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【コラム】「踊りを踊って生活をする」の意味を知る。

□踊りを踊ってお金を得る?

踊りで食べいてく事が目標です!って、なんて面白くない目標なんだろうか。きっと人生はもっと面白い。

高校卒業が近くなると、大学に行くのか?就職をするのか?
の選択を当たり前のように迫られる事がなんとも納得いかなかった事を覚えている。
僕自身は運良く札幌でダンスの先生になる。という卒業後の進路を与えてもらっていたので、選択を迫る雰囲気への憤りは感じながらもどこか他人事のように横目で見ながら高校を卒業した。

卒業後いわゆる下積みをしながら18歳でダンスを教えるようになり、踊る日々の中でその時その時の自分の目標を掲げて、傷ついていじける日々を過ごしていた。

最初はあそこの会館の舞台に立ってみたいだとか、もっと少人数の作品で踊りたいだとか、真ん中で踊りたいだとかから始まり、あの人の作品に出たい、自分で作品を作ってみたい、踊りが上手くなりたい、沢山回転出来るようになりたい、かわいい女の子と付き合いたい。等々尽きる事はなかった。

いつだって沢山のお金をもらっていたわけではないが、憧れの舞台に立つ事も、沢山稼げるようになることも、いつか!
という気持ちでわくわくしていたのを覚えている。

そして、そこから10年後。
このNoteでも経緯を書いた事があるが、オーディションを受けシルク・ドゥ・ソレイユの舞台に2年以上も立つ事になる。
おそらくあれが10代の僕が想像していた「踊りで飯を食う」の状態だったのだろが、28歳の僕にはその状態はとてと退屈なものであった。

そして31歳で帰国して今年で9年。

シルク・ドゥ・ソレイユでの月給を下回る月なんていくらでもあるが、男40歳。楽しく生きている。

□本当の今を見極める

あの時の自分を裏切らない事も良いが、一番は今の自分の声を聞いてあげる事なんだ。

あの時は本当に好きだったんだ、でも今はなんだかそうでもなくなっちゃって...だから別れましょう。
なんて恋人に言ったら殴られるかもしれないから、男も女も色々な理由を探して、探しているうちにそれが本当の理由だと思い込む事が出来るが、根本にあるのはあの日より好きではなくなったんだ、だから別れる。
もちろんそれを乗り越えてさらに一緒に過ごして生まれるものもあるし、その曖昧な何かがあるから人は楽しいのだと思う。

しかし、10代の自分の夢を40代になっても追いかける必要はなく。もちろんそれが出来る人はそれは素敵な事だが、そうでなくても恥じる必要はない。諦めたり、学んだり、知ったりしながら少しずつなりたい自分は変化していくのだから、時代の変化に敏感になるよりも、自分の変化をキャッチする嗅覚を持つ事がよほど大切だと今強く思う。

今の所「踊らない自分」というのはどんなに深く自分を探っても出て来ないので、なにかと踊りながら何かをしているが、踊りを始めたあの日の僕の為に踊るような事はないし、
それだけの理由になった時は踊ることを辞めてもいいと思っている。

□踊りで生活するためには。。。

この家の家賃を踊りに関わる仕事で得たお金だけで支払うとか、このおにぎりは昨日踊ってもらったお金で買ったんだ。とか。とことん程度の低い自己満足である。

「生活」って何かって、生きることに活を入れるわけですから。
栄養分を摂取して息をしているだけではそもそも生活にはならない。僕にとっては踊る事が、誰かにとっては歌う事が、だれかにとっては働く事が、「活」になるんだったらそれが「~をして生活している」という事なのだ。

踊りを踊ってお金を得る為に試行錯誤している事自体が人生に活を入れてくれているならそれでいいし、それで楽しくてまた踊るならそれでいいし、そのお金で贅沢をすることを本当に自分が望むならそれでいい。

本当に楽しいのか、本当にやりたいのか、だけでいい。

親が安心するからとか、社会的な地位を築けないと自分が恥ずかしいからとかは、やはりまだまだ外のせいにして自分の行動を言い訳しているように感じてしまう。

日本は。という言い方は凄く嫌であるが、日本ではダンサーの社会的地位が低い。
とよく言われるし、そう嘆くダンサーも多くいるように思う。
しかし社会的地位などはもはや誰かが勝手に決める事であって、自分達でどうこうする事ではないのではないだろうか。

社会から認められるとか、人から理解されるとかという会話に用いられる「社会」とか「人」とはなんなのだろうか?
本当に頭に具体的なそれらが浮かんでいるのだろうか?
踊りを踊って普通の暮らしを送れなくてはいけない!
「普通の暮らし」とは?

十の昔の経済成長期に作られたような「普通の暮らし」を追っているようでは、なんとも現代的でも創造的でもなく。
具体的な顔も思い浮かばずに「社会」だの「人」だの言っている踊り手の踊りから誰が具体的な情景を想像出来るだろうか。

「ダンサーの社会的地位をあげようぜ!」とみんなで輪になってる場合ではない。
自分の今をそれぞれが大切に踊り、自分の暮らしの中で出会う顔も名前もわかっている社会の中で面白く生きる。
バランスはとらなくていい、片寄ってもいい、ダンサーの社会的地位ではなく、自分の価値を磨く踊り手が多くいたらいい。。。
いや、やはり人の事を気にしている余裕などないので、僕はそーゆー「踊ってる人」でありたいと思う。

ダンス劇作家/熊谷拓明

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