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生まれ、育ち、叶え、ゆく

少し元々の私の意識が戻ってきて、気がつけば9月。
元々の私が良いのかどうかはわからないが、何か軸になるものがないことには歩き出せない。そして、その、元々の私というものは、とても流動的で、観察深く、しかし思い切り良く能動的な生命なのだと思う。

改めて障害とは何か

いくつかの通院で自分が抱えている障害のようなものが明らかになってきて、自分の続けてきた非営利活動の自分にとっての意味がやっと腑に落ちる。自分のことは、わかっているようでわかっていないものだ。
10代〜20代の将来どう歩いてゆくかに悩みながらいた時期に、それらの障害について知ることなく、助けを求めることなく、ただ運がよくて生き延びていたことを、不憫にも思うし、強さにも思う。

コロナの役割

コロナ禍の初期に、自宅で一人踊っていた動画から、いくつか抜き出してみている。私は観客のいないひとりぼっちな部屋で、何を踊れていたのだろう。

不思議なことに、コロナにより福祉施設が部外者を入れられなくなった中で、能動的な若者が集いあしプロが育まれた。
知的発達障害のある若者が自らの意思で練習会に集ってこの二年研鑽を重ね、彼らはもう、対等な共演者に成長した。
マガジンハウス「こここ」ぜひお読みください。


ピアニスト Jimmy

若者は成長期にある。
大人は、古い価値観で阻むことなく、次世代のエネルギーが行きたい方向に道を拓く手伝いをしていければいいと思う。

ピアノを弾いているあしプロJimmyは、非定型自閉症など社会参加に障害があるが、とても頼り甲斐のある共演者として育っている。この映像は一年前の初合わせの様子だが、現在の演奏にはより意志が込められている。私は彼のピアノで踊るとき、心から踊ることができる。なぜなら心が踊るから。

子育て

彼らは私の娘と同世代である。
生きることに困っている私をガイドするように子は来て、実際に子と二人で作って行った数年は宝物のような時間だ。孤立とも言える子どもと二人の時間から仲間が広がり、子育て仲間から社会がつながった。
この時期にたくさんの助けを得られたことは私の宝物である。
今日は娘の誕生日。

自らの人生を、楽しんで切り開いて行ってほしい。私は猫たちとそれを見守る。いつも一緒に暮らしてきた猫たちは、本当にいい匂いがする。

New era

次の時代をつくる人たち。その価値観はどこにあるだろう?
スマホネイティブ、社会の入り口はコロナ。価値観の変化の速い時代だけど、そういうものだと受け入れていく彼らと、一緒に活動できることは嬉しいこと。

上の世代は憂慮せず、ロクデナシなぐらい楽しそうに暮らしている方が良いのではないかと思う。

なんだか、何箇所も蚊に刺されている。
猫たちを呼び戻し、開け放っているドアを閉めて、さっさと寝ることにしよう。

どうぞ実り多い秋をお過ごしください!

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