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オッカケ経歴書〜後編〜

皆さん、こんにちは。
おけいです。

この前オッカケ経歴書の前編を書かせていただきましたが、今日は後編!
私の23年をかけたオッカケ経歴をこちらでお話しいたします。

2歳でLUNA SEAの河村隆一にハマり、9歳でJohnny'sに、13歳でV系にハマった私ですが、ここからも紆余曲折を経て、ノンストップでハマっていきます。


〜おけい 16歳〜

V系バンドの彩冷えるにハマり、ほぼ家出少女と化していた私の楽しいバンギャ生活はある日突然終わりを告げられます。

高校1年生の春、私はオーストラリアに1ヶ月間ホームステイに行くことになり、オーストラリアの高校に通いながらHappyな留学生活を過ごしていました。
ある日寝ようと思って、ベッドに入ると、海外用の携帯にメールが届く音が。
「え、親とはもう電話したし、なんだろう?」と思って、メールを開くと、当時私がオッカケをする上で一番信頼していたお姉さまからメールが。
そこには衝撃の一文が。


「彩冷える、終わったよ」


なんのことか本当にわからなくて、急いで返信。
海外にいるので、インターネットを繋ぐこともできず、どうすればよいかわからず、とにかくお姉さまから詳細を聞くしかなく、メールの返信を待つこと数分―。


「葵くん1人残して、あとの4人が彩冷えるを脱退した。」


私の頭の中は?????????????―。
葵くんを残して…????
脱退…????
それは解散じゃないの????
すごく不思議な気持ちになりました。

でもわかったのは、これってなんかボイコットとかストライキとかそういうものと同じで、4人から葵くんに対する意思表示なんだろうなぁ…というのは感じて。
翌日ホームステイ先の家族にお願いして、パソコンを借りて、葵くんのブログを検索して、記事を読みました。
5人はいつの間にすれ違ってしまっていたんだろう…と思いました。本当に。
そんなショックがあり、しばらくの間は一人になった葵くんの応援をするために現場に行き、バンギャとしての活動を続けていたのですが…。
やっぱり5人でいる彩冷えるが好きだったので、どこか物足りなさがあって。
ファンも葵くん以外のファンだった子はもちろん来なくなって。
そんなこんなでいつの間にか葵くんのソロ活動の現場にも行くことはなくなりました。

「何を追っかけよう…」と悩んでいた私が、ある日見かけたドラマがきっかけでここから私の新たなオッカケ人生がスタートすることに―。

そのドラマは「美男ですね」―。

イ・ホンギ…!!!!!!!!!!!!!!!

この出会いは衝撃でした。

もちろん主演のチャン・グンソクにもビビッと来たものはありましたが、それ以上にホンギのかわいらしさに…、、、やられてしまった…、、、、

ホンギがFTISLANDというバンドのボーカルだということを知り、そこからFTISLANDのファンに。
海外のアーティストを好きになるのも初めてで、距離感も掴めず…、オッカケもできないだろうなぁ…なんて思いながら、でも「特別なファンになりたい」「認知されたい」なんていう欲求があった私は自分が行く初めてのコンサートの時にある企画を実施。
たくさんのファンの方に協力していただき、「FTISLAND」という名前をつけた星をプレゼントしたりしていました(笑)
(今考えるとこんなことができるのも若かったからだなぁと思います。。)
FTISLANDのコンサートにはその後も何度か行ったりして、すっかり私の生活はホンギ一色になっていたのですが、そんな時に奴らが戻ってきたのです…。


そう、BIGBANG。

色々な不祥事を経て、FANTASTIC BABYで戻って来た彼らに一瞬にして心を奪われていきました。

もともと姉がダンスをやっていたこともあり、ガラガラGO!!で日本デビューしてレコード大賞に出ていた頃から知っていたのですが、「いつの間にこんなにカッコよくなったの…」という衝撃が大きかった。
当時日本のアーティストにはないような音楽のテイストはもちろん、センスあるヴィジュアル、漂うカリスマ性に一目惚れしました。
不祥事があったことはもちろん知っておりましたが、そんなことはもうどうでもいい。

「私のイエス・キリストはG-DRAGONだ。」

と心の底から思いました。

そこからG-DRAGONをリスペクトしすぎて、同じ髪型にするために刈り上げたり、ベリーショートにしたり。
ファッションもG-DRAGONを真似て、わりと過激なファッションをしていました。
(ハマるとすぐに外見に取り入れるのが私の習性です(笑))
そして高校生活はG-DRAGON一色に。

でも大学受験を控えていたので、コンサートには行けず…。
大学受験に一応成功し、2つの大学に合格したのですが、どちらに行くかを決める時には「G-DRAGONが来日する時には迎えに行きたいから羽田空港に近い方にする」という謎の判断軸で決め、大学入学を機に上京しました。
大学入学後はキャンパスライフをエンジョイしながら、韓国語の勉強をし、コンサートには行きまくり、羽田空港にも行ったり行かなかったりしながら過ごしていました。
羽田空港に迎えに行きたいからなんて言っていたんですけど、1回言ったら、あまりの人と一瞬の出来事にちょっと萎えてしまったんですよねぇ…。(笑)
そんなある日、私にまた新しい出会いがやってきます。


〜おけい 18歳〜

2013年の「BIGBANG JAPAN DOME TOUR 2013~2014」、通称αコンの時だったかな。
ヨンベのWEDDING DRESSを観ていた時に、その後ろで踊っているダンサーに目が行きます。
肩を痛めているらしく、テーピングでぐるぐるになっているのにも関わらず、感情を目いっぱい込めて、表現している彼が素敵過ぎて、一目惚れします。
彼はYG ENTERTAINMENT専属男性ダンサーチームHITECHに所属する方です。
ほとんどの人が知らないと思うのですが、ここ数年はモデルとしても活躍しており、すっかり有名になられたので、知っている方もいらっしゃるかもしれません。

当時は本当に知る人ぞ知るみたいなイケメンダンサーで、全然注目も浴びていなかったのですが、本当に踊り方が好きで、私は一目惚れでした。
そこから彼が来日する時は毎回空港に行き、プレゼントを渡し、写真を撮ってもらい、サインをもらい、お話しして、覚えてもらうことに必死な日々を送り始めました。
大学2年生の春には韓国に短期留学に行ったので、その時は毎日大学が終わると、YG ENTERTAINMENTの社屋に行き、ずーーーーっと出てくるのを待っているという日々を過ごしていました(笑)
ちょうど2NE1がカムバしたタイミングだったので、サノクとか番組収録がたくさんあって、練習とか出入りが多くて、めちゃくちゃ会えたんですよね。
毎日会って、お話しして…という日々を過ごしていて(笑)
留学を終えて帰る最後の日に「今日が最後なんだ」ってお話ししたら「まいにちありがとう」って日本語で言われた時には笑ってしまいました(笑)
留学を終えて、日本に帰ってからも会えるチャンスは毎回会いに行き、認知を維持するためにプレゼントをしたりと頑張っていたのですが…。

ファンの扱い方が非常に上手いんです。めちゃくちゃ。

なので結論ファンのカースト争いが激化し、認知の順列みたいな争いが勃発。
純粋な応援をされているファンの方もいましたが、最終的には貢ぎ合戦みたいになり…もれなく私もそこに参戦。
この頃はオッカケ時代の中でもいちばんしんどかったです…。

「誰があげたプレゼントを一番使うか?」

「誰のインスタにいいねしに行くか?」

そんな彼の行動を指標に戦っていたと思います。

彼がインスタに「キャリー壊れた」って投稿したら、誰かがキャリーをプレゼントして、誰かが彼にiPadプレゼントしたら、誰かがiPadケースプレゼントして…。
そんな日々を過ごしているうちに、いよいよ疲弊してきた私は彼にブチギレ。
ファンからもらったハイブランドのプレゼントの認証ショット(「プレゼント受け取ったよ!」とSNSにあげる行為)をインスタにあげたところにコメントしてしまうのです。

「応援の形ってのは金だけじゃないんだよ。そんなに金目のものばっかり欲しいんだったらそういう職業にでも就けば?純粋に踊っている姿が好きで応援しているファンはあなたに失望しています。」

このコメントを見たであろう彼は私があげた手作りプレゼントの認証ショットをその後すぐに投稿しますが、私は疲弊してしまい、彼のファンを辞めるのでした。


〜おけい 19歳〜

上記の彼に振り回され、1年半くらい過ぎた頃、私はある日一人の女性に出会います。

私はこれまで「女性にはハマらないし、女性にお金を払うことなんてしない。」というポリシーでオッカケをしており、女性アイドルや女性アーティストにハマることはありませんでした。
そんな私がある公演に行った時に、出会ってしまうのです。
韓国の女性ダンスチームの方だったのですが、踊っている姿がHappyオーラ全開!!
すごく楽しそうな表情で、全身で楽しさを伝えてくれるその姿に元気とパワーをもらい、「あ、この人を応援したいな」と自然と思っていました。
そこから私は彼女を応援するようになり、音楽番組に映ったシーンをスクショしてSNSにUPしたり、会える時にはプレゼントをしたり、全力で応援していました。
第三者から見ると認知と同じかもしれないのですが、応援する私の気持ちが通じることも多く、前回の彼の時とは違って、応援すればするほど、こちらの気持ちもHappyになるということを感じ…。

これまでオッカケをしてきて、

「“応援”ってこういうことだよな。」

と初めて気付かせてもらえるのでした。

彼女を応援していく中で就職活動や大学卒業、新社会人と私の人生も変わっていきましたが、どんな時も私に元気とパワーを与えてくれて、私のことも応援してくれる素敵な女性でした。
彼女が現役ダンサーとして一区切りを終えるまで応援していましたが、そこも終えられたので、私のファンとしての役割も終了。

こんなに最初から最後まで幸せなオッカケは人生で初めてでした。


〜おけい 22歳〜

幸せすぎるオッカケを終えた私は一気に全てを失うことになります。

彼女が一区切りを終えた後、しばらくして私の神であるG-DRAGONが軍隊に入隊することになります。
入隊に関しては何をどうしても避けられないことなので、ずっと前から覚悟はしていたのですが、やっぱりいざ迎えるとどうしていいか悩まざるを得ないものでした。
もちろんメインでオッカケしていたのはダンサーの方々でしたが、毎年BIGBANGのツアーが始まれば、「繁忙期が始まった~」と言いながら全国各地を飛び回る生活を5年も続けて来たわけで。
日々旅行に行くのは我慢しているけど、BIGBANGが色々なところに連れていってくれて。
そんな毎日が当たり前になっていた私にとって、それが全てなくなるということがまず想像できませんでした。

でもやっぱり無情にも神の入隊時期はやってきてしまって。
入隊する時に心に誓ったんです。

「神が戻って来るまでに私はお金を貯めて、神のお近づきになる。」

高校生の時の私の夢は「起業すること」。教育ビジネスがやりたかったんです。
でも神と出会って、大学生の時の私の夢は「BIGBANGと働くこと」に変わりました。
新卒の就職活動の時は残念ながら、それを実現することはできなかったのですが、「自分に力をつけて、何らかの形でBIGBANGと一緒に働けるようになる」ということが社会人になってからもずっとずっと私の夢でした。

「浮気しないで、神の帰りを待つんだ。」

そんな誓いを立てた矢先に無残にもその誓いは打ち砕かれます。

彼がどなたかご存知でしょうか?
2018年K-POP界を大きく騒がせたと言っても過言ではない元PENTAGONのイドン。

イドンが後に恋人であると公表されるヒョナとPENTAGONのフイと組んだユニット、Triple Hを見て、イドンに一目惚れします。

惚れた理由はただ一つ。
G-DRAGONと同じ雰囲気がを持っていることと、踊り方が前述のダンサーの彼に似ていたから。(単純)

まさしく、私にとってはハイブリッド。
とても素敵だったのです。

そこからPENTAGONにハマり、写メ会に行ったり、コンサートに行ったり。
「浮気しない」と決めた気持ちはどこへ行ったのやら…。

ただ、オッカケをしていると、イドンに対して時々感じる嫌な予感―。
「なんかコイツ良くないぞ?やる気がないぞ?」というのをひしひしと感じる。
いくらキャラクターがあるからとはいえ、ステージ上での気だるそうな態度、上の空な感じ。

PENTAGONとして活動することが嫌なのか?
CUBEのやり方が嫌なのか?
アイドルをやることが嫌なのか?
芸能界が嫌なのか?
一体どれだ?とずっと思っていました。

そんな矢先にヒョナとの熱愛が発覚し、いなくなってしまったのです。
私はその時にもあまり驚きもしなかったし、「ふーん。」くらいだったんです。

「入れているタトゥーのテイストが同じだし、そうだろうなと思っていたよ。」
「イドンはやる気ないから、あっさり認めるんだろうな。」
「“アイドル”って呼ばれることにストレス感じていそうだったもんな。」

こんな感じでした。

私自身オッカケ歴が長いので、多少の熱愛はなんとも思いません。
アイドルだって、バンドマンだって、人間です。
(V系追っかけてた時なんて普通にファンとできてたこともあったし…)

でもやっぱりショックを受けているメンバーを見るのがすごくつらくて。
ちょうど『빛나리』がヒットしたタイミングで、イドンの才能が証明された時だったし、「PENTAGON、これからだね!」っていうタイミングで。
そりゃあメンバーもショックだよな…と。
仲間として信じて、これから一緒に頑張ろうと思っていたのに、自分の恋愛を貫くためにグループを出ていく仲間がいること、グループの名前に傷が付くこと。
(今考えると、ヒョナを守るためには仕方なかったのかもしれないと思ったりもする。)

特に一番ショックを受けていたキノの姿は本当につらかったです。
『청개구리』の活動の時はサイン会で涙していたり、ステージで涙したり。
本当にショックだったんだなとこちらにひしひしと伝わりました。

キノはイドンとは真逆の性格で、芸能の神に愛された人だと思っています。
音楽を聴くことも歌うことも作ることも好きで、音楽に合わせて踊ることも好きで、「自分の好きなことは音楽しかないから」と真面目に真摯に向き合ってる。
向き合いすぎて追い込まれるんじゃないかと、時々心配になるほど。
ファンに対しても、神対応と言われるくらい感情表現をきちんとし、ファンのことはちゃんと覚えようと努力する。

イドンがいなくなってから、そんな彼の姿に気付いた私は「この人の役に立ちたい」と思うようになり、キノを応援し始めました。

今もキノを応援しています。


ちなみに今はキノだけでなく、4人を並行して追っかけています。
1人目はこの間、兵役を終えて帰ってきたG-DRAGON、2人目は真面目で真摯な姿が愛おしいキノ、3人目は前編で書かせていただいた彩冷えるの復活により葵くん、そして最後の4人目が今年ハマり始めたモータースポーツの牧野任祐選手。
彼を紹介して最後終わりにしたいと思います。


〜おけい 24歳〜

私の家族は昔からみんなモータースポーツ好き。
地元に鈴鹿サーキットがあるからか、なんなのかわかりませんが、私以外はみんな好きで、F1やSuper GT、Super Formulaを観に行っていました。

2019年4月。
いつもの通り家族でSuper Formulaの開幕戦を観に鈴鹿サーキットへ。
私のテンションは「ほぇ〜〜」って感じ。
特に興味もないけど、なんかわちゃわちゃしてて楽しい雰囲気ですな、そんな感じ。

横から姉が語ってきます。
姉「私は今年から参戦の福住仁嶺くんがすき!」
私「ふーん」。
姉「仁嶺くんと牧野は海外から戻ってきたルーキーなんだよ。」
私「牧野…?」
姉「うん、牧野任祐。」
私「どれ?」
姉「あれ!」
私「えー、お姉ちゃんが好きな人より牧野の方がカッコいい。」

そんな初めての出会いでした。

教えてもらったって、正直気にも留めない名前でした。
でもこのレースで繰り広げられる壮絶なドラマによって、牧野選手は私にとって忘れられない存在になります。

2018年はF2に参戦していた牧野選手。
2019年よりSuper Formulaという国内戦に参戦し、この4月のレースは開幕戦でした。
開幕戦の予選で見事牧野選手はポールポジションを獲得。
デビュー線でのポールポジションは史上初の偉業でした。
(ポールポジションとは予選で最速タイムを記録したドライバーがレースをスタートする最前の位置のこと。)
すごく意気揚々としていて、エネルギーに満ち溢れていた姿を今でも覚えています。
そんな彼が優勝を目指して決勝に挑んでいました。
走りもすごく攻めた走りをして、彼の本気を感じました。

ですが、なんと26周目マシントラブルによりリタイアとなってしまいます。
その時の彼のショックの受け方。
「本気で何かを成し遂げてやろうと思っている人なんだな」と強く伝わってきました。

見ていると、人としてはまだ若さ故の未熟さがあるけれども、レースの世界で生きていく覚悟はちゃんと持っていて、実力もちゃんとある。
レースの時には攻めの姿勢でガンガン攻めるのに、SNSで落ち込んでたりするそのギャップにやられて、今応援しています。

1年間応援して、やっとモータースポーツのいろはもわかってきたので、これから本腰を入れて、応援していきたいと思います。


そんな感じで私のオッカケ経歴をご紹介いたしました。
いかがですかね?笑
「かわいそう…」なんて苦笑いされることもありますが、私にとってはもう人生の中で欠かせない趣味であり、日常です。
誰かを応援するって楽しいですからね。

これからどうぞよろしくお願いいたしますー!


おけい

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