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心地良くなるためになら良いか


この時期になるとやたら ○○は要らない! とか、 捨てるなら今! なんて台詞をよく見聞きするようになる。

年末だから?大掃除の時期だから?

今時畳上げてパンパンなんて叩いてる家がどこにあるんだろうかと思うアタシ自体が、過去の産物なのかもしれないけど。(かすかに記憶には残ってる)

大掃除はね、あったかい時にするのが理にかなってるんだよ。汚れも落ちやすいし、水も冷たくないし、何より家中開け放しても寒くないし、洗濯物も早く乾くし。

ただ、歳神様が来られるって考え方もうっすら何処かに残ってるものだから、ついつい大掃除は年末って思っちゃうんだろうな。特に信心もしてないくせに、こんな時にだけ現れる知らぬ間に刷り込まれた感情。

でも、汚くなけりゃいいんだって思えば、そんな考えもなくなると思うんだけどね。大掃除を煽ってくるのは、この時ばかりと商品を売りつけたいからなんじゃないだろうかと。

お風呂にあんなに吹き付けたら3日で洗剤1個使い切るじゃん? ○○用△△用なんて使い分けてたら一体どれだけいるんだよ! なんて思いながらいつもCMなんかを眺めてる。


要らないものベスト○  なんかのタイトルから記事を斜め読みしてると(結局見る奴)、毎年やってね?って。

家族分以上は不要 とか、いつか使うはやって来ない とか、お箸は2本同時に使えないんだから とか、コンロ数以上の鍋は要らない とか

ホント色々言うよね。

捨てた分だけ幸せが来る とかさ。統計取って数字だしたんかい?それ誰が責任取ってくれんだい?とか、思っちゃう。


とはいえ、そろそろ12月って思うだけで、あわただしい気分になるのは事実。別に「師」でもないんだから、走らなくてもいいのに。たかが月が替わるだけじゃんって毎年思ってる。笑


でも、どん!と大きな土壁が徐々にこっちに迫ってくるような…越えさせませんよ?って目鼻もない奴に脅かされている感じはする。あれこれ文句を言ったって、所詮これは長年の習性みたいなものなんだろうな。習性なら意固地になって逆らわない方がストレスも少ないんじゃないか?歳神様に向けてじゃなく、家族のためにでもなく、自分のためにやればいいじゃんって。

昔は、小掃除・中掃除なんて分けて、少しずつ計画的に片付けて行ってたけど、今は特にカレンダーを埋める予定もないからその点は自由。

どうしょっかな~って考える時間と実際に動いてる時間を比べたら、悩んでる時間の方が無駄に長いことにも気付く。とりあえず、手を動かせばいんだよって。

窓を拭いたところで、鏡を磨いたところで、誰から褒められるわけでも感謝されるわけでもないし、お給金が出るわけでもない。

でも、光りを反射する床や無くなった?と勘違いしそうな窓ガラスに、心地いい達成感はある。

・・・ってことで、特に来客の予定もないけど、目についたことから少しずつ手を付け始めた。

動く理由・・・自分の為に でよくね?と思う霜月の末。


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