りかざし、なにも悪いことをしていないドラゴンを倒そうとする格好つけの騎士の物語は、残酷に思えて好きじゃなかった。

 変わり者の弱虫エイダン。眼鏡をかけてひょろひょろとしたエイダンは、男の子たちの絶好の餌食だった。女の子に好かれるために、なにもしていないエイダンをからかったりこずいたりして、悪ぶって強さを見せつける。でも、彼らのほとんどは都会へいけず、村にとどまって一生を終えることをエイダンは知っていた。

 自分はそうなりたくない。だって、ここにいたら、一生あいつらにからかわれて終わるもの。

 小さな農場を営む家族に対してうしろめたくはあったけれど、学費の安い国立大学への進学を目指し、人一倍勉強した。とはいえ、将来の夢はとくになかった。ただ、ここにいたくなかっただけだ。

 しかし、村一番の優秀な少年も、国立大学に進学するにはあと一歩とどかなかった。相変わらずひとりぼっちで、格好つけの同級生らのていのいい悪役と化していたものの、自分の目的のためにけっして学校を休まなかった。ジェイムズ先生が注意をするとしばらくはおさまるのだが、いつの間にか再開する。追いかけっこのようなくだらない日々の間、エイダンは勉強と絵だけを心の糧にして静かに耐えた。

 いつかここを去るために、いまここでくじけるわけにはいかないもの。

 そうして耐え続けていたある日、ジェイムズ先生の家に呼ばれた。農場の手伝いを終えた休日の午後、こじんまりとした借家を訪ねると、ジェイムス先生の知人だと言う見知らぬ男性がいた。上質な服と傷一つない洗練された革靴から、都会からきた人であることは一目瞭然だった。

 先生の書斎にとおされると、奥さんがお茶とお菓子をだしてくれた。おいしそうな焼き菓子を頬張ろうとしたとき、見知らぬ男性が古い革製の手袋を差しだしてきた。珍しくはないスエードの手袋だったが、指先にきらきらとした石がはめこまれてある。

「これは、なんですか」

 謎めいた男性は、微笑みながら言った。

「それを身につけて空気に息を吹きかけながら、こうやってなぞってごらん」

 男性が空中に指先をはわせて見せた。わけがわからなかったが、ジェイムズ先生が優しく見守ってくれていることに安心し、言われるがまま手袋をつける。十三歳のエイダンには大きかったが、かまわずに両の手のひらをぱっとひろげてみる。そうして、ふうーっと息を吹きかけながらそっとあたりをなぞった。瞬間、エイダンはびっくりしてしりぞく。ジェイムズ先生も知人の男性も、目を見張った姿で微動だにしなかった。エイダンは震え声で訊ねた。

「い、いまのはなんですか。光りました。空気って光るんですか?」

 ジェイムズ先生と男性は視線を交わしてから、同時にエイダンを見る。と、ジェイムズ先生が満面の笑みを向けてきた。

「エイダン、空気が光ったんじゃない。空気中に潜んでいる微粒子のエーテルが、君に呼応したんだ」

 えっ? 困惑するエイダンを尻目に、男性が言った。

「やったな、ジェイムズ。金の卵をよく見つけてくれた。近頃では才能ある学生の取りあいでね。いまから入学希望者をつのっておかなくては定員割れを起こして、学科を潰すはめになってしまう。それを避けるべく知人のつてを頼り、こうしてほうぼう歩きまわってきたのだが、そのかいがあったというものだ」

 朗々とそう語った男性の名刺には、役職がしるされてあった。サウスシティにある有名芸術大学――ロイヤル・アーツ・アカデミーの職員だった。入学にはもちろん試験があるが簡単なもので、むしろいまのような実技と面接が重視される。ほとんどの学生はすんなりと入学できるが、卒業できるかは自分次第だと彼は言った。

「だけど、どうして僕だったんですか」

「実は、君で十五人目なんだ。ほかにも招いたんだけれど、エーテルが呼応したのは君だけだ」

 そうだったのか。エイダンが目を丸くすると、先生は照れくさそうに笑った。

「彼とは昔馴染みでね。才能ある学生を紹介してほしいと以前から頼まれていたんだ。それで、成績が優秀で絵心のありそうな学生を何人か招いた。君はときどき、花や景色、妖精なんかを描いていただろう?」

 授業の合間に見られていたらしい。すみませんと謝ると、先生は笑った。

「君は努力家だし、成績も文句なしに優秀だ。純粋で強い精神の持ち主だし、実は私は君だったらいいなと思っていたんだよ」

 エイダンはびっくりし、息をのんだ。もしかしてジェイムズ先生は、自分のことを陰ながら見てくれていたのだろうか。

「……あの、僕はべつに……強くはないです」

 先生は微笑んだ。

「そうかな? 意地悪をされても、君は負けずにちゃんと学校にきているじゃないか」

 村をでるために必要だからだ。エイダンが押し黙っていると、先生は言葉を続けた。

「彼らは君が怖いんだよ、エイダン」

「えっ?」

「自分たちとは違うから、怖いんだ。だから、自分は無力な人間だと君に思い込ませるために、ああいう態度をとるしかないんだ。本当に弱いのは彼らのほうなんだよ……なんて、これは教師としてはあるまじき発言だな。ジェイムズという一人の男の戯言として、聞き逃してもらえると助かるよ」

 戸惑ったエイダンは、うつむいてしまった。先生は僕をかいかぶりすぎだ。そんなエイダンを説得するかのように、先生は優しく諭した。

「いいかい、エイダン。真の強さとは、誰がなんと言おうと自分の信念を守り続ける精神があるということなんだ。その強さがなくては、せっかくの才能を自分のものにして、あやつることはできないからね」

 まるで、みんなの好きな物語のドラゴンみたいだと思った。物語では騎士に倒される悪者だったけれど、けっして逃げることはせず、最後まで自分の信念を貫いて領地を守ろうとしていたから。

 人生が左右されることなので、よく考えるといいと先生は言った。もしもエーテル修復師を目指すなら、必ず推薦すると太鼓判まで押してくれた。

 それまでのエイダンにとって、夢はただ都会にいくことだった。いや、この村をでることだった。味気ない目標に甘美な夢がくわわって、浮き立つ思いがしたことをよく覚えている。

 なんの取り柄もないと思っていたのに、神様は僕を選んでくれたんだ。

 千人に一人に、選んでくれたんだ。その贈りものを、無下にするわけにはいかない。

 こんな僕に、何者かになれる才能と機会が、与えられたんだもの!

 類まれなる才能の持ち主であると先生から説明を受けたエイダンの家族は、長い思案の末、農場は姉とまだ見ぬ未来の婿に託すことにし、長男の夢に全財産を賭けることを選んだ。十五歳の誕生日、エイダンは父親から、中古のグローブを贈られる。片道一時間の学校に通い続ける一方でひたすら勉強し、知識をたくわえ、ときおりグローブに指をとおして、まだなにものも修復できない光のかけらに胸を躍らせた。

 美しいものを、生みだせる。僕にも、そうできるんだ!

 デザインの糧になればと思って、たくさんのスケッチもした。花や昆虫たち、小鳥や星々の模様、想像上の獣や美しい景色、雲のかたち。高価な紙を大切に使いながら、まるまる五冊をすみずみまで使い果たしたころ、旅立ちのときがくる。

 トランクいっぱいに詰めた夢をたずさえて、十七歳のエイダンは大学の門をくぐった。父親のお下がりのシャツとスラックス姿で、流行の髪型と服装姿の学生たちの間を歩き、途方もなく広い敷地内の寮に着いて、割り振られた部屋に足を踏み入れた。

 同室の学生はすでにいて、エイダンを見ると微笑み、右手を差しだしてきた。

「ギルバート・オルコットだ。仲良くやろう」

 都会的な雰囲気をまとった、端正な顔立ちの青年だった。エイダンもその手を握り返し、言った。

「エイダン・カミングスです。よろしく」

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