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『WEFT』とお風呂の話

こんにちは、ミゾベです。
EP『WEFT』、ついにリリースされましたね。 聴いてくださっている皆さん、本当にありがとうございます。今回の作品でodolに出会ってくれた方も多いのかな。
早いもので、あと1時間で6月も終わり。
僕にとっての6月は、この『WEFT』という作品と向き合う1ヶ月間になりました。 自分たちの作品には、もちろん一生向き合っていく覚悟をしていますが、この自分たちの手から離れたばかりの数週間は、僕にとって、なんだか特別です。リリースから約一週間が経ち、聴いてくれている方それぞれの生活に馴染んでいる頃でしょうか。今日も誰かが僕らの音楽に出会ってくれていたらいいな。

僕にとっての『WEFT』

 作品に対しての感じ方はあくまで人それぞれで、作り手は、受け手の感じ方を制限するべきではないと思っています。だから、今までの3曲に対してと同じように、個人的な、この『WEFT』全体についてのお話をしてみようかなと思います。

まず、この『WEFT』という作品は全曲がタイアップから生まれた楽曲です。逆を言えば、タイアップのお話がなければ生まれてこなかった楽曲であると言えます。

ここ数ヶ月の世の中の状況もあって、音楽は「聴く」という行為によってはじめて成立するものだと最近より強く思うようになりました。極論、誰にも聴かれない音楽は、必要とされていない、存在していないのと同じだということです。

少し大げさかもしれませんが、タイアップ作品は前提が少し違っていて、誰かに必要とされること、つまり受け手は必ず存在するものとして生まれるのです。今回、たくさんの方と意見を交わすたびに、それぞれの信念や思考の糸で、ひとつの作品を織り成していくことの素晴らしさを感じました。だから、こうしてタイアップで生まれた曲たちを改めて皆さんに聴いてもらえることが、とても嬉しいのです。

3曲それぞれについての思いは、このマガジン「ミゾベのnote」の過去の記事にまとめてありますので、ぜひ読んでみてくださいね。

「小さなこと」を歌いたかった理由
「かたちのないもの」を歌にして残すこと
「瞬間」は、初めて誰かのために書いた曲


『WEFT』とお風呂

この1ヶ月間、『WEFT』について考える日々が続いていたので、この「ミゾベのnote」でもそれぞれの曲について書いてきましたが、来週からは楽曲の材料になるような、ならないような、些細なこともゆるく書いていきたいなと思っています。

そんなわけで、今回はお風呂の話。
ミュージシャンの話としては”あるある”なエピソードで、「このメロディは○○をしているときに降ってきた」とか、よく聞きますよね。音楽を作り始めて約10年間、僕にはそんな経験は特になかったのですが、今年になってついにその時が……!今回の『WEFT』の曲の歌詞で、お風呂に入っている時に答えが見えてくることがあったのです。

歌詞を書くとき、考え事をするとき、日々の買い物リストなどなどとにかくなんでも忘れないように一度メモをとるようにしている僕(それでもよく忘れる)ですが、お風呂に入っている間は一旦お休み。(とはいえ切羽詰まっているときには、メモに書き出せないお風呂の中でも考えてしまいますが。)すると意外にも、光が見えることがあるのです。すぐに書き出せないことが好転して、点と点を線でつないでいく作業が捗っているのかもしれないですね。考え事をして煮詰まってしまった方は、一度お風呂に入ってみたらいいかも?

と、こんなふうに、とりとめのないようなことや、一度音楽や歌詞の制作から離れたところで次の記事を書いてみたいなと思っています。残念ながらまだ面白そうなテーマが見つかっていないので、とりあえずこれからお風呂にでも入ってこようかと思います。

おまけ
数年前までコーヒーの飲めない人間だったのですが、最近ついに自分で淹れ始めました。作業中は常に飲んでいるのですが、母の中ではまだ飲めない設定のようで、実家に帰るたびに「無理して飲まなくていいよ」と言ってきます。

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ヘッダー撮影:野本敬大

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